竜王のみやげと滅びた国 そのいち
馬車は路が切れるまで走って行く予定だった。しかし、途中、シュンプリア国で足止めをくらった。
シュンプリア国では、皇帝が残していった兵士たちがシュンプリア国の元住民と何やら話しこんでいた。至る所でそれを見ては、話しを聞きに行った。
帝国の兵士の話だと、シュンプリア国のほとんどの民は、仕事がなく、仕事があっても、大地に出来た沼地によって、生活がうまくいかない状態だという。
沼地のほとんどが、魔物が吐き出した闇の痕跡だった。そのため、魔物が出てくることはなくても、その沼地が周りの命を吸い取っていき、植物は枯れる。その枯れた植物は沼地になる。
悪循環が続いていたのだ。
原因が、悪意のある魔物を生み出した王子たちだと、ディランはすぐに分かった。けれど、救いを与えるには、シュンプリア国の住民はあまりにも攻撃的で、残念ながら、彼らは国の王子を信じ切っていた。
「救えない者達もいるんだな。王子たちが原因だとは理解しないだろう。」
皇帝が連れてきた兵士の中には、すでにこの国を捨てた王子を今でも敬う者へ、諦めと貶しが交じっていた。ディランも頷いてしまう。ここにいる兵士たちは、なんとかして、民を救ってあげようとしている。それでも折れないし、心から敬愛している王子以外を信じない。
「・・・そうだね。この国が沼地になってしまっても、彼らの心には王子たちの帰りを待つという信念がある。なら、それを許してあげてはどうだろう?」
ディランが、兵士たちにそう伝える。
「し、しかし。我らは陛下から、救える者達は救って欲しいと。」
「うん。だから、救ってあげよう。沼地に入るように、と。彼らは信じている。王子たちを。」
「・・・?」
ディランは、民と今も語り合っている兵士に一度下がるように告げる。
「みんな!王子たちはその沼地の中にいる。入れる者は入ってみて欲しい。王子を信じているのなら、なんの問題もないでしょう?」
ディランは優しく微笑みながら声を上げる。途端、民は言葉を失った。沼地に入った者が何人かいて、誰もが言葉を詰まらせた。
王子は確かに、いた。けれどその姿はあまりにも異様で、民を襲い、喰らい、そして沼地の奥に消えていった。
入ろうとした民はすぐに引き返した。
「王子はあなたたちのことを待っていますよ?何故、戻るのです。」
「な、なにがだ!あんなの・・・、あんなのはただの化け物だ!」
「おかしな方々だ。先ほどまで、私たちはちゃんと伝えましたよ?王子は魔物となってしまったと。そして沼地を作っていると。嘘なんて言っていませんでしたでしょう?信じているのは王子たちだと言い募って。」
ディランは徐々に厳しい顔になる。
「貴方たちが信じているのは王子だと喚いた。ならば、王子のいる場所へ行きなさい。迷惑だと感じているのは私たちですよ?それとも、王子も救って欲しいと宣いますか?王子は、すでに皇帝が断罪し、赦しなどない。私だって同じだ。貴方たちが王子と共にいるというなら、ここで死になさい。」
ディランははっきりと、嫌悪の声で言った。彼らが命を捨てたいと言っているようにしか聞こえなかった。助かる路を指し示すことはできても、自分の信念を曲げたくないと言う人々を救えはしない。ただし、愚かな頭を持つ人々なら、そのまま捨て置こうと考えた。
彼らは、本当に王子を信じているわけではない。国がなくなることを心配し、不安で動けないのだ。だから、ちょっとだけ押してあげるだけで、心は変わる。
さっきの襲われていた人々は、ただの幻影だ。ディランが人のようなモノ作り出し、沼地にいる魔物に襲わせた。だが、それだけで、人は動いた。
「あ、あたしはもう信じません!この場所にいたいんです!公王は救ってくれますか?!」
一人の女性が声を上げた。おそらく、本当に国に残りたいと考えていたのだろう。けれど、周りの言葉が動けなくしていた。その一言は、周りの心を揺らしていった。
