実家に帰ると安堵する、というマイケルのつぶやき
あの日からずいぶんと時は過ぎた。
マイケルは母親のシンシアとは別の部屋をあてがわれた。父親の意向が大きかったのだが、マイケルにとって家族はシンシアのみだ。
教育だけはちゃんとさせることとした家族の方針は確かに素晴らしいのだが、父親はシンシアを愛さないし、なにより、シンシアは父親を憎んでいるのか、一切の会話をしない。マイケルを産むことになったのは、父親が無理矢理抱いたことが原因だ。
父親の意図として、ジュトラッテ家の子供が生まれればそれはすごく良いことだったし、祖父が誘拐してきた生娘がジュトラッテ家であり皇族であることを知った時、すでに子供が生まれるための細工など手抜かりなく行った。
そんな恐ろしい出来事があって、生まれたのがマイケルだ。シンシアは父親を悪く言うこともなかったし、あえて子供にそのような話しもしなかった。ただ、マイケルに向ける愛情は優しく、母親として、また皇族として、マイケルが正常に、かつ、次代の若者として、成長することを願った。
皇族の女性が狙われることはよくあることであり、シンシアもそれを受け入れた上で、皇族の女性として教育を受けてきた。
けれど、マイケルは純粋無垢だ。子供の頃に受けた傷が年齢を追うごとにきっと形として現れてしまう。だから、シンシアはあえて、この国の制度に倣った成長を促すことにした。
そして、シンシア自身は、もう故郷に帰ることができないのだと理解し、息子の存在を兄である皇帝へ知らせたいとは思わなかった。
シンシアは息子の行く末が成り行きによって歩ませることを望み、最後まで自分が皇帝の妹だと伝えなかった。
マイケルの姿を見る度にランディバーの中にあるもやもやはどうしようもなくなっていった。シンシア義母さんのことは大好きだったし、いつだって本当の息子のように接してくれる母親だった。
やがて、成長するにつれて、ランディバーは家を出る支度をするようになった。兄が家を継ぐことは疑いようもなくて、出来ることをしたいと考え、騎士になるための学校へこっそりと入学した。
母親も父親もその事実を知らないし、知ろうともしない。しかし、シンシアには気づかれた。ある日、シンシアに呼び出されて、ランディバーに尋ねた。
「貴方は、騎士になるの?」
「・・・えぇ。それが?」
ランディバーを見つめる瞳は嬉しそうにしていた。
「いいえ。素晴らしいことだわ。応援しているわ。それと・・・。」
シンシアは磨き上げられた剣を差し出した。
「これを。貴方が誰かを守るために必要なものよ。できれば・・・。息子をお願いしたいの。」
「・・・!」
ランディバーは剣に手を伸ばしかけたが、不意に止めた。
「貴方が、マイケルを嫌っているのを知っているわ。でも。きっとあの子を求めるのは貴方よ。貴方はマイケルを愛してくれている。あの子を見つめる貴方の瞳は輝いていたわ。」
シンシアはこの日、ランディバーの心の底に積もったものをすくいあげ、詳らかにした。ランディバーが苛ついて、むかついていた全てを、義母さんは全てを見抜いていた。
手は剣を掴んだ。自分が大切にしている存在は義母さんだけだと勘違いしていた。本当に大切だったのは、マイケルという義弟。きっと彼の成長を後ろからずっと支えていく。守り、尽くし、忠誠を誓うのだ。
何故か、その時ランディバーは、それが夢ではなく現実になると考えていた。マイケルが何物でもない今、義弟を守り、永久に彼のしもべとなることをランディバーは決めた。果たすことの一つになった。
シンシアを手にかけたと後悔するのはもっと先だ。
実際、シンシアが毒を飲んだ事実はあるが、シンシアはマイケルが渡したものを飲んではいない。マイケルを唆した者によって毒殺された。
心の中に傷を負ったランディバーは傷を負ったままマイケルを追った。マイケルに赦しを請うつもりが、敵対し、幼いディランを甘やかすマイケルに苛ついて、自我を見失ったのは、魔物のせいでもあるが、ランディバーとて自分の心のすみにマイケルとシンシアのことをいつも考えていた。
過去にあった残骸はランディバーを素直な気持ちからほど遠い場所へと運んでしまっていた。
だが、公王となったディランが戻ってきたその日、ランディバーには後悔と懺悔だけが留まった。愛する人を貶したこと。殺意はなくても、殺すことの手助けをしたこと(勘違いであったとしても、彼の心には大きな影となった)。
ディランは、ランディバーを赦した。罪だとかそういうことではなく、マイケルのために、赦したのだ。心の広さは、ディランもシンシアも同じだった。
年齢や性別など関係なく、マイケルという存在を守ることをディランはランディバーに誓うように伝えた。シンシアと同じようにしかし言葉ははっきりとしていた。
