第八話 温かな匙(前編)
「……ここは、どこ……」
「おや、目が覚めたのかい? 良かった、昨晩はどうなることかと思ったんだよ」
様子を見に来たマチルダが、少女の小さな声に気づいて歩み寄る。
少女の金色の瞳が隣で眠るエリックに視線を移すのを見て、マチルダは優しく微笑んだ。
「あんたを救ったのはそこの寝坊助だよ。エリックっていうんだ。一晩中看病して、眠っちまったんだね」
「エリック……さん……」
「ほら、エリック、起きなよ。この子が目を覚ましたよ」と声をかけると、エリックは目をこすりながら体を起こす。
「ん……うん、あぁ……良かった。……気分はどうだい。少しは楽になったかい」
エリックの問いかけに答えるように、少女のお腹が小さく「くぅ……」と鳴る。
「ハハハ、良い返事じゃないかい。今、厨房から何か食べるものを持ってくるよ」
そういえば、自分も昨夜から何も食べてない。
「待って、マチルダさん。まだ固形物は胃腸に負担がかかる。ロイに頼んで重湯を作ってもらえないかな? あと僕にも何か」
「わかったよ。おーい、あんたぁ! 重湯を作ってくれないかい! エリックにも何か用意してやって!」
厨房に向けて声をかけると、「わかった」と遠くからロイの返事が返ってくる。
マチルダは少女の顔を覗き込み、優しく尋ねた。
「お嬢ちゃん、お名前は何て言うんだい」
「…………レム」
「へぇ、レムちゃんっていうのかい。いい名前だねぇ。お家はどこだい。お父さんやお母さんはどうしているんだい?」
少女は震える声を絞り出す。
「……森のそばの村……死んじゃった……ずっと前に……病気になって……みんな、みんな死んじゃった」
(少し前に領都近辺で猛威を振るった伝染病のことか)
エリックの眉間にしわが寄る。
レムが涙をこぼし始めると、マチルダは迷わずその小さな体を胸にきつく抱きしめた。
「わぁぁぁぁぁん!」
こらえきれず、あふれた涙とともに、少女の泣き声がマチルダの胸に吸い込まれていく。
「あぁ、ごめんよぉ。つらいことを思い出させちまったねぇ。………………レムちゃん、あんたが嫌じゃなかったら、うちにずっといても良いんだよ」
その言葉に、エリックは驚いて顔を上げる。
「お、おい、いいのかい、マチルダさん」
「あぁ、もう子どもが二人もいるんだ。一人増えたところで変わりゃしないよ」
ちょうど少女が泣きやんだころ、ロイが湯気のたつ重湯を運んできた。その後ろには、心配そうについてきていたエマ。
「重湯ができたぞ。おっ、元気そうじゃないか、良かったなぁ」
「ロイ、エマ。この子はレムちゃんっていうんだって」
「レムちゃんっていうんだ! 元気になったんだね。良かったぁ!」
昨夜は心配で眠れなかったのだろう。少し寝不足気味のエマの顔がほころぶ。
「さすがはエリック大先生の薬だな。それはそうと、マチルダ、仕込みを手伝ってくれないか。エリック、下に朝食の用意をしておくから、終わったら食べていけ」
「まぁ先のことは、とりあえず食べて、ゆっくり休んで、考えたらいいさ。エリック、エマ、あとは頼んだよ」
そう言うと、ロイとマチルダは部屋を出て行った。
エマは無邪気にレムのそばに寄り添う。
「わたし、エマっていうの。こっちはエリックさん、薬師様なんだよ!」
「……薬師様……?」
レムは赤く染まった鼻をスンとすすり、潤んだ瞳でぽつりと呟いた。
エリックは薬師様と呼ばれて少し照れくさそうに笑うと、湯気のたつ重湯を手に取った。
「おっと、重湯が冷める前に……。ちょっと待ってな」
エリックは鞄の中から、白い粉末の入った瓶を取り出すと、重湯に一匙加える。
「エリックさん、それは何?」
エマが興味津々に覗き込む。
「ふふん、これは葛という植物の根っこの粉さ。しばらく何も食べてないと、胃腸がとっても弱るんだ。だからこういうときは、お腹を元気にする地属性の薬を少し足すのさ」
そう言うと、少女たちが不思議そうに眺めるのをよそに、ぶつぶつまじないを唱えながらかき混ぜ始めた。
「わぁ!」
驚きにエマが声をあげ、レムは目を見開く。
ただの白い重湯が、エリックの手にかかると、みるみる間にとろりと黄色っぽい半透明に変わり、微かに赤く輝いたのだ。
「葛の根と火属性の魔力がお腹の中を温めて、体を強くしてくれるんだ。エマちゃん、この子に重湯を食べさせてあげてくれるかい?」
「まかせて!」
エリックはレムの体を優しく起こす。
エマは重湯を一匙すくうと、ふぅと息をかけて、レムの口元へ運んだ。
――コクリ
少し甘く温かな重湯が、疲弊したレムの心と体を優しく満たしていく。
「ふぅ……おいしい……」
ポロリと安堵の息が涙と一緒にこぼれた。