「もちろんです。この国は貴方たちが築いた国。王子たちがいるから国があるのではない。貴方たちという民がいて、初めて国は成立します。一番上にいる者の幻影に、惑わされず、この国を守ろうという意思があるのなら、私は力を貸します。」
公王の言葉は、一人の女性の言葉を伝って、住まう国の成り立ちを理解させた。人々は徐々に皇帝が連れてきた兵士の言葉に耳を貸した。
沼地は、ディランが妖精と神獣に頼み、綺麗な川と池に戻していった。流れる水に魚が戻ってくるのはすぐだった。
その地を兵士たちに任せても良いと判断したのは、二日ほど野営をしてからだ。野営地では兵士と共に語らい、時折、仲良くなったこの地の民とも語らった。
去り際に、一人の老人がやってきて、感謝の言葉を述べ、深々と頭を下げた。ディランは彼に綺麗なしずくを象った石を渡した。老人は驚いてその石を見た。
「貴方がこの土地の幻獣であり、ウンディーネと呼ばれた美しい水の精であることを理解しました。この地の水源にその水の石を置いてください。きっと、この世で最も美しい場所になるでしょう。」
ウンディーネはディランという妖精王の朱い瞳を見つめ、ただ礼儀正しくお辞儀した。
その後この地では観光地が出来た。美しい水面と美味しい水産物が繁盛し、やがてシュンプリア国は新たに王が立てられ、その観光地から得た資金から、やがては帝国に並ぶ、大きな力を有するようになる。けれど、シュンプリアでは、公王と皇帝によって再建できたことに感謝し、争いではなく、共存を望んだ。切磋琢磨し、国を互いに維持するために、王と皇帝、公王は共に歩んだ。
シュンプリア国を後にした三人は、長い馬車の旅を終える頃には、マジェリスタ共和国の様相が耳に入るようになった。
特にディランは妖精たちの言葉を聞き、徐々にもっとも恐れていた事態を受け止めるしかなかった。
マジェリスタ共和国には、竜王がいる。彼は酷い傷を負って、この大地に救援を求めた。それは遙か昔の話し。
命の虎という同じ生きる伝説に援助を求めたのだ。外に広がる世界の一つに、同じように自分の大地を造りあげた竜王は、見たことのない敵と巡り会い、攻撃を受け、満身創痍でここに辿り着いた。
マジェリスタ共和国には竜王と共に多数の竜と、竜使いが住み着く許可を出したのは命の虎であった。竜王とその一族が住むこの辺境の谷に、滅多にその他の者が寄りつかないのは、命の虎が作り出したまやかしという魔法に覆われているから。
ローリエがその土地から離れたと言うことは彼女自身の身の上に何かしらの脅威が降りかかったのだろう。それが前皇帝に救済を求めた理由だ。
ーー私の考えていることと、実際に妖精たちが見ている状況・・。
ディランは眉間に皺を寄せる。
遥か上空の高い峰にある家々に残された、いくつもの争った痕跡。散乱した血液。そして、竜の翼や血糊のついた壊れた槍や剣。
大地をこれほどまでに血塗らせた者が、竜王を追いかけてきた。人ではない、何か。見える姿は魔物とも異なった。異形の者たち。
ーートロント・・。豚の顔に人の身体。頭に二つの触覚。間違いないな。この世界の『かの王』がいなくなってから、奴らが姿を見せた。トロントもそうだが、異形の者の出現は、世界の危機だ。
ディランは、生きている者がいないかを妖精たちにお願いして探して貰う。
ーートロントは妖精を見つけることができる。奴らの嗅覚は人と違う・・。気をつけて・・。
馬車は山々よりも遠くで止まっていた。それはディランがそうしたことだった。ローリエは祈るように胸に握りこぶしの右手を当て、目をつむった。マイケルは、二人の緊張感が伝わり、どういうわけか窓の外に目を向けた。
最初は霧の中、見たことのない巨大な生き物が少し遠くに見えた。なんとも言えない姿で、蛇のような尾に、三つの頭がうねうねと踊っているように見えた。
