Two Kings and One Soul そのに
波に揺られ、夢を見た。
板の切れ端の上でのんきに鼻歌を歌う、すぐるだ。楽しそうに笑っている。
「おい、あおい。なんでこんな場所にいるんだ?」
「・・・すぐる兄さんは、どうしてそんなに楽しいのさ。」
すぐるはひきがえるのような顔をしていたが、よく見れば、もっとましかもしれない。
「そりゃあ、お前をようやく捕まえられたからだ。」
いや、もっと、格好いい顔をしていた。何故、あんなにも醜悪な顔だと勘違いしたのか。
「捕まえた?」
「あぁ。だって、お前は大好きな奴と一緒にいたいって泣いていたじゃないか。」
「・・・」
「帰ろう。お前は、大切な者達を置いていく気か?俺が失ってしまった妻のように、逃げていくのか?」
ーーあぁ、すぐる兄さんは変わらない・・
すぐるの声が震えている。きっと変わらない愛情が、まだあるのだ。
「ずっと、ずっと言いたかった。俺はお前を家族だと思っている。大切な存在だ。例え本当の弟ではなくともな!お前が好きだし、お前を失うなんて絶対に許さない。お前を失った世界はきっとなんの色もない。俺が死んだとき、お前は・・・俺を・・・」
「兄さん、知っている。ずっとずっと、ありがとう。俺を守ってくれて。でも、帰るには・・・。」
「安心しろ。俺は、お前の兄だぞ。何のために、ここまで来たっていうんだ!俺は、この世界では、犬なんだ。俺のもう一人の家族がくれた力。俺がちょっと色々していたから、怒ってお前と接触させたんだ。」
「ふふふ。知っているよ。」
「だろ?行こうか。俺の背に乗れ。」
ディランはすぐるの背中に乗った。ようやく、周りが暗い闇の中であることに気がついた。
「兄さん、お礼は絶対に言うけど、今は聞いても良い?」
「ん?」
「私が兄さんを呼んだら来てくれる?」
すぐるは風よりも早くかけていく。
「それは、彼女の判断かな。俺の今の主はあいつだからさ。まぁ、でも。彼女はお前と同じだからなぁ。・・・検討させてくれ!」
すぐるは、駆けていく。言葉は一瞬にしてどこかへ消えていった。ディランの耳には届いていたし、なにより、彼はディランを守るために、こうしてここに駆け付けてくれた。優しい兄はディランのために、また来てくれるだろう。宵の国の主は、すぐるを大切にしている。そして同時に、ディランを受け入れた。
二人は同じ王として、この大地にまるで双子のように存在している。表裏の世界で生きている二人の王が同じ世界からやってきて、同じ家族に再会した。二人は、家族の素晴らしさを知っている。
生きる魂が同じ場所に辿り着いたのは、何かの運命かもしれない。交わらない二人の王は争うことなどなく、一つの魂について、仲良く語らう。
すぐるという家族が、誰よりも好きで、二人の王はちゃんと知っている。そして、二人の王はお互いを家族なのだと知っている。一度も出会うことのない二人には、ただ交わせば言葉だけで全てが繋がった。
二人は、元から双子だったのだと。川の流れにそって亡くなった、あおい。いなくなった片割れを探した、あおい。結果、肉体が入れ替わってあの川の中で、すぐるという人間が救い出したのは、一人だけだった。
双子だったという事実は、今はもうどうという話しでもない。ずれた時間軸が家族の絆を壊さなかったというだけ。
すぐるは、変わらなかったのだ。双子が入れ替わったあのときも。彼はどこかで気がついたのかもしれない。頭が良い彼は、確かに変化しても、その二人が生まれたときから知っている二人だと気づいた。双子だったという事実は、父親と母親が憎み合ったその時に知り得たのだろう。
すぐるはずっと亡くなったもう一人を心のどこかで探した。そして、川の中で消えたことに気がついた。最初は混乱したのだろう。けれど。
『いつか、絶対に。お前を・・・・、許さない。』
あの言葉は、おそらく。
『いつか、絶対に。お前を助ける。この世界から追い出した奴を許さない。』
と、言ったのだろう。もう息絶え絶えだった彼が振り絞った言葉。きっと、本気で助け出そうと、死んだ後のその先まで考えて、当時のあおいに伝えた。
ディランは、眠りに落ちた。眠っていたはずなのに、夢の中の夢に落ちていた。
「あおい?眠るのか。そうだな。眠ると言い。目が覚めたら、きっと皆に喜んで貰える。俺はもう一人の彼女の元に帰るぜ!」
