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過去の残骸 ー還ってきた王の祝宴ー  作者: あおぞら えす


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王たちの宴は華やかに語られる


 シュンプリア制圧は、隣国ラハスに激震をもたらした。しかし、他の国に影響などない。

 シュンプリア国とラハス国は連名国と名乗っているが、実際はロギステヌ国という大国と足並みをそろえていたからこそ、その連名は続けられた。ロギステヌという大きな国の傘下に入り、自分たちはのうのうとしていた。

 ロギステヌが滅びたという事実を知らないまま、欠伸をしながら現状維持を続け、帝国の皇帝が来るなどと、予想もしない。



 ラハス国国王、メイヤード・ストリハスは、自分の書斎にて第一兵隊隊長、ボウドによりシュンプリア制圧の報告を聞いた。

 話しによると皇帝リーリアス自らがシュンプリアまで兵士を引きつれ制圧に踏み切ったということ。そこに公王はおらず、その代わりに、リーリアスの甥であるマイケル・ジュトラッテがいたという。

「まさか、リーリアス皇帝に甥がいたとは・・。実際に甥がいた時点で、後継者問題は片付いたように感じるな・・。」

 メイヤードは独り言のように吐き捨てた。

 ジュトラッテ帝国の次期皇帝として、男児が跡を継ぐ。それは慣例で、絶対ではないが、周りは意図的にそうしようと画策する。そこへ、直系の男児が現れれば周りが放っておくこともないだろう。隣国バダデアに誘拐された王女が産んだ子供と明確な血筋も揃っている。

「本当に玉座に座れる立場が生まれていた・・。我が国にもその立場の子供がいるとは、きっと知らないだろうが、なぁ・・?」

 メイヤードは締まりない顔をしながら嗤った。


 ラハス国は小さな国だ。周りにある大きな土地を持った国と違い、小さな島国だ。国の資源は土地の三割を占める水源。

 また、シュンプリア国と違い、周りは海ということもあり、国交には船が必須だ。

 さて。メイヤードの城の地下壕にジュトラッテ帝国の前皇帝の姉が誘拐されてから、数十年経った。消息が掴めないまま忘れ去られた前皇帝の姉、ローリエ皇女はラハスの王族との結婚を強いられた。しかし、ローリエ皇女は王族ではなく、貴族の一人、アニシア公爵とだけ心を許し、いつしか彼以外との逢瀬をしなくなった。王族はアニシアにローリエとの間に子をつくるように指示した。

 そして、二人の間に子供が生まれ、名をパニシアと名付けられた。そして、その日を境にアニシアは行方を暗ました。パニシアはローリエ皇女に似て、綺麗な白銀の髪に透けるような白い肌をもった女の子だった。

 メイヤードの父親であったその当時の国王は、ローリエとの間に生まれた子供が女の子であったことに激怒した。男児を欲しいと考えた父親は、メイヤードにローリエとの子を儲けるように命じた。

 ローリエが嫌がることを想定し、メイヤードはアニシア公爵を連れ戻すことにした。アニシアはメイヤードの命令を無視して国外へ逃亡し行方が途絶えた。

 それからしばらくして、前国王が逝去し、ローリエとその娘パニシアは二人とも顔を合わせることなく暮らさせたおかげで、パニシアは自分がジュトラッテ帝国の血筋を持っているとは知らないまま、メイヤードとの距離を縮めた。パニシアは公爵家の娘として育てたかいがあったと、メイヤードは自画自賛し、いずれは皇帝の姪の夫であると名乗り出る予定だった。

 パニシアはメイヤードがプロポーズしたことで、婚姻が成立した。年齢差はあったが、地下壕にすむローリエ王女との接触がなかったことで、スムーズに進んだ。

 やがて、二人には四人の子が儲かる。男児が三人に、女児が一人。


 メイヤードは、リーリアスが万が一にもこのラハス国に攻めてきたとして、自身の血の繋がりを明確に告げれば手出しできないと信じた。


「リーリアス皇帝には伯母などおりませんよ?」

 それを、甥であるマイケルがいうまでは。




 ディランはシュンプリア国とラハス国襲撃について、すぐるから説明を聞いた。

「あの二国はずっと戦争を考えている様子だったからな。皇帝に伝えたよ。意図する動きも全部な。」

 すぐるは宵の国と帝国領を行ったり来たりしている。相変わらず自由な兄だなぁとのんきに考える。

「ふーん?そういえば、『あいつ』はどうしたの?」

「父さんか?あれはもう、うちの嫁がちゃんと封印してくれた。まさか、嫁の命を奪った奴が親父だったなんて、今でも考えられない。」

「フランヌさん・・。一体どの時点で記憶を戻したのかな?」

「・・・。さぁな。俺の事を愛していることは俺を優しく撫でる手つきで分かったし。会えたってだけてで幸福だったよ。」

 すぐるは照れたように笑った。本当に愛しているからこそ、伝わる言葉。

「兄さんはどの時点で、私と姉さんのことを理解したの?」

「うう~ん、とな。双子っていうのはだいぶ前から知ってはいたんだ。でも、俺、緊急手術をしただろう?その時に記憶が曖昧になってしまってな~・・。でも、明確に思い出したのは、間違いなくあの震災のあとだ。お前とみどりが川に投げ捨てられた時、本当に心の底から母親を憎んだよ。でも、そのあと母さんも一緒に飛び込んだのをみて。ああ、そこまで病んだのかぁって。俺は、本当は、二人だけじゃなく、三人とも救うつもりだった。」