『彼は皇帝の甥として、生きるだろう。その名はどのような立場になろうとついて回る。君は、彼を愛している。義弟という存在をこよなく、ね。彼を失うことは私は絶対に許しはしない。だから、守ることを誓うんだ。私を守ると誓う必要はない。君が守るのはマイケルただ一人。私の執事であり、君の愛する家族を。』
ディランは笑顔でランディバーに伝える。その計り知れない恐怖をランディバーは黙って頷き、受け止めた。
その日を境に、ランディバーは常にマイケルを視界に入れた。そして気づく。愛する存在の尊さに。ずっと彼を見ていても、何も心に湧き上がらない。
昔感じた、苛つきや不安。それはいつだって、マイケルが見えないときにあった。ずっと側にいることの安堵や安心が何故あそこまで、愚かな行為へと走らせたのかを理解させた。
ランディバーははっきりと理解していた。ただ一人の家族を愛していることと、それを守り通すことを。誰よりも近くで誓い、誰よりも側にいる。
マイケルがジュトラッテの名を受け継いだ日。
マイケルはいつもよりも数段上の服を身につけた。ただの執事とは違う、王族の一人として、リーリアス皇帝に謁見した。その横にランディバーを伴うことができなかったのは、皇帝がマイケルと話しをしたいと言ったからだ。
「シンシア叔母さんの話しをして欲しい。わしがまだ幼い頃にいなくなってしまってね・・・。」
リーリアスは、家族の話を求めた。マイケルはゆっくりと、いろいろな昔話をした。その中にはランディバーの話しが必ず絡んでいた。
「・・・そなたは、義兄を許し、家族だと考えるか?」
リーリアスは、マイケルをじっと見つめた。
「私の家族は、ランディバーのみだと考えていました。こうして、名を受け継ぐまでは。私の家族はランディバーも含めて、公王であるディラン様と、その奥方であるアーナ様。私にとってこんなにも尊い人々が共にいること、いられること。それだけで胸は一杯なのです。」
マイケルは幸せそうに言葉を紡ぎ、微笑んでいた。
「・・・そうか。この帝国を継げる存在であっても、継ぐつもりはない。家族が別にいるから・・?」
「はい。私はこの帝国が永久に平和であることを願いながら、隣国に力添えします。私に出来ることがあるから、ディラン様が応援してくれます。それだけではない。私を慕う者は、ついてくると言ってくれた。私にはこれほど生きていく価値のあることはありません。母様が亡くなった日。私は絶望に震えた。事実を聞いて、母様が母国に帰ることが出来ないと知り、悔しかった。でも違う。今はたくさんの人が、私が何者でもいいからと、手伝ってくれて。これほど私を奮い立たせてくれることはありません。」
マイケルの顔が輝いていた。それは、リーリアスにもあった顔。自分を信じてくれる者達への感謝と、共に苦労をしてでも願ったことを達成する者のみに現れる顔だ。
甥にはもう、何かを伝えることはない。元から確認だけのつもりだった。義兄を憎んでいるかどうかも知りたかった。でも、全ては明白なことだった。
憎しみがあったなら、ディランは側に置かせない。ディランは赦した上で、マイケルの横にわざわざおいた。それは、家族だからと理解し、義兄の心にある義弟の思いを汲み取った。
ーーディランは本当に素晴らしい観察眼を持っている。わしはそんな公王の横に立つ息子と娘を立派にするまで。二人が立派に育つのを・・。
皇帝はその日。双子という存在に疑問を持つことになる。その理由はキリンダ皇妃の連れてきた若者たちとの交流である。
マイケルは隣国であり、新たに立国したセイラーン国に出向く前日。
忙しく動き回って、自身がその手で立国させるまでの手伝いをした王国の者達が、ようやくセイラーン国の政を安定させ、数日。
ランディバーとは会話などする余裕がなく、けれど、常に側で護衛をしていた。当たり前のように義兄はマイケルの側にいたし、それが当たり前だったから、気にしていなかった。
立場というものは、常に自身に貼り付けられているようなものだ。マイケルがランディバーを義兄だと説明したことはないセイラーンのラルフレン一族の一人が、ランディバーと何気なく会話していた。
それを目に留めて、マイケルの中で今まで感じたことのない、言葉で表現しようにもどうすることもできない感情が芽生えた。
そして、前日。
マイケルとランディバーは穏やかなティータイムを過ごしていた。
「義兄さん。この前のあのラルフレンの女性と、どのような話しをされていたのです?」
唐突に、穏やかさが消えていく。
「・・え?」
「ほら!この前。なんか、良い感じだったから・・。」
「は?いやいやいや。俺とマイケルが兄弟なのか聞かれたんだよ。なんだよ、良い感じって・・。」
ランディバーが少し顔を赤くして首を振り、頭をかく。
「え?兄弟って見れば分かるでしょ?」
「見てもわかんないだろ。俺たちの血は半分しか同じじゃあない。それにお前はジュトラッテ家という王族の血筋を引いている。なんだろうなって思ったんだろ。」