遠くの方で、兄の声が響いた。落ち着いた温かな声。兄の声は、ディランの心に穏やかな気持ちを与えた。重くのしかかる、命の虎という力が、ディランの手に封印された。
兄が今も笑っているという事実は、ディランを心から幸せにした。不機嫌な様子には、彼がたくさんの存在からあおいを守った真意が隠れていても、本当は笑顔が見たかった。きっと様々な人のより強い悪意から守るためにあんな態度や心にもない言葉を投げかけたのだろう。
心の中を知っても、笑ってくれる兄がどんなものよりも、あおいの心を救った。兄は最後にそれに気がついた。
『許さない。』
あれは、本人が本人に対して言った言葉。この世界を追い出した奴、なんて格好良く言ってはいるが、結局自分に対する言葉だった。最期まで家族を愛した兄は、自分を怒っていたが、それをあおいには言わなかった。
「兄さん・・・」
目を覚ましたディランは、ベッドの周りで寝ずの番をしていた全員がディランの言葉に驚いていた。
「ディラン様。気がつかれましたか?」
マイケルが、ディランを心配そうに見つめる。
「あぁ。私は長く寝ていたか?」
「二晩、お眠りになっておられました。」
「そう・・・。心配かけたね。」
ディランはゆっくりと身体を起こした。
「ここのドワーフは全員がいなくなりましたか?」
「はい。ディラン様のもう一つの姿で彼らを跡形もなく去りました。」
エイドは大きく頷いた。
「ふふふ。ラウム。君が呼んでくれたね?」
ディランはエイドの背後に立つ神獣に尋ねる。
「わしは、おぬしが必要ならば、何者でも呼ぶさ。彼はとても気の良い青年だった。」
「すぐる兄さんは、そう言う人だから。目覚めるために必要な人を呼んだのは、君の考えだろうし、間違いではなかったと思うよ。私がこの眠りから目覚めるのに、本来なら一月は必要だった。私がその時間を失わずにすんだのは、君のおかげだ。ありがとう、ラウム。」
ディランの微笑みに、ラウムは照れたように笑った。
「マイケル、ランディバー。二人にも感謝している。二人とも、ちゃんと寝て身体を休めて。エイド。君もだよ。ダランを呼ぶから、警護はいったんお休み。ほら!」
その場にいた面々は、すごく心配そうな顔をしながらも、休憩することにした。ディランは決めたとおりにしないと満面の笑みで、より強制的に眠らせるからだ。
「・・・ラウム。本当にありがとう。」
静まりかえった部屋に残ったラウム。ディランは彼がすぐるを呼びに行ったことを感謝した。
「わしはわしの主がまたしてもこの世を去ることが、どうしても許せなかったに過ぎん。わしが目を離した隙に、消えてしまうなんて・・・。」
ラウムの瞳に水滴がたまっていた。命の危機を感じ取ったのは、きっと大昔、命の虎がいなくなったその瞬間を目にしたからだろう。ラウムはあのときも、従っていた。重なった二つの過去と現在。
「わしはもう、目の前にいる大切な者を失いたくはない。それが、人であろうと、魔物であろうと。」
「・・・。ラウムの友人にはあの人も含まれるのですね。」
ラウムはまるで懐かしむように言った言葉。『魔物』とは、きっと間違いなくもう一人のあおいの家族のことだ。彼女は、転生した。命の虎が流された瞬間に。
「・・・あぁ。坊やと同じ顔の女性。今も坊やとその女性が重なり合って見えるよ。主よ。宵の国の主は、坊やのなんだ?」
ラウムの尤もな質問だ。
「私が流された世界に、『双子』という存在がある。同じ顔の同じ魂から生まれた存在。」
ディランは紡いだ。
「彼女は、あちらの世界において、私とうり二つの顔を持つ、双子だ。ただ、あちらの世界で不幸な出来事があってね。彼女が先に流されたのだよ。こちらにね。」
ラウムは少し眉をしかめた。彼には双子という存在があまりに奇異だったのだ。
双子という子供がこちらでは決して生まれては来ない。
「あちらの世界とこちらが繋がっているという概念は、あちらの世界ではない。けれど、双子は生まれる。おそらく、双子がこちらで生まれることがないから、片割れの彼女が先に流されたんだと思う。こちらには双子が生まれるなんてことはないからね。」
ラウムが少しだけ微笑んだ。
「つまるところ、坊やが戻れたのは、彼女という存在のおかげか?」
「おそらく。彼女と私は、二人で一つの魂なのだ。だからこそ、彼女がこの場所に留まったから、私はこの世界に還れたのだろう。」
