第二話 泣く子と商人には勝てぬ(後編)
すっかり日が暮れた夜。
エリックが古びた小さな家に戻り、貰った棗の実を乾燥させるために盆ザルに並べていた。
「ふぇええん! ぎゃあああーーん!」
「よしよし、どうしたんだいライラ……。お腹が空いたのかい? それともどこか痛いのかい? よしよし、怖くないよぉ……」
「火がついたように泣いてるなぁ、近頃ひどいとは聞いてたけど……」
「ぎゃぁあああーーん! ひっぐ、ひっぐ、ふぇえええーん」
「ライラ……いい子だから泣きやんでおくれ……泣く子と商人には勝てぬとはいえ、困ったねぇ」
声のする方――表へ出てみると、薄暗い月明かりの下、隣の宿屋『琥珀の樽亭』の前に人影があった。
豪快な性格で知られるマチルダが、酷く困り果てた顔で赤子を抱きかかえ、必死にあやしている。
「よしよし、ライラは良い子だから泣きやんでおくれ、ライラ……。あぁ、エリックかい。夜遅くに喧しかったねぇ」
「いや、いいんだけど。ライラちゃん、近頃夜泣きが酷いらしいね」
「そうなのさ。うちは宿屋だろ? お客さんの迷惑にもなるしねぇ、旦那も今頃、宿の中で必死にお客さんに頭を下げて回ってるのよ。本当に困ったねぇ……」
ため息をつくマチルダを見て、エリックはふと考え込んだ。
「マチルダさん、ライラちゃんの手を触ってもいいかい」
「ああ、かまわないけど」
エリックはライラちゃんの小さな手を優しく握る。
「……うん、ちょっと待ってて。あ、ライラちゃんはもう小麦は食べられるのかい?」
「え? ええ、食べられるけど……それがどうしたんだい?」
「わかった。いいから、ちょっとここで待っててよ」
エリックは急いで家の中へ入ると、部屋の薬棚に向かい、ごそごそと引き出しをかき回す。
棚から取り出したのは、以前マリア婆さんから貰って乾燥させておいた棗の実。それから、小麦の粒と、乾燥させた甘草の根を刻んだもの。
それらを天秤に載せ、手際よく正確に分量を計り、細かく刻んでいく。
三脚にのせた銅製の小鍋に魔法でチョロチョロと水を注ぎ、材料をすべて投入すると、小鍋の下の魔石ランプに魔力を流し火をともした。
じっくりと琥珀色になるまで煮詰めていくと部屋の中に、ほんのりと甘い独特の香りが立ち込める。
仕上げに、指先から微量の魔力を流して簡単にまじないをかけると、微かに青白い光が帯びる。
少し指に取りペロリと舐める。
「うん、上出来だ」
「ふえっ、ふえぇぇーーん! ぎゃあああああーーっっ!」
「ああ、よしよし、泣かないでおくれ、ライラ……」
「マチルダさん、お待たせ」
エリックは琥珀色の液体の入った小瓶を差し出した。
「何だい、これは」
「少し舐めてみなよ」
「甘いねぇ! 蜂蜜かい?」
「違うよ、蜂蜜は赤ん坊には毒だからね。これは、棗の実と小麦、甘草の根を煮詰めた夜泣きの薬さ」
「夜泣きの薬? そういえば、あんた薬師だったねぇ。すっかり忘れちまってたよ」
「んっ、んんっ! えっと、これを一匙だけ、無くなるまで毎日一度だけ、ライラちゃんに飲ませてあげて。……あ、あと、甘いから口の中を綺麗に洗ってあげてね」
「ありがたいねぇ、さっそく試してみるよ」
翌朝。
エリックが家の扉を開けて外に出て伸びをする。すると背中にライラをおぶったマチルダが通りがかり、エリックの姿を見つけると、マチルダはパッと顔を輝かせる。
「おはよう、エリック! ありがとうねぇ!」
「おはようマチルダさん。ライラちゃん、どうだった?」
「あれを飲ませたあと、すっかり落ち着いてさ。夜中も一度も起きずにぐっすりだよ! あの夜泣きの薬は効果てきめんだねぇ」
「ふふっ、あれは心を落ち着かせる薬なんだ」
「心を落ち着かせる薬?」
「うん、マチルダさんとこは酒場もやってるだろ。酔っぱらった大人たちの活気が、ライラちゃんに移っちゃたんだ」
「そんなことがあるのかい?」
「そうさ、だから活気を逃がして心を落ち着かせる必要があったんだ。ライラちゃんを寝かしつける時に背中やお腹を優しく擦ってあげるのもいいね」
「へぇ、そんなこと考えてもみなかったよ」
「あと、ライラちゃんはとても元気な子だね。体の中の火と木の魔力が暴れてたんだ。だから水の魔力を少しだけ混ぜて薬が体に馴染むようにしてみたんだ」
「へぇ体の魔力がねぇ。良くわかんないけど、ともかく助かったよ。ありがとう」
「それは良かった」
ほっとして微笑むと、おんぶ紐の中からライラがひょこっと顔を出し、エリックの方を見てにっこりと愛らしく笑った。
「おや、ライラちゃんご機嫌だね」
「どうやら、あんたに懐いちまったようだね」
その無邪気な笑顔に、心がじんわりと温かくなる。
見上げれば、領都の空はいつの間にか高く澄み渡り、ひんやりとした秋の風がライラの髪を優しく揺らす。
エリックは大きく息を吸い込むと、新しく穏やかな一日の作業に取りかかった。




