第一話 泣く子と商人には勝てぬ(前編)
「……いやぁ、エリックさん。ここ領都ソレイア近郊では薬草の流通が安定していましてね。回復薬ひとつにつき銀貨二枚なんてとてもとても、銀貨一枚ですら……この品質でも、大銅貨5枚が限界ですよ。嫌なら他を当たってもらっても……」
恰幅のいい商人が、薄ら笑いを浮かべながら、手元の書類にコツコツとペンを走らせる。
「ノーマンさん、え、ええと……でも、これでもかなり丁寧に灰汁を取って、いつも以上の出来栄えなんですけど……」
エリックは茶髪の混じった頭をがしがしと掻きむしり、弱り切った声を絞り出した。
「そう言われましてもねぇ。見た目は普通の回復薬ですし」
「こっ、効果は確かです。あ、あのルーカスさんとお話をさせてもらえたら……ル、ルーカスさんは、薬ひとつにつき銀貨二枚で引き取ってくれると……」
「会頭はとてもお忙しいのです。会いたいと言って会えるものではありません。今や我らルーカス商会はシルベストル公爵領のみならず、フェンネル王国中に販路を拡大しているのですよ。それ故、ウチと取り引きしたがる者の多いことといったら……」
「は、はぁ」
「経緯は知りませんが、エリックさんは会頭の口添えで特別にお取引をさせて頂いているのですよ。私共も協力したいのは山々ですが、ウチとしても大量に在庫を抱えておりますから。……で、どうします? 買い取りますか?」
人見知りで交渉事が大の苦手なエリックは、商人の高圧的な態度に完全に気圧されていた。
「あ、はぁ……じゃあ、その…値段で…お願いします……」とうつむきながら引き下がる。
(はぁ……今日もまた、散々な一日だったなぁ……。僕って本当に商売に向いてない……)
フェンネル王国で最大の領地を持つシルベストル公爵領、その領都ソレイアで最も賑わう通りの中心にそびえ立つ、立派な石造りの建物――それが、この地域の流通を一手に握る『ルーカス商会』の本部である。
その一角にある執務室で、エリックは心の中で深くため息をついていた。
がっくりと肩を落とし、重い足取りで部屋をあとにし、商会の出口へと向かう
「あら、エリックさん。いつも納品ありがとうございます!」
鈴が転がるような、明るく愛らしい声にエリックはハッとして顔を上げる。
大理石のカウンターの奥から、店員のエミリーがこちらに向かってにこやかに手を振っていた。
よく通る声、華やかな笑顔、そして誰にでも愛想の良いその姿。
エリックの心臓が、バックバクと早鐘を打ち始める。さっきまでの落ち込みは一瞬で吹き飛んでいた。
「あ、え、え、エミリーちゃん……じゃなくて、エミリーさん! は、はい! いつもお世話になってます!」
「ふふ、エリックさんの持ってきてくれるお薬、効き目が良いって冒険者の方々にも評判なんですよ。またよろしくお願いしますね」
「あうっ……は、はいっ! 喜んでっ!」
緊張のあまり背筋をピンと伸ばし、ペコリとお辞儀をして、エリックは逃げるように商会を飛び出していく。
一歩外へ出ると、エリックの顔はこれ以上ないほど緩みきっていた。
「……話しかけられちゃった。エミリーちゃんから、名前を呼ばれて話しかけられちゃったぞ……!」
脳内ではすでに結婚式の鐘の音が鳴り響いている。
「よーし、次はもっとたくさん薬を作ってくるぞ!」
ウキウキで鼻歌を交えながら、家路へと歩いていく。
商会のある中心街から歩くこと十数分。
徐々に建物が古くなり、下町ののんびりとした空気が漂う領都の外れまで戻ってきたとき、通りの向こうから腰を深く曲げた老女が佇むのが見えた。
「たたた……。あいたた……。今日は一段と響くねぇ……」
「おや、マリア婆ちゃん。大丈夫かい?」
「あぁ、エリックかい。いやね、最近どうも腰痛が酷くてねぇ。歩くのも一苦労さね」
「そりゃいけないな。ちょっと待ってて」
背負っていた麻袋をごそごそと探り、茶色い小さな丸薬の詰まった小瓶を取り出す。
「はい、これ。痛むときに一粒飲んでみて。少しは楽になるから」
「おや、すまないねぇ、いつもいつも……。――ああ、だけどエリック、その……持ち合わせがなくてねぇ」
申し訳なさそうに眉を下げるマリア婆さんに、「ははは、わかってるよ婆ちゃん。いいのいいの、気にしないで持って行きなよ」と笑い飛ばす。
「悪いねぇ……。そうだ、お礼と言っちゃなんだけど、これを持ってお行きよ」
マリア婆さんは、家の中から籠を持ってきて手渡す。その中にはツヤツヤとした赤い実が盛られていた。
「庭で採れた棗の実さ。大したものじゃないけど、甘くて食べると元気が出るよぉ」
「あ、もうそんな時期か。いつも、ありがとう。棗の実は薬の材料にもなるし、助かるよ」
エリックが嬉しそうに微笑むと、マリア婆さんは「それなら良かったよぉ」と、皺の刻まれた顔をさらにほころばせた。
「腰、お大事にね」
「ありがとうねぇ、エリック」
何度も頭を下げるマリア婆さんを見送られながら、棗の実を一つ、口に放り込む。カリッとした食感と共に、優しい甘みが広がる。
「うん、美味い。残りは持って帰って、綺麗に洗って干しておくか」