ーーなんだ?見たこともない・・。
不意に、その生き物はこちらに気がつく。三つの頭についた合計六つの瞳が、まとわりつくように、馬車を見据えた。すると、豚頭の人間が走ってくるように見えた。
「ディラン様!」
ローリエが叫んだ。ディランは咄嗟に魔法を詠唱し、トロントを数体はじき飛ばした。
ーーくえぇぇえくぐえええ
耳障りな叫び声が、得体の知れない怪物から発せられた。
「バンディガル!異形の者がやってきた!ローリエさん。私と共に竜王を探しましょう。彼は私と同じ。十七の伝説。死があっても、必ず生まれ続ける。貴方は竜使い。竜王と共に海を越えた魂。」
ローリエは大きく目を見開いた。
「では、竜王様が仰っていた、命の虎様なのですね?」
「えぇ。そうです。かつての友人のため、そして、私の大切な者達を守るために、竜王と再会しなければなりません。しかし、あの異形の者をここに封じます。しばらくは奴らの足止めになる。」
ディランは魔法を詠唱し、濃い霧を作り出した。濃霧よりも深い霧。
「ここまですごい力をお持ちだったのですね。」
マイケルは驚くばかりだった。魔法を使うことができるのは限られた者達だけ。ディランは生まれついて魔法の力を得意としていた。そしてラルフレン一族もそれは同じだ。けれど、その力をどう使うかということは、ディランの方が圧倒的に理解していた。そして、それを吹聴しなかった。
だから、周囲は彼が魔法を使いこなしていることに気がつかなかった。もちろん、マイケルだって初めて見たその使い方や、真剣な眼差しに心のどこかでどこか腑抜けているディランの本気を侮っていた。
彼は王だし、周囲がどう定義しているかをキチンと弁えていた。本気とは、どこで発揮するべきなのかを、こうして間近で見た。そして、当たり前のように気を抜く話しをする時は、周囲を気遣っていたのだ。
オンオフをしっかりすることをディランが出来ないわけない。彼は王様だし、元社長なのだ。
「マイケル。君に伝えなければいけないことがある。」
ディランの眼差しには恐怖ととれるものがあった。
「はい。」
「リーリアス皇帝の皇妃、キリンダは異形の者だ。彼女の産んだとされる双子は、彼女が生み出した同じ異形の者。この世界には、双子など生まれないのだから。」
ディランの言葉に、マイケルの心に不安以上の何かが伝わった。時期皇帝。恐れている事態。
「・・・まさか、キリンダ皇妃が?それに・・・。そうか・・・。私が、何かあれば皇帝を受け継ぐのです・・ね・・?」
ずっと恐れていた。ディランというかけがえのない家族を失いたくない。そして、ラルフレン一族の復興もまだ続いている。
だが、彼は生まれ持った血筋の運命に絡め取られ、そのピースに、はまることが確定していた。パジオノとエクシエル夫妻の子供はきっとバダデア王国の跡継ぎになる。だから、どんなに誰かを代わりとして差し出そうとしても、いないのだ。
彼が幼少期に母親から伝えられた言葉は『運命が貴方に路を指し、それを逃れる方法はない』と。母親がそうであったように、マイケルにも路は限られた。
「はは・・。ディラン様は」
「何か勘違いしているな。私はお前の友だ。お互いが王になるだけだろう。不安か?そんなもの、私も同じだ。そして、これからは、共に語り、未来を見据える。そんな風になる。マイケル。お前は、私の従者だと言っているのは、自分が王になることへの逃げ道を探しているんだろう?私は生まれてすぐに、王になると決まった。お前はそうではない。けれど、逃げ道はない。人の運命を変えることが出来るのは、嵐の神だけだろう。私が知る、王の中の王。この世に産まれた時、抱かれたのは嵐の神の腕だった。まぁ、あの方は風任せの旅人。お前はその神に出会い、願えば良い。自分はディランという王を逃げ道にして、辛い役目は断りたい、と。」