その言葉が、ラウムにとって大きな変化を与えた。二人の王は一つの魂を共有している。それは切ることの出来ない大きな力だろう。そして、絶対に離れることのないものでもある。
ーーかの王は深淵で暮らすと言った。わしが止めてもなお、闇の中にいると言った。答えは一つだった。表裏の世界を、秩序を守るため。そして、あとからくる片割れが表の世界を守るため。二人は王であり、一つの魂。大地をならした、命の虎だ。
ディランはラウムの心の中の憂いを晴らすことを優先した。ラウムはきっと知るだろう。ディランが半分の魂を受け持った存在だと。
命の虎は決して消えることがないよう、あのドワーフの攻撃によって消滅する寸前に、地続きの世界で生まれる二対の身体を利用し、二つの魂を作り出した。
それが、いくつもの偶然、必然が重なって、この世界とあちらの世界を少しずつ変えた。変化は微々たるものだ。けれど、その変化の中から生まれた者達が織りなす物語は、きっとどの世界をも変える。
「坊やがどのような存在だったとしても、仕えるに値する君主だと考えているよ、わしは。」
ラウムは嬉しそうに、ディランを見た。
「ちょっと・・・。僕も話しに加えてよ!」
いつの間にかダランが現れていた。不貞腐れているのに、どこか楽しそうにしている。
「ダランには警備をお願いしたいんだけれど?」
「そんなこと言って!もうこの辺りに変な奴はいないし!」
ディランは、ダランの言葉に素直に頷く。
「うん。そうだね。だけど、ダランは戦いに優れないし、ちょうどいいでしょう?」
「そうだけど!必要ないのに、そんなこと言って。僕だって主君に仕えている!ひどいよー。」
ディランはダランを招き寄せる。ダランはディランの側に寄っていく。
「・・・。」
ディランはそっと、ダランの頭を撫でた。ダランは不意打ちだったこともあってか、元の幻獣の姿に戻った。小さな子馬で、角が一つ生えている。翼がないのは、彼が子供だからだ。
いつかダランが成長したとき、ディランは彼の背に綺麗な翼があることを不思議に思うだろう。彼がダランではなくなり、別の存在になるからだ。成長はその姿を変えるだけでなく、次の場所へと送り出すだろう。
「幸せそうじゃのう。」
ラウムが笑った。ダランは主に甘えることを優先して、ラウムのからかいを無視した。おそらく、今はディランがただ、愛情を注いでくれるだけで良かったのだ。
ダランにとっても、失うことができない唯一無二の主だ。こうして戻ってきたくれたことに感謝しかない。
そして、いつかダランが成長し、次の姿を得たとき、ダランは知識と見識を広げるために翼を得る。その日はきっと晴れていて、旅立つにはちょうどいいだろう。
美しい妻を迎えた公王が笑って見送るその日まで、まだ甘えたままでいたい。ダランは、ディランが主であり続けることを、ただ願った。
命の虎を見たことがない者は多い。この世界が創られて、どれほどの月日が流れ、またその姿を目にしたのは、エイドという若者だけ。
エイドは誰かにそのことを話すことなどない。自分の子供に伝えるぐらいだ。それはいずれ物語になる。夢か幻のような。妖精達と話す王がまだ若い頃の話し。ドワーフという見たことのない人々の話し。きっと子供達は父親にせがむだろう。
物語を聞かせて、と。
その話は、いずれまた語ろう。
ディランはそれから一日立ってから、ラルフレン家を探すためにドワーフたちがいない森を歩き回った。ドワーフが残していった家には何もなく、生活用品も消えていた。
歩き回ってようやく見つけたのは、地下洞窟の横に立っていた小屋。小屋を開けると、六人程度の男女が鎖に繋がれていた。
ディランは、すぐに自分の家系の者だと分かった。
「エントラ。すぐに鎖を切り裂いてください。」
エントラは声なき声で反応した。部屋にあった鎖は切り裂かれる。
「・・・。」
ディランはすぐ側の男性に回復魔法をかけた。男性は胡乱げにディランを見て、口を開く。
「・・・な、仲間・・・。」
「えぇ!私は貴方の仲間です。彼らも今、助けます。」
男性は安心し、肩をなで下ろした。全員の傷を見て、回復魔法をかけた。みな、同じように綺麗な金髪で、朱い瞳をしている。
「ラルフレン家の方々ですね?私はジェクシム家の者です。」
「あぁ。見れば分かりますよ。本家の方。救いに来てくださるなんて・・・。」
「あたしは、命の虎が全ての悪意を消し去ったのを感じました。貴方は、本家の当主ね。」
口々に言葉を話し、少しずつ顔色も良くしていった。
