第十四話 良薬口に苦し(前編)
『琥珀の樽亭』の隅で、黒く大きな尖り帽子を目深に被った女性が、冷めきった表情で果実酒のグラスを揺らし、一人深く溜息をついていた。
(……私、一体何やってるんだろ)
彼女の名前はセリス。王都の魔法学校を首席で卒業し、講師たちからは「将来は宮廷魔術師か」と持て囃された天才魔法使い……だったはずだ。
周囲の大反対を押し切り、幼い頃からの夢だった「冒険者」として街を飛び出した日の高揚感は、今でも鮮明に覚えている。
未知なる秘境の探索、襲い来る強大な魔獣、伝説の竜との死闘。数々の危機を自身の強力な魔法で鮮やかに乗り切り、仲間に頼られながら世界を巡る――そんな胸躍る大冒険が、彼女を待っているはずだった。
しかし、現実は甘くなかった。
昨今では、冒険者の大半は「冒険」なんてしない。ギルドの提示する堅実な討伐や護衛、採取の依頼を淡々とこなし、その日の食い扶持を稼ぐだけの日銭商売。
誰も彼女の持つ高度な古代語魔法の知識も、地形を吹き飛ばすほどの広域攻撃魔法も必要としていなかった。
加えて彼女の鼻持ちならない気位の高さと、現実を見ない理想論ばかりの態度が災いし、組んだパーティからは次々と愛想を尽かされて追い出された。
最近も新進気鋭の若手冒険者パーティ『銀の翼』を抜けたばかりだった。
結局、日々の食い扶持を稼ぐために雑用や使い走りをするだけのパッとしない日々。
「……あんな奴ら、こっちから願い下げよ。私を理解できないヤツら、いいえ世界が愚かなのよ」
強がりを呟いてグラスを煽るセリスだったが、その孤独と焦りは日増しに強くなっていた。
そこへ、店の扉がカラリンと開き、エリックと、その後にちょこんとついて歩くレムが入ってきた。
「や、やぁセリス、待たせたね」
「遅かったじゃない。あら、あんた弟子をとったって聞いたけどその子かしら?」
「うん! レムおししょー様のいちばんでし!」
「ふーん、まぁいいわ。はい、依頼の薬草よ。間違いないかしら?」
セリスはカウンターの脇から立ち上がり、傲慢な態度を崩さないまま手提げ袋を突き出した。
「うん、さすがセリス。最高の状態だ。またお願いするよ」
「ふん、それじゃ、ここにサインを貰えるかしら。あと、薬草の状態まで細かく注文してくるのはあんたぐらいのものよ。他の冒険者じゃこうもいかないわ、状態がどうであれ依頼料は変わりゃしないんだから」
「わ、わかってるよ。はい、少ないけど」
エリックが申し訳なさそうに苦笑いしながら渡したのは、わずかな銅貨を添えた「心付け」だった。
「ガハハハ! 首席卒業の才女様も、すっかり落ちぶれたもんだなぁ!」
隣のテーブルで火酒を煽っていたガラムが、意地悪い笑い声を上げた。
「うるさいわね、クソじじい。あんたは水でも飲んでなさい」
カッとなったセリスは鋭く指先を突き出し、小さな火の玉を放ってガラムの飲みかけの火酒の酒精をシュッと綺麗に蒸発させて飛ばしてやった。
わぁとレムが目を輝かせる。
「お、おい何しやがる……って、あれ? ワシの火酒の酒精が抜けてやがる! くそっ、ふん、悔しかったら冒険者らしい大物でも狩ってみせるんだな」
愚痴をこぼすガラムをぷいと無視していると、エリックが書類のサインを終えて顔を上げた。
「それでセリス、次の指名依頼なんだけどさ、『霊草人参』を採取してきて欲しいんだ」
「……はぁ? それって、森の奥深くの危険地帯まで入らないと生えてないじゃない。……今の私には無理よ。自分で行くか、どこかの優秀なパーティに頼みなさい」
「僕は調合に忙しいし、やっぱり綺麗な状態で採取できるのはセリスじゃないと。それにセリスの魔法があれば、森の奥の魔獣なんて平気だろ?」
「……それがダメなのよ」
彼女は自嘲気味に息を吐き出し、力なく首を振った。
「セ、セリス、僕の懐具合が厳しいのは君も良く知ってるだろ。これ以上はさすがに厳し――」
「違う! そうじゃない! 魔力を練り上げられないの! だから……威力の高い魔法が出せないのよ」
「えっ……セリスさん、魔法が使えなくなったのかい?」
カウンター越しに料理を運んでいたロイが口を挟んだ。
「魔法が使えないんじゃないわ。魔力を高密度に練れないのよ。王都の名高い薬師様に大金を払って診てもらったけどダメだったわ。『魔素枯渇症』なんて大層な病名までつけちゃってさ」
「ガハハハ、それならそこにいる凄腕の薬師様に診てもらうこった」
ガラムがエリックの方を顎でしゃくる。
「はぁ、エリックに? 無理に決まってるわ。王都一の薬師様でも治せなかったのよ。あんたに何ができるっていうのよ」
「まぁそう言うなって。ワシも一度その小僧に診てもらったがよ、案外腕が立つんだぜ」
「おししょー様はすごいんだから! レムだって治してもらったもん。セリスお姉ちゃんの病気だってきっと治せるんだから!」レムがフンスと小さな胸を張って庇う中、エリックは困ったように頭を掻き、真面目な目でセリスを見つめた。
「あー、セリス、ちょっと手首を出してみてくれないか?」