ディランははっきりと、明確に言った。全てをなかったことにはしない。ただ、マイケルへの愛は本当だったし、今も心の中は嵐だった。傷を負わせたいとは考えていない。けれど、言わないと、いけない。
「・・。私は貴方を理由に逃げたいのではない・・!でも、でも・・・。王様だなんて、思いたくない!王様になれる人はもっと・・・!もっと素晴らしい人・・。俺が、俺には・・・。」
マイケルは泣いた。ただ、泣いた。ローリエが静かに言う。
「貴方は、王様だったのね。どうりで、勇敢で、心がとても澄んでいる。相手を思い遣る。わたくしにもそのように接した。王であるが故、人を見下さず、相手を見る。」
静かな滴が、マイケルの荒れる心の海に一滴、落とされる。その滴は漂うマイケルの魂を、そっと包んだ。
マイケルの涙が止まった。ただ、濡れた瞳でローリエを見つめた。
彼女は歴戦の戦士だった。竜使いは戦い、竜王を守ることが、運命だった。守るべき王はいつも気高く、優しく、守っている戦士を心の底から家族だと考えてくれた。そのお互いの気遣いや思いやりが、王なのだとローリエは考えていた。
それは、マイケルに重なった。彼女は彼は次期王なのだと解釈していた。それが事実かどうかは関係ない。彼女にとって、温かい心をもつ、王であり、民を守る家族なのだ。
ディランが皇妃キリンダとその子供たちを野放しにしていたのは、ディランが動くためではない。彼は姉を頼った。
「・・・。すぐる兄さんには悪いけど、私はあおいの願いを叶えるわ。」
みどりは、すぐるに止められたが、旅立つことを決意していた。
「それに、嵐の神を起こさないと。私だけが出来る、唯一のこと。」
みどりは、ケロベウロスと共に、大地の境である大海原へと向かった。竜王がやってきた場所。
海風は、塩の香りではなく、甘い砂糖菓子のような香りだった。異世界へ転生した時、お菓子の世界だと思ったのはほんの一時だった。
この甘い香りが、あの異形の者が作り出したモノだと知ったとき、驚いたというよりも、納得した。
ーーこの世界にいた伝説たちがどこかで身を潜めている。私は探しながら、異形の者と相対しないといけない。とても長い旅になる。それに『彼女』はすぐる兄さんには荷が重い。せっかく幸せになったのに、今更傷に塩を与えたくはないわ。だから・・。
みどりは小さく微笑んだ。彼女はとっておきの人を呼び出した。おそらく誰一人知らない。
転生した大地はまだまだなにもかもが育っていなかった。皇帝も、帝国も。
「お母さん。お願いがあるの。」
そして、彼女とは違う時間軸で亡くなった母親が、この異世界に転生したのは、不思議な事だろうか。果たしてそれが不思議かと言われれば、不思議なのだろう。けれども。母親は転生し、みどりの近くで生まれた。
『長いときと旅は、不思議な事をするものねぇ~。』
ディランもすぐるも、知らない。母親がこの世界の王であり、嵐の神と呼ばれる、とても不思議な存在であったことを。
「ディランを守って欲しいの。お母さんは嫌かもしれない・・・。」
『何を言っているの?あたしが憎かったのは、あの魔物たちだよ?それに、あたしの存在に気づいたのは貴方だけ。本当に不思議な子。貴方の見ている未来は、ディランとは違うのね。』
嵐の神は伸びやかに言葉を紡ぐ。姿がどこかにあるわけでもないのに、当たり前のように会話が続く。みどりに見えるもの。
「・・・私は、命の虎の、影。だから、ディランと違って、妖精は見えない。精霊も。でも。見えざるものを見ているわ。」
みどりが見ている世界は、ディランとは違う。可視化できない全てを映した。嵐の神しかり。異形の者しかり。そして。
「伝説たちが隠れている場所だって、見えている。だから、ディランに出来ない旅をする。」
『・・・。貴方が願ったことは叶うでしょう。息子に会える幸せを、貴方が教えてくれた。」
「お母さん。これからも、幸せでいて。」
