第十二話 師匠の教え(前編)
「……さてと。参ったな」
片付けられた作業台の前に立ったエリックは、ぽりぽりと頭を掻いた。
部屋が綺麗になったのは実に素晴らしいことだったが、深刻な問題が一つ残されていた。棚を埋めていたはずの乾燥生薬の瓶や調合途中の薬壺の多くが、綺麗さっぱり「消滅」してしまったことだ。
「おししょー様、どうかしたの?」
小さなお手伝い用のエプロンをキュッと結び直したレムが、ピンと立てた耳をピクピクさせながら顔を覗き込んでくる。その瞳は「次は何をすればいいの?」という期待に満ち溢れていた。
「あー……いやね。ちょっと薬の材料が底をついちゃってさ。いつもの薬草なら商会や冒険者ギルドに頼んで仕入れるんだが、今欲しいのは採取方法がちょっと特殊なやつでね、少し費用がかかるのさ」
ペシャンコの財布をひらひらと振るがカチャリと寂しい音がするだけだった。
「……よし、お昼を食べたら森まで薬草採取に行くか」
「やくそうつみ! レムも行く!」
「わかった。だけどまずは見学だ。余計なことをするんじゃないぞ」
レムは「はいっ!」と元気に返事をすると、小さな両手を突き上げて歓声をあげた。
領都ソレイアの外れに位置するこの下町地区は、少し歩けば緑豊かな森へと繋がっている。
エリックは背負い籠を一つ背中に担ぎ、レムには小さな手提げ籠を持たせて外へ出た。
「いいかいレム。今日探すのは『葛』の根だ」
「プエラリアの根っこ!」
「そうだ、どちらもどこにでも生えている薬草だが、薬を作るのに基本的な材料なんだよ」
森に入ると、木漏れ日が柔らかく地面を照らし、さわやかな風が葉を揺らしていた。エリックは適当な広場に腰を下ろし、背負い籠を降ろした。
エリックは日当たりの良い木に巻き付いた蔓を掴み下へと辿っていく。
「おー、あったあった、これだ。よし、今から掘り出すからレムは横で大人しく見てるんだ」
レムは「はいっ」と手を上げる。
「いいかい、葛の根は土の奥深くに太く張っているんだ。だが……根を切ったり傷つけたりすると、大切な薬気が逃げてしまう。完璧な形で採取するには、根と周りの土の魔力と自分の魔力を同調させながら、慎重に土を解きほぐして引き抜く必要があるんだ」
説明するエリックの横で、レムは尻尾をふりふりと揺らしながら熱心に耳を傾けている。
エリックはスコップに魔力を流しながら少しづつ掘り進めていく。
少しづつ慎重に、額に汗がにじむ。
しばらくすると茶褐色の大きな芋のような根っこがあらわになる。
「おっ、これは当たりだ。ここからが難しいんだ」
根は地中深くへと何本も分岐しており、エリックは慎重に掘り出していった。
「ふーっ。やったぞ。レム見てみろ、これが葛の根だ」
「おおー! でっかい! おししょー様すごい」
ふふんとエリックは誇らしげに葛の根をかかげる。
「よし、もうひとつ採るぞ、レムはよく見てな」
「えーっ! レムもやりたい! でしのしごと!」
レムはピクピクと耳を立て、エリックの袖をキュッと引っ張って訴えた。やはり見学だけでは物足りなくなったらしく、自分も直接採取に挑戦したくてたまらない様子だ。
(うーん、困ったな……)
エリックは眉間を寄せた。
根を完璧な形で掘り起こすには、根と土に流れる魔力を正確に読み取り、指先から微細な魔力を注ぎ込んで土の抵抗を相殺しながら引き抜くという、魔力調整が必要不可欠だ。
(だが……そんな難しい理屈をこの子にいちいち説明するのも面倒くさいな……)
「あー、わかったわかった。じゃあレムにも任せる。ただし、コツがあるぞ」
「こつ! なあに、おししょー様!」
「いいかレム。一番効く薬草っていうのはな……『お日様の光をたっぷり吸って、気持ちよさそうにうとうとしてるやつ』なんだ」
「うとうと……してるやつ……!」
「そうそう。それとな、根っこを掘るときに力任せに引っ張っちゃダメだ。起きて暴れないように、心の中で『お邪魔しますー、おやすみなさい』って優しく声をかけてな。赤ちゃんをあやすみたいに手を添えて撫でてやると、気持ちよくなって自分からすんなり抜けてくれるんだよ」
「『おやすみなさい』……!」
レムの目が一気に輝いた。彼女にとって、師匠の言葉はすべて世界の真理であり、秘伝の極意なのだ。
「わかった! 根っこさんを起こさないように、おやすみなさいってあやすね!」
「お、おぅ、怪我しないようにそのへんで探しておいで。森の奥に入るんじゃないぞ」
エリックは木陰の岩に腰掛け、あくびを噛み殺しながらレムを見送った。
(よしよし。これでしばらくは静かになるな……まあ、適当な雑草の根っこでも引っこ抜いて遊んでくれればいいか)
エリックはもう一つだけ葛の根を採取すると岩に背をもたれかけ、心地よい風に吹かれながら昼寝を始めてしまった。
一方、レムは違っていた。
師匠から授かった「秘伝」を胸に、彼女は真剣そのものの表情で草むらへと足を踏み入れた。
(おししょー様の教え……『うとうとしてる根っこさん』と『おやすみなさいであやす』……!)
目を閉じ、すっと息を吸い込んだ。
集中すると、彼女の頭上の猫耳がぴくぴくと細かく動く。
さあっと吹き抜ける風の音。土の下で魔力を巡らせる植物たちのわずかな「気配」が、レムの頭の中で鮮明に浮かび上がった。
(あ……あそこに、地面の下でうとうと揺れてる根っこさんがいる……!)
トコトコと駆け寄り、蔓の根本にしゃがみ込んだ。そこにあったのは、地中深く太く張った極上の『葛』だった。