長兄は、かなりしっかりとした感情を持っていた。すぐるを大切に思う感情はディランとみどりにもあり、相互的に家族という感情が生まれいた。父や母がその中にいないのは、二人には大きな溝があり、その子供達を深く愛せなかったことと、そのほかに、父親とその母とのあいだに、複雑な感情があったためだろう。祖母の話を、母親はしなかったが、父親は事あるごとにすぐるに伝えていた。

 すぐるが、父親とその母の隠し子だったと知るまで、すぐるの生きてきた道は輝いていた。しかし、その事実を知り、祖父が祖母を殺し、その事実を聞いた父がすぐるの妻をも殺したことで、すぐるの心は壊れたのだ。

 ループしていたすぐるの妻は、原因が自分にあり、父親であるフレヴェルグの封印を試みて、成功した。彼女はそれがきっかけで、最後は元の時間軸に戻り、やがて、宵の国へと流され、すぐるに再開した。

 その話は、すぐると彼女の物語を語るために大きな書物に物語を書いているらしい。

 二人には子供が授かり、すぐるは世にも珍しい犬にもなれる父親になった・・らしい。




 ディランは、サムシルと共にバーダンの元に赴いた。彼の住む土地には、昔からエルフィンの物語が語り継がれている。無論、バーダンがその子孫だということを知る者はほとんどいないが、エルフィンが住んでいそうな石材を使った石が積まれた家々が、いくつも並んでいる。

 背の高いエルフィンたちは、小さな家に住むことが多いのだという。

「ディラン様。最近、私の元にも貴方様の結婚式の招待状が届いたんです。」

「それなら良かった。そろそろ届いて欲しかったんだ。」

サムシルの嬉しそうな顔での報告を聞きながら、ディランは微笑んだ。

「それから、皇帝陛下のものと、隣国の国王のもの。どれも敷居が高いと感じていたのですが・・。」

「うん?」

「私、ディラン様の招待状をみて、気がついたんです。」

「ふふふ・・」

「皆さん、わざわざ。服装はご自由に。って。そのあとに、一般の方にも同じようにお送りしておりますって!」

 サムシルは興奮していった。

 それが、三者が合同で開くという話しをする際に、最初に取り決めた約束だった。民が祝いに来ることを望んだのだ。だからこそ、服などで煩うことがないように、添えて書かれた。

「ディラン様たちの配慮は、私も含めて皆が喜んでいます。いずれは、皇帝陛下のご子息かご息女がこの国で、ディラン様と共に世界を作られます。俺は、楽しくって!」

 サムシルはただ、しあわせそうに笑った。

 未来が明るく見えるのはきっと、若者達だけではない。

 ディランは、自分の隣に立つ者達が、この大地でも変わらず前を向くために輝きを見いだし、その輝きを目指して進む。

「・・サムシル。私は、間違っていないだろうか?」

「・・?」

「私は、みんなが笑っている世界を望んでいるんだ。そして、私も笑っていられる世界。しあわせを享受して、誰もが不満のない、輝く世界。」

「・・・。ディラン様が考える世界は、壮大ですね・・。絶対にそうであってほしいと思います。けれど、そんなにみんなはいつも笑ってはいません。真剣に考えているときもある。悩んで苦しむこともある。」

「・・・うん。」

「でも、それって、普通のことだし、ディラン様が悩むことでもない。ただ一つだけ言えるのは、ディラン様が考えている事って、そういう『普通』が毎日続くことですよね?それが毎日続くなら、俺はそういう世界が一番嬉しいですね!」

 サムシルは楽しそうに笑う。その言葉はディランの心に何かを思い出させた。


 幼少期の姉と二人でぼんやりと過ごした家の中。母親は育児を放棄して、二人は静かにしていた。命が絶たれるまであとどれくらいだろう。飢餓もあるのに、二人は泣くことすらなかった。

 冷える部屋に取り残され、まだ歩けない子供。母親は帰ることなどない。

 ガチャ

 戸が開いて、兄が入ってきた。二人を見て、すぐに温かい毛布を掛ける。

「あの女・・・!また・・・!」

 怒りで震えている兄は、顔を真っ赤にしている。

 兄は、幼い双子に、温かい食事をゆっくり与えた。

「・・・。」

 兄は、優しく、双子を抱いて、双子の代わりに泣いてくれた。



 あの風景はきっと異常だった。そういう異常ではない、普通がいい。サムシルの言葉は、ディランの心を温かくした。あのとき、兄が来ていなかったら、きっと今はない。

ーーあの日のこともそうだった。

 世界が輝いて見えることなんてずっとない。ただ、暗雲が立ちこめて周りに粘つくようなものを感じていた。

 フレヴェルグは父親であるただしに引き寄せられいつしか二つの魂は融合されたのだろう。そして、ただしの父親から継承された。フレヴェルグが潜んでいた場所はあちらの世界だった。