みどりは腕を伸ばした。川の流れを変え、母親の腕を振り切ったあの時とは違う。母親の腕がするりと伸びて、みどりの腕を掴んだ。
そして、ゆっくりと消えた。母親は、みどりが命の虎へと姿が変わると、その背の羽をさらに大きくした。
『行ってらっしゃい。そして、必ず帰りなさい。あたしは、放浪癖のある母親。けれど、愛した家族を守ると、誓ったの。何かあったらあれらはあたしの逆鱗に触れるわ。それまでは生きているだけ幸せなのだから・・』
母親の物騒な言葉を聞きながら、みどりは楽しそうにその羽を広げ飛び立っていった。
嵐の神。
神話創世の書物に描かれた、古き時から旅をするもの。その姿が降臨するとき、世界は変革しうる時となる。伝説たちが闊歩したとき、嵐の神は彼らに力を与えた。そして、邪な心を持つ敵を殲滅するように言った。その時代。彼ら異形の者たちは、異世界の世界より来訪し、自分の土地を欲し、争いを行ったのだ。
嵐の神が去った時を見越し、異形の者たちは伝説たちを追い払った。
それと同じ時。命の虎が、別の異世界人によって、打ち倒された。
『時は旅をし、旅人が還る頃には、世界が新たな扉を開ける。』
因果。まるで決まっていたことのように、異世界と異世界が交差し。時間は廻り。
ディランとみどりという双子は生まれ。二つの力に分かたれた。そして、異世界の住人たちを追い返す力を持ち帰ったディラン。その姉のみどりは嵐の神を連れて戻った。
二人がこの世界を愛していられるのは、家族がいて、友人がいて、そして、民がいるから。それだけで世界を守る原動力になった。
馬車が走る早さは行きも帰りも同じ。だが、沈黙は重く、マイケルの頭は今も帝国のことや、リーリアス皇帝やその皇妃についてばかりだった。
ーーキリンダ皇妃は普通の女性だった。何も違和を感じなかった。でも・・・。よく考えたら。
「ディラン様。キリンダ皇妃が異形の者だとしたら、何故何も行動をおこさないのです?」
「・・・すでに起こした後だ。本物だとされる女性が亡くなっている事実を誰も知らない。」
「そ・・・れは・・・!」
ディランは、自分がまだ幼かったが、リーリアスが自分の家の事情を調べた時点でおかしいと感じた。そして、キリンダという女性や双子を探しだしたと言われたとき、首をひねった。
双子が存在しない世界で、何故、双子がいるのか。
不安要素となったのはこの時点だった。双子が生まれない理由は、世界のしきたりのようなもの。それを破ってしまうほどの者が、この世界にいるとしたら、それは異形の者だけ。
それに、キリンダが皇妃となる手順がとても早かった。ディランが挨拶したのは結婚式の時。キリンダは普通の女性ではあったが、明らかにリーリアスを独占しており、ディランとの挨拶はほとんどなかった。勘違いではなく、キリンダがあちらの世界の女性の性格そのものであった。
ディランが会社の社長という肩書きを理由に婚姻を迫られた事実を思い起こすほどだった。相手は皇帝という絶対的地位の妻であることに酔っていた。
そして、愚かなことに、彼女が勘違いをしていたこと。公王が皇帝よりも身分が低いと蔑んでいた。アーナを公王妃だと紹介したときのあの意地悪い顔は、アーナにも理解出来たことだろう。
異形の者が転生した者なのか、転移してきた者かは分からない。しかし、リーリアスの妻とされる女性がいなくなったのは事実だ。それをリーリアスにはもう分からなくなっていたのも事実。
ーー皇帝も齢には勝てない。きっと、キリンダもその子供たちも、自分の家族だと勘違いしている。それに・・・。
ディランは馬車を別の路に帰路を変えた。帰りの道に、皇帝の兵士が待機している。行きに出会った兵士ではなく、キリンダの息が吹き込まれた、『マイケルの始末』を命じられた兵士。
ーー私の家族である、マイケルに怪我をさせたら許しはしない。あちらの世界に還って貰う・・!
