第十一話 屋根裏部屋の弟子(後編)
「……それより、レムちゃん。酷い格好だねぇ。髪の毛があちこちカチカチに固まってるじゃないか」
マチルダが呆れ顔で腰に手を当てた。レムの白く柔らかい髪や尻尾の毛は、様々な薬粉と粘液が混ざり合い、バリバリに固まってひどい状態だった。
「あー、これは、水に溶かしていおいた金合歓の木の樹液だな。うん、お湯で綺麗に落とせると思うよ。ちょっと待ってて、今準備するよ」
暖炉に焚べてあったケトルに手を伸ばすとアチチッと反射的に耳たぶを摘む。
「レムちゃん、あたしが綺麗に洗ってあげるから、こっちにおいで」
マチルダはひょいとレムを抱え上げると、お湯で手際よく固まった髪の毛を洗い始めた。しかし、どれだけ丁寧に洗っても、カチカチに固まった汚れはびくともしない。薬液がさらに毛にねっとりと絡みつき、レムは「あうぅ……痛い……」と涙を浮かべる。
「うーん、落ちないねぇ。根っこまでカチカチだよ。こりゃあいったいどうなっているんだい」
エリックはおもむろにレムの固まった毛並みを観察し始める。
「ふむ、こっちの顔料の粉末が混じった部分は落ちてるな。固まったところのこの香りは、胡麻か。うーん、そうか! なるほど、アカシアの木の樹液に油が混ざるとこうなるのか。これは新発見だぞ、でかしたぞ、レム!」
「えへへ、レム、おてがら?」
「そんなことはいいから、エリック、早くどうにかしておくれよ」
「うーん。どうしたもんかねぇ」
エリックはレムの髪の毛を見て、ふと思い出していた。昔、師匠が長い髪を洗うのに使っていたあの薬。
(私の髪はなぜ美しいのかって? それはこの薬液を使っているからさ。いいかい、エリック。水と油は交わらない。油汚れは油で浮かして、木の灰で包み込んで落とすのだよ)
「……マチルダさん、一旦止めてくれ。汚れを溶かす『薬液』を作るから」
エリックは厨房から料理用のオリーブオイルと、暖炉から取り出したばかりの細かい木灰を調達した。
「灰の持つ力と油を合わせれば、こびりついた汚れも浮き上がるはずだ」
エリックは手早く作業を始めた。まず、木灰に少量の湯を注ぎ、丁寧に漉して透き通った『灰の汁』を抽出する。
それを小鍋に移し、オリーブオイルを加えて弱火にかける。
鍋をかき混ぜながら、エリックは鞄から乾燥させたカモミールを取り出した。
「カモミールは多めに。ついでに蜂蜜を少し加えてみよう」
すり鉢でカモミールを細かく粉砕し、鍋の中に投入した。灰の汁と油が混ざり合い、煮詰まるにつれて、鍋の中はとろりとした琥珀色の液体へと変化していく。
「よし……これで『汚れを落とす薬液』の完成だ」
エリックが仄かに温かい薬液を渡すと、マチルダは「へぇ、これで綺麗になるのかい」と驚きながら、手際よくレムの髪にそれを馴染ませた。途端に、きめ細かく濃厚な泡がもこもこと立ち昇る。部屋中にカモミールの優しい香りが広がった。
「おや、これは……! あんなに固まっていたのが、嘘みたいに溶け出していくよ!」
マチルダの手の中で、泡は汚れを根こそぎ絡め取っていく。洗い流した瞬間、レムの髪の毛は驚くほど白く、そして濡れた状態でも驚くほど指通りの良い質感へと変わっていた。
「わぁ……あったかい……おししょー様、マチルダさん、すごくきもちいい!」
見違えるほど艶やかになった毛並み。まるで高級な絹を触っているかのような手触りに、マチルダも目を丸くする。
「おやまあ、こんなに綺麗になるなんてねぇ。髪の毛が上等な絹糸のようだよ。ちょっとエリック! 私にも少し分けておくれよ!」
マチルダがずいとエリックに詰め寄る。
「わ、わかったよ。残った分はあげるから」
散らかった部屋の掃除という大騒動は、結果として、エリックにとって「新しい何か」を生み出すきっかけとなった。
高く上った太陽がピカピカになったばかりの作業台を照らしている。失ったメモ書きは痛いが、隣でふんわりと柔らかい毛並みを揺らす弟子の姿を見て、エリックは小さく息をついた。
「さあ、レム。さっぱりしたところで腹が減ったな。昼飯にしよう。……片付けのやり方は、食べた後にゆっくり教えるよ」
「うん! レム、ごはんたべたら、いーっぱいおてつだいする!」
自分の背中を追いかけようとする小さな弟子を前に、エリックは小さく微笑んだ。失ったメモの代わりに得たものは、案外悪くない。カモミールが仄かに匂い立つ部屋に、賑やかで温かな昼刻が訪れようとしていた。