ーー私がこちらで死んだ時、すでにあちらに渡っていたのは、間違いなくあの悪意の塊だった。もし、私が死んだ際に、ドワーフの族長共々向こうに流されたのであれば・・

 ディランははるか彼方に流れる大きな雲が、悠然と、その場に留まることなく、風と共に去って行く、その風景に心の底にあった、かき混ぜ終わった泥が少しずつ消えていったのを感じた。

「この国はサムシルさんのような素晴らしい人がいるからこそ、輝いているんですね。」

 ディランは微笑んだ。その言葉にサムシルは少し照れたように返した。

「それは、ディラン様という誰よりもまっすぐに前を向いている人がいるからですね。俺、貴方が還ってくることを強く望んでいたんです。理由なんてつけるものでもないですが、きっと、ディラン様の考えていることを具現化させるために、俺たち、待っていたんです。」

 サムシルは、空を指さした。ディランはつられて見上げた。そこには、大きな花火が打ち上げられていた。音は小さいのに、見たことがある花火。

「ラルフレン家の方々が、エイドさんと共にバーダンさんのお宅に泊まっているんです。あの、『花火』というものを披露していらっしゃって・・。」

 ディランは、心が弾んだ。サムシルも嬉しそうにしている。バーダンの家までもう少し先。


 坂を上っても道は続いている。けれど、足踏みしているなんて馬鹿なことはしない。

 前を向いて歩くこと。それを忘れずに。




 ラハス国にも、やはり皇帝の一行がやってきた。

「メイヤード・ドリエヌ。貴公とその家族は今後皇帝リーリアスの手元に置かれる。」

 マイケル・ジュトラッテが朗々とリーリアスから預かった手紙を読み上げた。

「お待ちください。わたくしの妻は、前皇帝の姉君の娘パニシアでございます。貴方の親戚でありますよ?」

 メイヤードは意地汚く嗤った。マイケルは深いため息をつき、

「そちらが知り得ぬ事は多い。たしか、ローリエという娘を誘拐し、この国に捕らえた、と。確かに我が国の歴史書物には、その情報はあります。」

「それならば・・!」

「ローリエ様は、ジュトラッテ帝国の娘ではございません。正確には、シュンプリア王国よりもさらに南。山岳地帯に住んでいる、マジェリスタ共和国の竜使いの一人です。あの国の竜使いは貴重な存在。マジェリスタ共和国には、すでに連絡を差し上げております。」

「・・・は?」

 メイヤードは、マイケルの言葉に愕然とした。確かに、重要な人物だったのだが、皇帝を黙らせる存在にはならない。しかも、他国への裏切り行為を働いていたとも言える。

 マジェリスタ共和国の竜使いは、確かに素晴らしい存在だが、竜を伴っていないのであれば、意味がない。しかも檻は地の底にあり、彼女が空を飛べなくなってから数十年は経っている。

 竜と共にあり、竜と共に過ごすことで、竜使いはより強くなる。

 彼女は、もう空を飛べないだろう。そして、二度と竜の側に近づくこともない。


 メイヤードとその父親が犯した罪。ローリエとパニシアを道具として見ていた。その子供達もしかり。ラハス国は、国王の命ずるままに彼らをもてなし、子供は自由に暮らした。

 国王がいずれ帝国の一部になることも、それが貴族の首を絞めることになることも、何も知らずに。ただの勘違いが、国を滅ぼした。


 マイケルはローリエ嬢を地下牢から救い出した。

 ローリエは、痩せ細っていたが、綺麗な青緑色の瞳はいまだ輝きに満ちていた。紺色の長く伸びた髪と透けるような白い肌。そして、尖った耳。マジェリスタ共和国の竜使いにしか備わっていない特徴だ。

ーーよくこの姿を見て、ジュトラッテ帝国の皇帝一家だと思ったなぁ・・

 マイケルは、しげしげとローリエ嬢を見つめた。ローリエはマイケルが見ていることに気づき、少し微笑んだ。

「・・・!」

マイケルは一瞬、身体が火照った。今までにない感情。すぐ側には、ランディバーも立っていて、二人の様子をすぐに察知した。

「ローリエ嬢。貴方は、アニシア公とのあいだに子供を産んだでしょうか?」

 マイケルがなかなか話しを進めないので、ランディバーが問うた。

「・・いいえ。アニシア様は、わたくしと関係のない女性とのあいだに子供が出来て、お困りだったそうです。なので、代わりに、私の子供だと偽ってはどうですか、と。」

「なるほど・・・。それでは、ローリエ嬢はマジェリスタ共和国では、どのお立場でしょうか?僭越ながら、私は共和国のことを存じ上げないのです。お聞かせ願いますか?」

 ランディバーの紳士的な言葉遣いや姿勢に、ローリエは小さく頷いて、語り出した。

「共和国では、一人の国王と、三人の騎士で国が成り立っております。特に騎士は竜使いが選ばれ、それぞれ、青の騎士、緑の騎士、黒の騎士の三つの家柄の長子が務めるのです。

「わたくしは、黒の騎士の家柄で、三女でした。三つの家柄では、国王の一族と共に繁栄させるために順番に国王の王子に嫁ぐ決まりがありました。

「わたくしは、運が悪いのか、第二王子との婚姻が決まりました。第二王子の女癖の悪さは有名で、わたくしとの婚約の顔合わせの日、彼は取り巻きの女性と共にあろうことか、わたくしの父の前で女性達と恥ずかしいことをしだしたのです。あまりのことに父は怒り、国王へ直談判にいってしましました。