ディランの心の内を、マイケルはいまだに理解出来ない部分があった。自分を家族だと言ってくれることと、王という器は違うのだということ。マイケルを突き放し、王になれと言えばいいのに、悩み考えることを強いる。
ディランにも、引けない一線があることは理解している。それを破り捨ててでも、マイケルが皇帝の玉座に座らせることに理由があり、ディランは子々孫々という紡ぐことがいかに大切かをマイケルに言っても意味がないと考えてそれを話さない。
王という椅子は一つしかなく。その椅子に悪意が座れば、国は滅ぶ。ディランは、ジュトラッテ家という最も古い名家を失いたくはない。彼らは、今までいく代もジェクシム家と手を繋ぎ、帝国を守った。
ディランにとって、マイケルはこの国の要となると考えた。その命を潰そうとキリンダが攻撃を始めている。
皇帝リーリアスと同列の王であるディランが、本腰を入れてリーリアスを攻撃することはできない。二人は同じ王であり、戦いが起れば帝国に内乱が起きかねない。
だからこそだった。
ディランがマイケルを王へと支持したのは。血筋の中で、この国の皇帝の跡継ぎは、マイケルしかいない。その上、相手は異世界から来た者。大昔におきた、ディランという命の虎がまた流されたら、この国は今度こそなくなる。
ーー・・・姉さんが見つけてくれる。十七の伝説たちを伴ってきっと・・・。あの空いたままの『転生場』の出所を。人が犯した過ちの『偽神の城』の拠点を・・。
ディランは願うように祈った。そして、自分の愛する家族を守るための策を、妖精たちに語りかけた。
ーーお願いだ、みんな。私は幸せを撒きたい。どうか、助けて欲しい・・。
キラキラと輝く者達は密やかに、しかし確実にディランの願いを届けるために、皇帝の城へと行ってしまった。
「・・・マイケル。」
ディランの言葉に、マイケルはいつもよりも胡乱げに視線を送った。
「話したことがないから、理解出来ないかもしれない。・・・私は、いずれ死を迎える。けれど、この血の中に私という伝説を受け継ぐ者が必ず後世に現れる。それは、その時代に必要になって現れる。そして、その時代。伝説と共に並び立つのは、ジュトラッテ家の跡継ぎだけしか見えないんだ。
「私には、今。リーリアスという皇帝はいる。しかし、隣に立つべきなのは、マイケル。君しかいない。私はずっと君とその家族であるランディバーを側に置いていた。できることなら、このままでいたいという、私の甘え。私が公王として生まれたから、公王になったのではない。君という人がいるから、ここにいるんだ。これから起こる出来事は、きっと後世にも紡がれる。」
ディランはマイケルの瞳を見つめた。マイケルは無言で話しを聞く。
ディランの顔に、あの笑顔はなかった。ただ、不安と戦う、小さな子供の顔。マイケルのよく知る顔だった。
ーー俺は、何を考えていたのだろう・・?