ランディバーには越えられないものがある。それは血。お互いが確かに兄弟と認めていても、流れている血脈で、越えられない壁があるのだ。
「なんだ、それ。俺と義兄さんは兄弟だろ?わざわざ聞くなんて・・・。」
それを、マイケルはけっして認めない。認めれば、彼と周囲の心はきっと深い溝が出来る。
「・・・。お前が、王様になったとしても、俺は認める。俺はお前がどんな存在になろうと、俺の家族だ。そこに何かがあるとしたら、妄想だ。俺はお前が家族である限り、いつまでも味方であるよ。お前がそれを認められなくとも。・・・愛しているのはお前だけだ。」
言葉が流れるように吐き出された。昔、ランディバーがシンシアに言われた言葉。愛する者の幸せを誰よりも願い、その命を消した。シンシアだけがランディバーの心を知り、マイケルを預けたのは、母親として、息子の幸せを願ったからだろう。見えている未来に自分がいなくとも、幸せだけを願う母親。その真意をちゃんと理解したのは、ランディバーも同じように家族という愛を求めて、見つけたからだ。
「・・・。義兄さんは、母様のことを今も好きなの?」
「どうだろうな・・・。シンシア様は、確かに美人だったよ。でも、もう亡くなられてからだいぶたつ。」
「あ!やっぱり、好きだったんだ!」
マイケルは少し戯けた。
「あぁ、まぁ。お前の顔が美形なのはそのせいなんだよな。」
「俺は義兄さんみたいな、男らしい顔が良かったよ。」
「うーん?俺の顔が男らしいってことはないだろう。どちらかというと不細工だろう・・。」
ランディバーはとてつもなく真剣に答える。もともと、そういう性格だ。堅物と言えばそうだろう。一方で、マイケルは意外とのりが良い。リーリアスと相性が良いだろうし、そういう血筋なのだろう。
「なに言っているの?義兄さんは格好いいよ。あと、俺の事を今も愛しているって言うのって、母様の影響だよね~。」
マイケルは笑う。
「それは、そうだな。シンシア様が俺の事を大事にしてくださって、いつの間にか同じ事を言うようになったな。」
「うん。本当に、母様って義兄さんを大切にしていたよ。嫉妬していた理由ってやっぱり自分のものに手をだされたからかなー。」
マイケルが呟いた。真面目な顔で頷くランディバー。
「あの頃、お前が必死にシンシア様と俺を引き離していたからな。」
「そうだねー。俺からランディバーとろうとしていると思ったから。母様は困っていたけどね。」
「・・・?」
ランディバーは困惑しながらマイケルを見つめた。二人のあいだに、いつの間にか、穏やかな空気が流れている。
「あの頃からずっと。義兄さんを俺の元に留めようと考えていたんだ。だって、他の兄弟たちは、頭がおかしいし。義兄さんだけが、まともだったから。俺と一緒にどこかに連れて行きたいって、思っていた。」
「・・・それじゃ、俺は元からお前の思うとおりに動いたわけだ。」
ランディバーは、納得して頷いた。それなら、それでいい。マイケルを家族だと認めているのはお互いであり、ディランという公王だけで十分。
「それじゃ、この前の女性に兄弟かどうか、話していないことを怒るか?」
「く、はははは。なにそれ。結局言わなかったの?」
「そりゃあ、言わないだろう。俺にとって、重要なのは、お前だけ。それ以外に関係性を教える必要はあるか?」
「くく・・。ううん・・。言わなくて言い。俺も義兄さんだけが家族だし、それを言う必要なんてないから。まぁ、いずれ結婚したときぐらいかなー。」
「それは俺も同じだな。お互いに結婚はかなり遅いと思うけどな。」
ランディバーは小さくため息をつく。マイケルはいまだに笑いを堪えているが、彼はいずれ皇帝になると、ランディバーには思えてならなかった。
ティータイムは穏やかに時を刻んだ。
マイケルの実家は、ディランの城である、公王城。今はまだ、そこが実家なのだ。
穏やかに過ごしながら、ディランとアーナの姿を見て、幸せを噛み締めた。その子供のアキラが成長する姿をいつまでも見ていたいと考えるのは、親馬鹿に近いだろう。
マイケルは今でも、王という存在を、認められない。その玉座が空いた時、果たして彼はその椅子を座るのだろうか。
穏やかな日々にも、いずれはその時が来る。
彼が望んだ路が、彼の思う路ではなくとも、彼は決断しないといけない。
ディランがそうであったように、決断の時が時を刻みながらやってくる。
穏やかに過ごせる実家。
心の底では、このままではだめだと、耳打ちされる。
決断と、自分の意思。そして、家族という信頼する義兄。すべてが編み物のように編まれていく。
けれど。今日だけは。
実家は安堵するなーと。
考える、マイケルの一日。
短編:実家に帰ると安堵する、というマイケルのつぶやき・・完結