「そのあと、わたくしは皇帝の元に赴きました。皇帝はわたくしを友達だといってくださる、優しい方。結果として、その日、わたくしは誘拐され、盛大に勘違いされたのです。」

 ランディバーは驚いたが、マジェリスタ共和国の話しを聞くことは滅多にない。国を閉ざして数百年は経っている。前皇帝の人脈は広かったのだろう。

「ローリエ嬢。貴方をマジェリスタ共和国にお連れします。このような国の処罰を含め、お話ししたいのです。」

 マイケルは口を開くと、真摯にローリエを見つめた。

「・・・いいえ。わたくしはこの土地に何年もいるあいだに、竜の声を聞けなくなったのです。帰る場所など、もうない。」

「いいえ!」

 マイケルは首を大きく振った。

「実は、わたくしの母は帝国の皇女として誘拐され、わたくしをよその土地で産み、そのまま亡くなりました。ずっとその亡骸が帝国に戻ることはないと考えていました。ですが、わたくしの主である、公王は母を帝国の城に持ち帰り、眠らせてくれた。それだけではない。帰ってきたことを大勢の人が喜んでくれたんです。

「だから!貴方は、生きておられます。帰れば、きっと待っていてくれる人はおります。どうか、共に同行し、貴方が生きていたことを、ご家族に教えてあげてください。わたくしの母のように、亡くなったその亡骸ではなく、その声と言葉で、『ただいま』を告げてください。」

 マイケルは片膝をつき、ローリエの手を握りしめた。温かい温もりがローリエの冷えた手と心に伝わった。

「・・待ってくれているでしょうか?」

大粒の涙が、マイケルの手に落ちてくる。

「きっと。貴方がいなくなったことを悲しみに暮れる者はいる。」

 マイケルの言葉は、まるで自分にいっているようにも見えた。マイケルは、母親の亡骸を出迎えた大勢の顔を今も思い出す。静かに帰ってくるはずだったのに、いつの間にかたくさんの人が待っていた。あのとき、心の底から、母親を愛してくれた者達に感謝しかでてこなかった。どんなに辛かった日々でも、こうして最後は幸せという終り方をした、母。

ーー母様は笑顔でいろって言った。それは、ただ笑っていればごまかせるとか、そういうことではない。生き方であり、生きる道筋。他者を貶さない。嗤わない。そして、不幸にしない。それさえ守れば。どんな人生も最後はこうなる。





 バーダンの家にはラルフレン一族とエイドがいた。

「ディラン様!」

 エイドは元気よく笑いかけてきた。彼の隣に立つ女性は、ディランが見た女性。優しげに笑っている。エイドの婚約者でありジェクシム家の分家、ラルフレン一族の女性だ。

「無事に婚約されたのですね?おめでとうございます。」

ディランは、軽く会釈した。エイドは慌てて、

「は、はい!紹介させてください。シェリア・ラルフレンです。シェリアは収監公役商で働いていたそうなんです。その・・・。たまたま公王の城にシェリアさんが出入りされていて・・・。」

 エイドは最後、しどろもどろしつつ出会うきっかけを説明した。ディランはその様子を見ていたわけではないが、おそらくそうだろうと踏んでいた。それに、きっかけがどのような状況でも、シェリアという女性が今、幸せならば良いと考えた。

 サムシルが言った言葉。毎日が普通に過ぎていく。それがどんなに素晴らしいことなのか。

 ディランには分かった。そして、それを続けていくことの大変さも。

ーー人は傷つき傷つけながらも、日々、過ぎていく時間が修復し、前を向いて歩く。これこそ、私の望む世界。そして、それを保ちながら次の世代に受け渡し・・。

 ディランは広い大地を見つめた。この大地は、確かに何もなかった。何度も耕された。何度も、何度も。度重なる飢饉だってあっただろう。

 乗り越えて、さらなる高みへと歩んだのは、果たして、一人で何かを頑張ることで手にしただろうか。共に、歩くこと。共に助け合うこと。そして、たまに喧嘩する。それが丁度いい。

 争うことがだめだと言えば、誰も争わないでいられるだろうか。いいや、子供だって喧嘩する。大人だって、喧嘩する。

ーー人は一人で生きることは不可能だろう。きっと、誰かを頼る。だから、この世界は輝いているのか。今だって・・


 ラルフレンの子供達が走り回っている。大地の上に立ち、我が物顔で。子供の頃は誰もが平然と大地を共有し、どこまでも自由にいられた。そこには、愛されているという、誰もが満たされていた景色。