「貴方がたの当主はどうされましたか?この地の主になる方です。」
ディランが尋ねる。皆が目を曇らせ、首を振った。
「ドワーフが、私たちの戦意を削ぐために、殺しました。父上が王になると、彼らと、もう一つの悪意が許さないからだと。」
「もう一つの悪意?」
ディランが首を傾げる。この地に悪意はもういない。
「・・・。精霊王の像をご存じでしょうか?」
「えぇ。城にありましたね。」
ディランは頷く。
「あの像は魔物です。しかもたちの悪い・・・。宵の国の主が飼っている犬は優秀な方。彼が何度も魔物を倒そうとしてくれたのですが。」
「宵の国の王と話しをされたのですか?だとしたら本当に強い魔物でしょうか。」
「普通の魔物ではありません。ドワーフが生け贄をあの像の中に入れたのです。」
ディランは、その瞬間、ぞわりとした。
人を礎にして、悪意を強くより強固にした魔物。普通の魔物ではない。しかも、それは呪いに近い。もしかしなくとも、内部で礎にしたのは、こちらの世界の人間ではないか。
現代ではあり得ないことだが、生きながら像にされた者の魂は永遠にその中で強い悪意を抱きながら魔物へと変化していく。それも長い年月をかけたもの。ドワーフが祈りを捧げていたのは、悪意をより凶悪に醜悪にするためだろう。
「どなたが、人柱にされたか、ご存じですか?」
「・・・、精霊王。我が一族の最長老です。」
ーーあぁ。だからか。父様が呪われていた理由。こんな、こんな場所で・・・。
「人柱が完成し、精霊王は蘇りました。呪いを背負いながら・・・。」
「・・・父様の呪いは解けました。ですが、その御身は、今もあの像の中なんですね?」
ディランがすべきことは、ただ一つだ。
ラルフレン家の人々は、生活が整うまでマイケルやランディバーが担うことになった。エイドの恋人がいる場所を知っているディランは、エイドがその家族と仲良くするようにと告げた。エイドは驚いたが、確かに知っている女性の家族だと話しを聞かされ、色々と会話をするうちに、彼女の兄妹だと知り得た。エイドにとっては、顔合わせができて良かっただろう。
ディランは、他にも民家に繋がれたラルフレンの人々を見つけ、介抱した。人数的に国を興すのに足りる数になった。
用意が出来るように、すぐに妖精たちにリーリアスへの手紙をお願いした。この国がどのような状態かを説明し、応援を頼む事ができれば、ディランは迷いなく、例の像を倒しに行く。
ディランが、いや、過去の妖精王が救えなかった、息子の肉体。
ーー取り戻す。例え、父様が叱って止めても。私が、守れなかったただ一人の・・
張り裂けるような気持ちが胸に渦巻いた。助けを求めていたのは、自分だ。何故なら、本当に大切な者を失うことが、どんな傷よりも辛く。
「私には、今も謝罪しないといけない存在がまだまだいる。」
だからこそ。自分が、また流され消えるようなことはあってはならない。
アーナが帰りを待っているだろう。パジオノとエクシエルの結婚式に出席しないといけない。エイドの母親に会いに行くと約束した。サムシルが急にいなくなったら困ると言っていた。
たくさん、帰らねばならない、理由がある。
今度は、守りたいから戦うのではなく、守りたいから、生きて、帰るために戦うのだ。
そして、帰ってみんなで笑って歌う。最高の祝宴を楽しもう。私は、もう、ここで生きている。
向こうで生きる人々に。ドワーフと呼ばれた者達にも。きっと、もう会うことのない、世界へ。
私はここで生きて、最高の祝宴を繰り広げる。さらば、繋がりよ。そして、ありがとう。
ディランはパジオノから神獣を借りた。元は父親だった存在。綺麗な朱色のライオン。
「オーディン。力を貸してくれますか?」
金色の瞳が、ディランを見つめた。
ーーちゃんと帰ることを、約束してくれ。
「もちろん。私はみんなと一緒に幸せに暮らすつもりだよ。誰一人欠けることはない。それが理想だし、それ以外の未来が見えないんだ。」
オーディンは、ゆっくりとディランに近づいて、顔を舐めた。
ーー私の幻影がここで悪さをしていたのは、知っていた。お前が赦すなら、力を貸そう。
「貴方を赦すってなに?前にも言ったよ。父様は、私のただ一人の優しい人。貴方以外と共に戦うことは考えていないよ。」