マイケルは、ただ。怖かった。そして、目の前の子供はマイケルよりもずっと幼い。何を恐れて、慄いて。目の前の子供はまだ王になったばかり。それに対して、大人になって、随分経つ自分は、こんなにも家族思いの子供に、泣いてまで訴えた。
大人とかそういうものがなかったとしても、この愛する家族は、自分を諭し、何度も言ってくれるだろう。そして、命令はしないのだ。ディランはマイケルと友であり、家族だとずっと、ずっとずっと言っていた。ならば自分が求めていたことは何か。
ーーあぁ。何かを見失っていた。なにか、を。馬鹿げたものだよ、本当に。
「王とは何か。私が欲しかったものは、王とかではない。ディラン。貴方の愛が、ずっとあったことを忘れていました。貴方の家族であり、友達だということも。王は、周りが王だと言ってくれることで王になれる。その椅子に座る。ケミラン様が何度も言っていたのに・・。」
マイケルは、頷いて、ディランを笑顔で見つめた。ディランは、頷き、笑った。
この日、皇帝の跡継ぎが、キリンダの子供の一人になると、大々的に発表された。一方で、リーリアス皇帝が、不死の病に斃れたと風よりも早く流布された。
ディランたちはそれをバダデア王国の国外れで聞き、帝国への路の全面的な封鎖が言い渡されることも同時に聞いた。
「・・・。帝国の路を封鎖か。それをする権利は彼らにない。それに・・・。公王の印がどこにもないという事実を、彼らにはよく理解出来ないのだろうね。」
ディランはくすりと笑った。帝国の領土を、皇帝のものと考えている者は、かなり少ない。帝国内にいる民は、公王が国の王だと理解している。皇帝は、公王を支えるただの名家だったから。そして、今も公王が帝国の王であり、それを支えているのが、皇帝なのだ。
この構図は、命の虎が大地を造ったことから始まっている。命の虎が、ジュトラッテ家に求めたこと。それは人々を守ること。大地を開拓し、村や町ができ、最後には城が出来た。
それはその地に住む人々が作り上げたもの。ジュトラッテ家の役目は、人を守り、秩序を形成し、その管理をすることだった。公王が城の椅子に座らなかったのは、全ての民を見守るために大地を見て回っていたから。
皇帝には権限がないわげではないが、全てにおいて、公王との対話をし、お互いに納得する必要があった。
だから、封鎖したという情報に、ディランは笑みを漏らしたのだ。彼らにはそれを行う力はない。もしも異形の者が封鎖に協力していた場合。それは公王への敵対とみなす。
この国は皇帝と公王の二人がいて、帝国という国を守ることになる。そこに余所の人々が入り込み、皇帝の持っている権限を横暴に使い、この国へ戦を仕掛けるならば。
「ねぇ、マイケル。私は、私の国を守ること、民を守ることを決意している。君は、どう思っている?」
「・・・」
マイケルは、ディランの中に悪戯っこが顔をのぞかせ、しかし、本気でキリンダを叩き潰す覚悟を持って言っていると理解した。
「ディラン。私は皇帝の名を継ぐ者として、君の横に立ち、君を支え、そして、民を守る。そこに異論はない。」
ディランは微笑んでいた。マイケルの、その言葉をずっと待っていたのだ。
「でも、ディラン。無理はしないで欲しい。私は貴方の家族であり、貴方を支えるために皇帝の名を受け継ぐ覚悟が出来たんだ。貴方という、最愛がいるから。」
マイケルは真剣な眼差しをディランに向けた。
ディランは、マイケルの意図を理解している。自分がかなり自由に動き回る時、自分の命すら曝け出してしまうから。それを、マイケルは不安に思っているのだろう。
ディランは、アキラを思い出した。彼は、ディランの跡継ぎになる。それが、ディランの枷になる。
ディランは、命の重みを知っている。でも、自分の重みを軽んじている。今は自分の後継者を育てる義務を持っている。それを果たさずに斃れることは誰よりもディラン自身が赦さない。
前を向け。進むんだ。しかし、命の灯火は消すことなく。
みどりが向かった場所。
荒野が広がり、荒れ果てた大地。ぽつりぽつりと、畑を耕し、農作をしている人々。死人のようにやつれていて、苦しい生活が垣間見えた。潤った水すらないのは、この地の伝説がいないからだろう。みどりは人々の様子をみつつ、遠くに残された遺物を見て、小さく呟いた。
「大きい・・。あれが、『岩の象』。私より遥かに巨体だわ・・。」
伝説と呼ばれる生き物は、人々の暮らしを豊かにするために存在している。岩の象がいなくなって、どれほど経ったのだろうか。人々が生きて暮らしていられるのも限界だろう。
みどりは人々から見えないように、姿を消し、遺物へと飛んだ。近づけばよりその大きさに驚く。姿を隠しながら遺物の中に入ると、中はがらんどうであった。
外観とは違い、内部には人の痕跡と残された亡骸。砂が積もり、ほとんどが見えなくなっていた。
「宝探しみたいね。でも、私には見えているわ。」
みどりは、姿を人に変え、そっと、その残された亡骸に触れた。骨、ではなく、何かのスイッチのように、突然、その遺物全体が大きく戦慄いた。
ーーふぅおおおおおおおおんんん。
大きな、大きならっぱのような音が響き渡った。
ーーおうおうおう!誰だね、私を呼んだのは!?