 この大地を独り占めするには、あまりにも広すぎるし、寂しすぎる。いつからか、人の側に寄り添い、語らい、愛を誓う。


 生きることは色々難しい。でも、言葉を発し、友達だと思える人に出会い、家族を大切に思えるようになり、いつしか、難しいと頭を悩ましたことすら忘れていく。


「ディラン様。」

シェリアが声をかけてきた。シェリアの手に残る傷跡。それは過去に強いられた痛みだ。おそらく、ドワーフたちが残した過去の残骸。

「なんでしょう?」

「わたし、ずっと疑問だったんです。私たちが使える魔法は、どうしてあるのかなって。」

 ラルフレン一族は、魔法が使える。それが、精霊王の名残だということを聞いても、理解出来ない部分はあるのだろう。

「でも、さっき、花火の魔法を見て、皆さんが笑顔で言うんです。素晴らしいって。綺麗だって。」

シェリアは躊躇いがちに告げる。

「これって、精霊王様が望んだ力なんだって。だって、争いごとを始めるための魔法って、怖いから。」

 ディランは、シェリアの言葉に微笑んだ。

「私も、そうだといいなって、思っています。あんなに美しい魔法は心が満たされていきますから。」

 シェリアは大きく頷いた。

 自分の力をどう見極めるか。悪意をもって使うようになれば、周りは敵となる。争いは、全て人の感情が動かし、動くだろう。

 抑止力は、力があればそうなるだろう。けれど、時間は永久。ディランは、いずれ死ぬだろうし、その先をみることができるかは、それこそ、来世があればもう一度ディランは転生するだろう。

 しかし、それはただの可能性。


 ディランは空を見上げた。ディランがこの大地に残せるものは、かけがえのない、愛し続けると誓った女性とその子供くらい。

ーーアーナは、私を叱責するだろうか。私が命の虎になると言ったら。それとも泣いてしまうだろうか。

 ディランには父親と同じように、神獣になれる。その姿は、永遠の中、生き、絶対的な抑止力になる。

 ディランの憂いは、この世界が安寧のまま、留めることが正しいかどうか。

 変わらぬ普通が過ぎ去ることのためだけに、彼は自分の立場と、人生と、そして、愛を天秤にかけていた。



 バーダンは、ディランが微笑みながらラルフレンの魔法を見ている時に、彼の微笑みに翳りを感じた。エルフィンを祖先に持つバーダンは、ディランが何を憂いたのかを感じ取った。

「ディラン様。」

「やあ、バーダンさん。」

「ディラン様は自身の姿をどう思いますか?」

 不思議な質問に、ディランは困惑した。

「私の、姿・・・?」

「はい。わたしは自分の姿を誰よりも認めているんです。大昔にエルフィンだったということも、もちろん素晴らしいことだったと考えております。でも、現在の、祖先が思いきって人の姿で、人を愛し、子供にも恵まれ、こうして、わたしがいる。だから、わたしは、この姿に感謝している。」

 ディランは、ようやくバーダンの言いたいことを理解した。

 彼は確かに妖精から人の姿となった者の子孫だ。もし、ディランが自分に子供が出来て、その子供もまた子供を・・。それは果てしない命の紡ぎ。ディランがディランではなくなっても、命の虎という魂の片割れとして続くだろう。

 妖精王には片割れがいて、宵の王であり、彼女もまた、子供を産む。二つの世界で、王は果てしない時間の中、命の虎の魂を継承する。それは不変であり、おそらく、紡がれた年月など感じることのないほどに、続くだろう。

「今はまだ、妖精王という称号が邪魔をしているかもしれません。貴方は、ずっと待っていた、わたしの公王なのです。この国の両輪の一つ。国を幸せにすることこそ、貴方の役目。我々が貴方を支える。ずっと、ずっと。それを否定して欲しくはないのです。」

 バーダンはただそう言うと、丁寧にお辞儀した。すると、その場にいた全ての人がディランにお辞儀をしたのだ。まるで、ディランの帰りを待っていたかのように。

 ディランは、ようやく、公王という立場を思い出したように感じた。もとから王であり、王以外ではない。

「みんなに、聞いて欲しいことがある。」

 ディランは深く行きを吸って、張り上げた声は朗々とした。

「これからは、ラルフレン一族はロギステヌ国改め、セイラーン王国の主として正式に決まった。その上で、今ここに、ラルフレン一族のうら若き乙女、シェリア・ラルフレンとモイスト・ポータスの息子、エイド・ポータスの両名がその愛の上で、契りを交わし、このルトイット家が所有する土地に住むことを許可する。二人が永久の幸せとシェリア嬢がこの土地に住まうことを許可してくれたバーダンにお礼を述べ、二人の祝祭を開くこととする!」

 その口上を皮切りに、集まった人々が踊れ、歌い、そして酒を飲み交わした。

 エイドが望んだ家はバーダンの土地にある家だった。それをバーダンは何のためらいもなく許諾したのは、シェリアの身の上のためだった。彼女が長い間苦しめられたのは、あの土地と、元いた人々の記憶。バーダンはその重い感情を汲んだ。そして、彼女を支えようとするエイドを受け入れた。

 ラルフレン一族の中には同じように強い恐怖の感情をもった人々を多くの皇帝民が受け入れた。それは、ラルフレン一族が悪さをしない、とても小心者が多かったからだし、皇帝の、特に公王の領地の人々は、公王が大好きで、その親族のような人々を喜んで受け入れたのだ。

 公王は誰も分け隔てない接し方をしてきた。だからだろう。彼らは公王を友だと言った。


 ディランは、笑顔を見ながら、心に未だ翳りを落としていた。それは、未来を憂いたことと、愛する者を少しでも悲しませようとした事へ謝罪。彼は、気がついた。自分はどこまでも貪欲すぎたと。

