第十三話 師匠の教え(後編)
込み上げるわくわくを押し殺してレムは小さな両手をそっと蔓の根本に添えた。
「あわてちゃだめ。おししょー様に教わったとおりにやるんだ」
そして、エリックに言われた通りの言葉を信じて小さなスコップを優しく土に差し込んだ。
「根っこさん、お邪魔しますー……おやすみなさい、よしよし……」
次の瞬間、奇跡が起きた。
レムが軽く手前に引くと、まるで粉を払うかのように、太く立派な根が、細い根一本すら傷つくことなく『ツルン』と完璧な状態で地中から抜け出してきた。
「えっ、あっ……抜けたぁ!」
どうやらレムの手のひらから無意識に滲み出た温かく包み込むような魔力が土へと浸透し、本来なら緻密な計算で行う魔力制御を一瞬で成立させてしまったのだ。
「すごーい! 根っこさん、ねんねした!」
レムは嬉しそうに微笑むと、手提げ籠の中にそれを収めた。
一度コツを掴んだレムに、もはや躊躇はなかった。エリックが木陰でいびきをかいて眠っている間、夢中になって採取を続けた。
「あっちの根っこさんも、おやすみなさいー!」
「こっちの葛さんも、おやすみなさいー!」
ポン、ポン、ツルン。
熟練の薬師でも時間をかけて慎重に掘り起こす最高品質の生薬が、傷ひとつない完璧な姿で、次々とレムのカゴへと収められていく。
そして――。
(あ……あっちの大きな木のしたにも、すごくすごーく寝苦しそうな根っこさんがいる……!)
レムの目が向けられたのは、薄暗い大木の根元だった。
そこには、地面の下でそわそわと妙な魔力を漂わせている、不気味な葉をつけた植物が埋まっていた。
(ねむれないのかな? よしよし、おやすみなさいー……)
レムは何の疑いもなく駆け寄ると、両手を添えて無意識に純粋な安らぎの魔力を注ぎ込んだ。
『……ふぁぁぁあぁ……』
地中で眠っていた根は、あまりの気持ちよさにうっとりとしたあくびのような吐息を漏らし、丸くなってしまった。
「あ、これもツルンって抜けた! なんだか変わったかたちの根っこさんだなあ」
……約一時間後。
「ふぁぁ……うーん、よく寝たな……」
木陰でうたた寝をしていたエリックは、大きく伸びをして目をこすった。
太陽が少し傾き、森全体が綺麗な夕空に包まれ始めている。
「レム―、そろそろ帰るぞ―……って、おぉ、戻ってきたか」
「おししょー様! たくさん採れたよ!」
草むらを分けてパタパタと駆け寄ってきたレムが、自慢げに手提げ籠を突き出した。
「どれどれ……まあ、雑草の根っこでも……って、えええぇぇっ!?」
エリックはカゴの中身を見て、思わず目玉が飛び出しかけた。
カゴの中にぎっしりと収められていたのは、細い髭根の一本すら折れていない、完璧な形状を保った最高級の『葛の根』だった。滅多にお目にかかれないほどの完璧な採集痕である。
(嘘だろ!? なんでこんな完璧な形で……魔力制御も教えてないのに何で抜けてるんだ!?)
エリックが冷や汗を流しながら驚愕していると、レムがさらに嬉しそうにカゴの底を指差した。
「あとね! すごくおもしろいかたちの根っこさんもねんねさせてあげたの! 人の形に似てるんだよ」
「ん? 人の形……? どれどれ……」
エリックは「どれ、山芋の珍しい形でも採れたのかな」くらいの軽い気持ちでカゴの底へ手を伸ばし、その大きな根を拾い上げた。
「へぇ、確かに手足みたいなのが生えてて面白……ん? ……あれ?」
手の中で眺めていたエリックの動きが、ピタリと止まった。
――ごくり。
根のてっぺんについている葉の切り口。赤みがかった樹液の匂い。そして、なによりもこの、手足どころか顔のパーツまでクッキリと浮かび上がっている人間そっくりの形状。
エリックの顔から、急速に血の気が引いていく。
(……待て。なんだこの葉の生え方は。この赤黒い樹液は……え? 嘘だろ……これ、もしかして……)
エリックの脳裏に、薬学の古書で読んだ「絶対に近づいてはならない危険植物」の図鑑ページが鮮明に蘇る。
(――引き抜かれた瞬間に致死級の狂乱絶叫を上げ、周囲の者の脳を破壊する超危険・超希少素材……『マンドレイク』……!!??)
「ひっ……!?!?!?!?」
エリックは悲鳴を上げて手の中の根を落としそうになり、慌ててキャッチした。
手に持っているのは、まごうことなき本物のマンドレイクだ。本来なら防音の結界を張り、訓練された犬に紐を繋いで命がけで引き抜くはずの最悪の怪物植物。
それが今、自分の手の中で、まるで温泉にでも浸かっているかのような穏やかな「満足そうな寝顔」で『スースー……』と気持ちよさそうに熟睡していた。
(マ、マ、マ、マンドレイク……!? なんで……なんで叫んでない!? なんで僕たちは無傷なんだ!? ていうか何でこの根っこ、満足そうに寝てんだよ!?)
エリックは頭を抱え、腰を抜かした。
「れ、レム……これ……どこで採ったの……? どうやって……?」
「え? 大きな木のしたにいたよ! おししょー様が教えてくれたとおりにしたの!」
レムはフンスと胸を張って、満面の笑みで答えた。
「『おやすみなさい、よしよし』ってあやしたらね、根っこさん『ふぁぁ』ってあくびしてツルンって抜けたの!」
「……おやすみなさい、で……あくび……? なにそれ」
エリックは天を仰ぎ、冷や汗を滝のように流した。
「おししょー様……レム、またまちがえちゃった……?」
絶句してガタガタ震えているエリックを見て、レムの耳がしゅんと垂れ下がる。不安そうに顔を見上げてくる弟子を見て、エリックはハッと我に返った。
「あ、いや! 違うんだ! すごいよレム! 完璧だ!」
慌ててレムの頭をわしゃわしゃと撫でまわす。
「ほんと!? えへへ、おししょー様のおかげ! おししょー様すごい!」
一瞬で笑顔を取り戻したレムは、満足そうに喉をゴロゴロと鳴らした。
エリックは考えるのをやめ、レムの手提げ籠を受け取った。
「よし、帰ろう。今日はマチルダさんとこでご馳走を食べよう!」
「わーい! レムはにくがたくさん入ったシチューがいい!」
夕暮れの山道を、仲良く並んで歩く二人。
(……しかし危なかったな。一歩間違えてたら……まあ、いいか……これで最高級の解呪薬とか秘薬とかいろいろ作れるな……錬金術士に売るのもありか)
パタパタと楽しそうに先を走るレムの背中を見つめながら、エリックは静かに胸を撫でおろした。