どこからだろうか、声が響く。みどりは遺物の外に出た。疲れ切った人々は驚いてすくんでいる。
遺物の上に、とても大きな象が騒いでいた。思ったよりも小さい象の頭には二本の角が生えている。
「私が呼んだのよ!」
みどりは人の姿から命の虎の姿に変わった。
「こんにちは!岩の象。」
「なななな!なんと!そなた、私と同じ伝説!これは驚いた。だが・・。なにやら欠けている様子。」
岩の象は飛び跳ね、驚き、そして首を傾げた。
「えぇ。私の大地で恐ろしいことが起きたの。それで、二対の生き物となったのよ。」
「ほうほうほう。それは異形の者のせいかな?」
「少し違うわ。けれど異世界から来た者という意味では同じ。彼らをこの世界から還って貰おうと考えているの。私たち伝説は一度も協力していない。嵐の神の願いを終わらせていない。」
「ふむふむふむ。協力・・。良いだろう。私もこの大地を穢されて、人がいきられぬようにされたのだ。怒りにふるえておるよ。奴らがいなくなったら、元に戻るだろうか。」
「嵐の神に聞いてみるわ。あの人は今、私の側にいる。」
『救えぬものがこの世にいないのはあたしもあんたたちも知っているだろう?安心すると良い。この大地は綺麗になる。』
風のあいだから声が聞こえた。
「なんと!嵐の神よ!貴方が何故・・・?」
岩の象は驚いて、しかし、それよりも疑問を口にする。
『ふふふ。あたしの望みを叶えてくれる。それだけ。』
風が舞って、岩の象の遺物に清らかな水が湧き出た。水は涸れた大地を一部分だけ蘇らせた。
『時間が経てば、泉はより広がる。あんたたちがあたしの願いを叶えてくれることを望むよ。』
岩の象はじっとその泉や生きている人々が生き生きと走る姿を見て、ただ、
「ありがたき幸せ。こんなにも・・・。」
と、呟いた。ほっとしているのか、あるいは、この先の未来に想いを馳せたのか。
「岩の象。一緒に来てくれる?」
「・・・あぁ!私の命と同じこの大地に感謝を。願いもなにも。私だって憎んだ相手。いこう!いこうじゃないか!」
その大きな象は激しく地ならしした。大地にひびが入り、そこに新たな泉が生まれた。人が喜び、詩を歌い、枯れていた大地に少しずつ、活気が戻っていく。
みどりは、その様子をみて、人々に彼女が出来ることをした。彼女は枯れていた大地に花を咲かせ、木に作物を実らせた。二人の伝説に、人々は歌い、感謝の言葉を捧げた。
今まで止まっていたこの大地が時を刻み始めた。生きる者達に伝説たちは生きろと言った。そして、閉ざされていたはずの海路が二つの大地を繋いだ。
始まりの詩は、こうして紡がれたのだ。
歩け、歩けと。
生きる者が生きるために、詩を謳歌し、その足で、伝説たちの進む先に前を向け、と。
人よ、我らは伝説と生きている。異形の者を打ち倒し、我らの大地を輝かそう!
前を見よ。我らには、生きるための知恵と力がある。
そして、伝説は我らを愛している!
詩は人々が口伝のように伝え、大勢の人が岩の象に詩を捧げた。
今まで隠れていた人々が集まり合唱する様は、本当に、素晴らしかった。象は大きな鼻を掲げ、大きく鳴らした。
大地の復活。合図は大地の人々に新たな目標を生み出した。そこに生きる者たちの、これから生きる未来。象は嬉しそうに巨体を揺らして、みどりと共に出発した。
次の話:竜王のみやげと滅びた国 そのに