 一生が今だけだと言うこと。手にしても良いと決められた範囲のことを、やれるだけやる。それを見落とし、自分が全てを背負うようなことを、だれが喜んでくれるだろうか。

 バーダンは、優しく叱ってくれた。背負うことが全てではない。


 帰ったら、謝ろう。アーナを心の中で傷つけたこと。そして、共に助け合うことを誓おう。それから、自分がしないといけないことを行うんだ。





 すぐるはみどりと話しをしていた。

「妹って分かったのは、俺の嫁さんが言ったからなんだ。」

「そうなんだ。兄さん達、お互いに傷つけ合ってたからね・・。」

「まぁな。俺だって、もうちょっとあいつのこと気にかければ良かった。」

「ふふふ。そう言いながら、すっごく目にかけてたよね?」

「どうだかなぁ?俺はあいつのこと、すっげぇ好きだったけど。それを表に出すと、あのじいさんがうざいんだよなー。」

「そういえばそうだったね。なんだか、恐ろしい顔で私たちを見ていたからね。お父さんはおばあちゃんと幸せになれると思ったのかな?」

「そりゃな。だって義母さんは子供を連れて逃げるしかなかったし。」

「うん。おばあちゃんが亡くなる前はお父さんが睨みきかせていたから。おばあちゃんもおじいちゃんに気づかれないようにしていたから。」

「家族間で子供を産んだら、そりゃ、なぁ・・。俺の心臓が悪いと分かったときのあのじいさん・・。」

「ふふふ。でも、もう関係ないよ。あの世界から切り離されて、兄さんは健康になったでしょう?」

「あぁ。どうして俺をこっちに召喚しようとした?」

「兄さんが必要だったの。お父さん、化け物のままあっちに放置したらそれはそれで、ね。」

「元は向こうの生き物だったっていったよな?それってどういう・・?」

「簡単には渡ってこられない、不気味な闇の精霊。妖精ではないから、普通の魔物なの。魔物って、こちらでは精霊扱いなんだけど、むこうでも魔物が生まれる。どうして、とかはよく分からない。でもね、魔物がこちらに流れれば、それは精霊となり、退治できる。だから、兄さんの身体にまだ残っていた魔物を召喚して、精霊化させて、私が倒したの。ふふふ。うまくいった。」

 みどりは嬉しそうに笑った。

「ふーん・・・?俺はあいつに取り憑かれていたのか?」

「・・・うん。兄さんが最後おかしくなっていたのもそれが原因だよ。私、ずっとまっていたの。きっと兄さんの奥さんが輪廻を断ち切ってこちらに来てくれるって。」

 そういうと、みどりはまだ身体を休めている女性を見つめた。すぐるの妻であり、フランヌ・ロギステヌ女王であり、けいこだった女性。輪廻を断ち切り、宵の国に流され、今は身体を清めている。すぐるは、けいこと再度結婚する。ディランにも伝えていることだが、二人の結婚は宵の国で行われることになる。けいこはすぐると共に、宵の国の王を支える重臣になると誓った。

「兄さんがここに残るとは思わなかったな。」

「何故だ?俺はみどりの兄でもある。ずっと救えなかったお前を、これからは嫁と一緒に支える。だめか?」

「ううん。嬉しい。ありがとう。」

 みどりはまっすぐな兄の視線を見つめ返し、嬉しそうに笑った。一人でこの闇の中過ごしているあいだ、ずっと一人で寂しいと何度泣いたか。兄は、それを汲み取って、ここで生きてくれると言った。みどりは幸せとは一人ではないことだと改めて実感し、眩しいはずがないこの闇の世界が明るく照らされていくのを感じた。

ーーあおい。あの日私が死んだのは、理由があるの。それは・・


 川に落とされた、その日。母親は娘だけ、救おうとした。狂うように息子を愛する夫と義母。母親は娘だけを愛そうとした。しかし、同じ顔をした双子を見た瞬間、感じたものは、愛情。双子の瞳が母親の愛を欲していた。

 川に落としたのは、恐怖が先だった。そして追いかけて落ちたのは、救おうとしたからだった。母親は流された。子供を救おうとした事実と、殺そうとした事実。どちらが先なのか、あとなのか。

 どうでも良い、といっていいのは当事者たちだけだ。あおいは生き残った。みどりは死に、こちらに流された。転生という力がみどりの本来の姿を思い出させ、片割れであるあおいが来るために、宵の国の王として、待った。


ーー死んだのは、母さんが私の手を取ったから。兄さんがあおいを救い出して、母さんは私の手を取った。私は母さんと共に流された。

 母親の必死の形相は今も心に残っている。川の流れの勢いが母の手の温もりを感じさせた。

ーー最後は母さんは手を離した。母さんはあの日、死にかけたの。私という命を救おうとして、死が訪れようとした。私は命の虎だとその時、思い出した。母さんが死ぬ前に私が、手を離した。

 みどりは母親の手を振りほどいた。母親に生きるための息吹を与えた。

ーー母さんは私を救おうとしていた。流された先で泣いていた。救えなかったと。私は、私だけは知っている。

 母親は川を渡ろうとした。橋を使って。

ーー母さんは、本当はあの日、川を渡り、新しい土地に向かっていた。川へ落としたのは・・。おばあちゃんだった。言い争った二人の女性を止めに来た人と。だからあの日、兄さんもいた。あれは、呪われたおばあちゃんが魔物になり、母さんを殺そうとした日。

