第三話 頑固職人と、黄金色の特効薬(前編)
「エリック、今日は何でも好きなものを頼んでくれ。俺の奢りだ」
エリックの家の隣にある宿屋『琥珀の樽亭』。
夕食時の賑わいを見せる店内で、店主のロイがカウンター越しに豪快に笑う。
昨晩、娘のライラの激しい夜泣きをエリックの薬がぴたりと止めてくれたおかげで、ロイも妻のマチルダも、久々に深く眠ることができた、その感謝の印だった。
「いいのかい? じゃあ、ミートパイとワインをお願いするよ」
遠慮がちに注文すると、ロイは途端に物足りなさそうな顔をして肩をすくめる。
「おいおい、それじゃあいつもと変わらないじゃないか。もっとこう、がっつりした肉料理とかさ!」
「いいんだよ。ロイの作るミートパイは、この王国で一番美味い。誇っていいぞ。僕はこれが食べたくて来てるんだから」
「……ま、まぁ、お前にそこまで褒められて悪い気はしないがね」
ロイは照れくさそうに鼻の頭を掻きながら、さっそく窯へミートパイを入れる。
出来上がるを待ちながら、エリックはカウンターの木目を指でなぞったり、トントンと小刻みに叩いたりして退屈を紛らわせていると、
「エリックさん、どうぞ」
カウンターの奥から、ひょっこりとワインの入ったグラスが差し出された。
(ん……何だ?)
カウンターの奥を覗き込むと、小さな女の子が精一杯背伸びをしてカウンターにグラスを置いている。
「ああ、エマちゃん、ありがとう。お手伝いなんて偉いね」
「わたし、もうお姉さんだもの!」
エマは胸を張って、誇らしげにえっへんと笑った。
「今日、お母さんはどうしたの?」
「お母さんはライラを寝かしつけてるの。だから、わたしがお母さんのかわりなの」
そこへ、焼き立ての香ばしい匂いを漂わせたミートパイを手に、ロイが戻ってきた。
「ふっ、頼もしいだろ? ライラに手がかかるようになってから、急にお姉さんぶるようになってな。……しかし、本当に昨日は助かったよ。エリックも喧しかっただろう、すまなかったな」
「気にしてないよ。赤ん坊は泣くのが仕事さ。本当に喧しいってのは……」
エリックはミートパイを一口かじり、ワインで流し込みながら、
「酒癖の悪い酔っ払いどものことさ。特に、いつも僕を『小僧』呼ばわりして絡んでくる、ドワーフのクソじじいとかね」
「おい、エリック……」
「なんだよ。ロイもそう思うだろ」
「おい!!」
ロイが引きつった顔で、視線で「やめろ」と合図を送ってくる。
「だって、そうだろう? 体はちっこいくせに態度だけはやたらとデカい、そう、あそこにいつも座っている、鍛冶屋のガラム爺さ……ん……」
……ゴクリ。
「……おい、ロイ。あの爺さん、いつからそこへいたんだ?」
いつもなら「誰がクソじじいじゃ!」と怒髪天を突く勢いで怒鳴り散らしてくるはずのガラム爺さんが、店の隅の席で、信じられないほど静かに、暗い雰囲気で俯いていたのだ。その前には、手付かずの火酒のグラスが寂しく置かれている。
「お前さんが店に入ってきた時には、もうあの状態だよ」
「嘘だろ。あの頑固じじいが、なんであんなに大人しいんだ? 地震でも起きる前触れか?」
「何でもさ、仕事で大きなヘマをしちまったらしくてね。それを息子に指摘されて八つ当たりしたもんだから、大喧嘩になったそうだ。それでああして落ち込んでるのさ」
「おいおい、なんて人迷惑なじじいだ……」
あまりの奇妙な光景に、エリックは好奇心を抑えきれず、ミートパイを咀嚼しながらガラムの席の周りをうろちょろと不自然に往復する。
「……小僧、来とったのか。なんじゃい鬱陶しい。あっちへ行け!」
心配そうにトコトコと近づいてきたエマが、ガラムの顔を覗き込む。
「おじいちゃん、どうしたの? お腹痛いの?」
「お、おお、エマちゃんか……。ワシは元気じゃよ。心配してくれて、ありがとうなぁ……」
「へえ、ガラム爺さんにも人の子らしい心があったんだな。安心したよ。だけど、息子さんと大喧嘩して気を落とすなんて、らしくないじゃないか」
ここぞとばかりにエリックがニヤニヤしながらからかう。
「喧しいわ小僧!!」
ガラムが机を叩いた。しかし、いつもの威勢はない。
「そんなことでワシが気落ちするか! わけのわからんことを言うな!」
「じゃあ、どうしたって言うんだよ」
エリックがなおもニヤついていると、ガラムはがっくりと肩を落とし、小さな拳を握りしめ、
「……打ち間違えたんじゃ」
「は?」
「最後の仕上げの細工じゃ! 叩く場所を、ほんの僅かに打ち間違えた。……こんなことは、ワシの長い鍛冶屋人生で、ただの一度も無かった。近頃、どうも目がボヤけて集中できん……」
「なんだ、そんなことか」
――ドン!
「そんなこととは何じゃ!!」
「毎日ぶらぶらと遊び呆けておる小僧とは違うんじゃ! ワシは鍛冶に命をかけておる! こんな見習いのようなヘマをするようでは……もう、引退じゃあぁぁ!!」
ドワーフの老職人が、人目をはばからずワンワンと泣き始めた。
「おじいちゃん、泣かないで……。エリックさん、どうにかしてあげて!」
エマが今にも泣き出しそうな潤んだ瞳で、エリックの服の裾を引っ張る。
「う……。はぁ、やれやれ、仕方がない」
「おい、爺さん。ちょっとじっとしてな」
「なんじゃ、離せ小僧!」
エリックはガラムの太い腕を掴む。さらに瞼をぐいっと広げて、それから口を大きく開けさせ、唇を引っ張った。
「ええい、やめい! 鬱陶しいわ!」
激しく抵抗するガラムをあしらいながら、エリックはフンと鼻を鳴らす。
「ロイ、すぐに戻ってくる。ミートパイ、下げないでおいてくれよ!」