 母親は逃げようともがいた。魔物達から。生きるために。家族のために。

ーー私たちは二対の命の虎。だから、あちらの魔物達が、私たちを手に入れようとした。強い力を欲した。分かたれた私たちを手に入れられなかった魔物達。

 みどりは、こちらから準備をしようと考えた。

ーー倒せたことに意味がある。あちらに潜む魔物がこちらに来る手筈をしていることだろう。それをあおいが見事に邪魔してくれた。ドワーフを家に帰したのだから。しばらくは魔物達が来ることはない。ドワーフという存在は元の土地に戻り、元の世界の魔物として生きている。魔物が来るための路を一つ消した。あおいが命の虎に戻りかけたのは、すこしだけ焦ったけど。あおいと私は繋がっている。兄さんというもう一つの魂が私たちを結び、いずれは世代が変わる。

 みどりは幸せそうに、愛するけいこを見つめる兄の横顔を見た。そして、あおいと同じように未来を少しだけ見えるみどりは、自分の隣に横たわるケロベウロスを優しく撫ぜた。

ーー貴方と結ばれるとは思っていないわ。貴方の役目は私を守ることだから。

 番犬が、みどりの愛する人を連れてくる未来が見えたのは、いつだったろうか。

 こちらに流され、この番犬と出会ったその日。彼は言った。

 貴方がこの宵の国の王になるなら、その夫に相応しい存在がいる、と。

ーーいつ連れてくるのかしら・・

 みどりは小さく笑う。ケロベウロスは顔を上げる。

「なにもないわ。」

 みどりは優しく番犬の頭をぽんぽんした。




 ディランは、真っ白いウエディングドレスを纏ったアーナを見て、ため息をついた。それは感動のため息だった。美しいものは美しい。けれど。

「アーナ・・・。」

 ディランには言葉が紡げなかった。言葉に出る前に涙が溢れた。


 ひいろは、結婚することはなく、独身で終わった。それはあおいも同じだった。二人の年齢を言い訳にしていたから。

 溝なんてないのに、そこには溝があった。些細だったと、今では考えるようになれた。

 こうして、相手を想ったままこちらの世界に渡り、会えたことに感謝した。


 世界をまたぎ、結ばれる。まるで絵本の世界のような物語。ディランの涙は、アーナが感じていることとまったく同じだった。

 堰き切ったように二人は泣き合い抱きしめあった。周りの護衛たちですら困惑し、使用人は感動していた。理由を分からなくても、二人はずっと愛し合っていたと周りに伝えていたから。

 念願であった結婚式。そして、これからはずっと二人で生きられる世界。

 妖精や幻獣、神獣は理由を知った上で、彼らの幸せを願った。


 未来のために、今がある。


 ディランとアーナは式を挙げるために結ばれるのではなく、未来を共に歩くために式を挙げ、民に感謝を伝えるのだ。二人が出会った場所なんてどこでも良い。

 二人の涙は、その未来へ歩けるこの路を、この場所で始められたことに感動し、感謝し、二人の想いが重なり、二人で笑って泣けたからだ。


 式の前に泣き出した二人に、困惑しても、誰もが祝いの言葉と、二人の幸せを願った。


 長い長い、過去の路。残骸はゆっくりと解けて。


 王たちは笑い、慈しみ、人々を歓迎し、人々は歓迎した。


 王たちの結婚式は、とてもたくさんの人々が祝った。喜びを言葉で示す者。喜びを物を使って表現する者。喜びを自らの作った物を差し出し、示す物。

 妖精たちは全ての人々の贈り物を王に渡した。


 やがて、式は終わり、静かな夕闇が世界を覆った。幸せを分け合った人々は眠りにつき、明日の仕事をいつものように、始めるだろう。

 毎日は続き、どこまでも歩くのだ。月日が流れた分だけ、毎日は消費され、その分、幸せと不幸と、悲しみと、喜び。そして、嬉しいと笑い、悲しかった者に優しさを分け与える。



 ディランは、それが永遠の闇に染まらないように、毎日を忙しく生きる。誰もが笑い続けるのではなく、幸せを毎日どこかで感じ、悲しみと嬉しさも毎日感じる。そんな日々を民に与えるために。

「よし。今日はこれぐらいでいいかな?」

 そうして公王という仕事をする。

「今日もお疲れ様です。」

 アーナが公王の妻として、公王妃として、横に立ち、共に仕事をした。前世のような会社のような仕組みは二人にはよくあっている。

「身体は大丈夫?」

 ディランは少し心配そうにアーナに寄り添った。

「私は大丈夫よ。でも見て。もっと不安そうな人がいるわ。」

 アーナは笑って部屋の外をうろうろしているマイケルを指す。扉が開いたままなのは、何かあったときのためだ。

「ふふふ。本当だね。マイケル!」

 ディランに呼ばれて、マイケルは足を止めた。

「あぁ!お二人とも・・。仕事のしすぎですよ!特にアーナ様。貴方の御身はもう一人の身体ではありません!」

 マイケルは、一時的に公王城にいる。それは、アーナのお腹の子供のためではあるのだが、もう一つ、理由がある。それは、マイケルがマジェリスタ共和国に行くためには、ディランを連れていかねばならないからだ。

 公王という立場は極めて希な存在だ。皇帝は帝国を離れられない。一方で、公王は立場的に、帝国から離れた場所の問題を解決するために、かなり自由がきく。つまり、シュンプリア国へ、皇帝自らが出向いたのは、かなり希だったのだ。

 また、公王が出向くことで、皇帝への圧力を使い、その土地の諍いを止めるのに役立つ。特に妖精を従えている公王は非常に貴重であり、その力はどの人物が行くよりも、尤も適任者だという事。

 従って、アーナの出産後に、マジェリスタ共和国に向かう手筈になった。ローリエも、この城に滞在しており、アーナとはすぐに友人になった。アーナの気さくさはローリエの心を解かしたし、なにより、出産に立ち会いたいと願い出た。なにしろ、ローリエは子供を産みたくないが故に、ラハス国のメイヤードから距離を置いた。

 とっても寿命の長い竜使いは、そんなに簡単に子供を作らない。子供を作れば、竜使いから離れることを意味した。


 そういうわけで、マイケルは公王城に留まり、アーナの出産を待ち、リーリアス皇帝の許しを得てから、マジェリスタ共和国に出立するのだ。

 ちなみに。

 マイケルはすでにジュトラッテ姓を名乗り、ディランとは対等に近い存在なのだが、いまだにディランを慕い、主従関係は終わっていないと豪語している。

 そんなマイケルにディランは笑って頷き、宥めている。マイケルにとって、その姓名を名乗ることで何かが終わったように感じたのだろう。それをディランは笑って首を振った。そういうものではない。ただ、彼らの中にある確かな繋がりが何一つ壊れいない。それがすべてだ、と。




 やがて、子供が誕生し、その日から数日、お祭り騒ぎになった。

 優しく赤子を抱くアーナをディランは優しく頬にキスをして、赤子の頬にもキスをした。子供はディランに似て、明るい朱色の瞳を持った。けれど髪の色は、アーナの色だった。茜色で、生まれてすぐに、妖精に気がついた。彼は周りに飛ぶ者を見つめている。

「・・・。妖精さんは、何か言っているかしら?」

 アーナは嬉しそうに語る。

「いいや。今は何もわからない。彼には彼の力がある。私は、二人が健康であることを、喜んでいるように見える。」

 ディランの力は、息子は継承されている。しかし、同じ力だと言うことはない。この力は己の心が成長し、分別がつく頃には固定する。

「今は、怪我がないようにさせないといけないね。」

 子供は手を伸ばし、ゆりかごから落ちそうになる。ディランはそっと助け、抱き上げた。父親の顔を見て、息子は眠そうにしている。

「名前は、姉さんに聞いてみようかと考えたんだ。」

 ディランはあやしながら、アーナに問う。

「みどりさんに?」

「うん。アーナが考えた名前でも良いんだけど。」

「うん?」

「さすがに向こうの名前なのはちょっとなって。」

「え?たけし、とか?」

「ふふふ。うん。確かに名前をつけるのは、母親が良いのかもしれないけど。君はちょっと向こうの名前に引っ張られるでしょう?」

「・・・だめなのかしら?変わった名前って受け入れてくれないの?」

「うーん・・。じゃあ、もう少し考えようか。」

 いつの間にか寝付いた息子をゆりかごに寝かす。


 二人が幸せの中で考えた名前は、アキラだった。こちらではほとんど聞くことのない名前。昔を懐かしんだアーナが、懸命に考え、ディランも趣を考え、その名前を命名した。アキラという名前が決まり、ディランとマイケル、ローリエはようやくマジェリスタ共和国への出立の準備を始める。

 アーナとアキラが残ることを心配することはない。何故なら、屋敷のほぼ全ての使用人は、アーナとアキラを守るために準備をしていた。

 そのため、ディランはアーナとアキラに妖精たちの守りを魔法を使ってより強固にした。ディランが魔法を使うことが減った一方で、ディランにはディランにしかできないことが増えた。魔法は素晴らしいが、それに頼るよりも、自らが動きたいのは、昔からの癖だ。



 ある晴れた日。朝日が昇る頃にはディランとマイケル、そしてローリエを乗せた馬車は出立した。

 目指す場所には竜が住まう国が待つ。その国が今も閉ざされていることには意味がある。崖のようにそり立つ山々。ロギステヌ国だった大きな森林が広がる土地とは違い、竜によって人々は交通網を作った。そしてなにより、妖精とは違う別の大きな力でその山を封じているのだ。その地に何があるのかを知っていたのは前皇帝だった。

 ローリエは、口数が少ない。それは、自分の国の内情を話せないからだという。何かが縛っているのではない。彼女の心は今も自分の国に忠誠を誓っているからだ。


 少し旅は長くなる。待ち構えているものは、一体何なのか。

 見えない路の先を、ディランが怖がることはない。

 恐怖よりも、期待と楽しみの方が勝った。彼は、次の冒険を楽しむための心の準備をすでに整えていたからだ。怖がったり、不安に思うのは旅が本格的に始まった後。


 いつものように、すべては日々を繰り返し、同じ事は一度もない。




 第一部 命の虎と新たな息吹 完結


 次の話・竜王のみやげと滅びた国  第二部 十七の伝説と嵐の神様 開始


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