ディランはライオンの鬣を優しく撫でた。オーディンがディランを愛する理由を考えたりはしない。ただ、愛しい息子がこうして罪という感情を打ち消してくれる。神獣という生き方を選んだことを何一つ責めず、全てを受け入れてくれた愛しい息子が、決して倒されないように、全身全霊で挑むだけ。
ーー行こうか。ディラン。私の愛する息子よ。
オーディンはそう言うと、城の中へ入る。ディランはその背に乗った。ラウム、ダランが共についてきてくれる。
どんなに下がるように言っても、引かない二人。さらには、七賢人もついてくると言い出した。断れなかった理由は、みんな、魂に刻まれている過去の残骸を忘れていなかったからだ。
命の虎が倒されたときのこと。何がどうして、あの女性が虎を打ち負かしたのか。
あのとき、命の虎には守るべき存在はいたが、強い意志の差で負けた。彼女は、自分の一族と、帰りたい場所に帰れないという事実に打ちのめされ、その代わりになんとしてもここで生きるという強い意志があったのだ。その差は歴然。
ただ、今は違う。人の命も妖精も、精霊も。ディランは負けることが出来ない、必要な存在たちに支えられている。あのときの彼女と一緒だ。
そして、この地にはもう一人の命の虎がいる。彼女がいる限り。流されずにとどまれる。
彼女の配下となった、兄のすぐるも。
だから、倒しに行く。この地に残る最期の悪意を、慰めに。
きっと、その御身は解放を望んでいるだろう。死ぬことは生きていることと対であり、生きているとは、可能性が永遠に続くこと。死ぬことは逆に何もかもを片付け、休息を得ることだろう。
城の内部は、静寂だった。氷のように冷たい空気と、張り詰めたように何も音がなかった。耳が痛みを増した。
ーー精霊王は、今もその像の中で、私に呪いを与えているのだろうか?
オーディンが静かにディランに尋ねる。
「・・・ううん。呪いの対象者は、すでに私に向いていると思う。でも、呪いの力は弱まっているはずです。父様の呪いも消え去ったのですから。」
ーーはたして、そうだろうか?
「何故ですか?」
ーー・・・私は、精霊王の生まれ変わりだ。それなのに、魂が今もその像に眠っているということが、おかしいと考えている。
「・・・それは、そうですね・・・。では、魂が分かれた?いえ、新たな魔物が」
二人の会話が、唐突に終わる。急に現れたとても大きな像が城の柱を壊しながら走ってきたからだ。
オーディンはディランが背から落ちないように、慎重に避けながら、像を躱した。エントラが蔦を使い、器用にオーディンの行く手を守り、アダマンが大地に呼びかけて像の行く手を阻んだ。
賢者たちは、像の中に渦巻く憎悪を感じ取り、像に触れることが出来ないと察知した。
「・・・あれは・・・」
ディランは顔を顰めた。見るも無惨な姿の精霊王が像の中に閉じ込められていた。その王にまとわりつくように悪意の塊である魔物が巣くっている。
その姿は、伝説に近い魔物だ。それこそ、オーディンと同格の神獣に与えられる名前。
「フレヴェルグ。死者を食い尽くす魔物・・・。」
その姿は呪われた精霊王の死体を食い尽くし、なおも、食べ物を探している。
「・・・父様。あの魔物は、もう、還すしかありません・・・!」
ディランはそう叫ぶ。しかし、オーディンは魔物から距離をとった。
ーーお前は、また、あの海に流されるのか?私を悲しませるのか?皆がお前のために、泣くんだぞ?お前は、生きると言ったよ。違うか?
「ですが・・・」
ーーディラン様。私どもは、ずっと帰りを待っていたのです。貴方様が、この地を幸せにすると、そう信じて。私たちは、共に戦います。お一人で、背負わないで・・・。
エントラがひそやかに伝える言葉には震えるような声が混じっていた。ディランが持っている力は大きい。けれど、その背に背負う翼は、この地にいる人々の為にあった。
帰ることはできないと、過去の世界に手を振ったのだ。ならば、今はこの地に住む者達と、互いに手を取り合い、目の前で暴れる堅物を片付けるしかない。
「みんな、最期まで手伝ってくれるね?」
ーーもちろんです、我らの友よ!
闇の賢者ヴォルグがそう叫ぶと、フレヴェルグの周りに闇の糸を張った。彼が同じ闇を司っているからこそ、相手に近づけた。しかし、力の強さは歴然としている。闇の糸が張られた場所が金色に輝く像によって破壊される。
ーー闇の最たる魔物には、命を芽吹かせれば、弱点になる。
オーディンがそう言う。ディランは、はっとしたように頷いた。
「父様!フェニックスよりもより強い生命の根源と呼ばれる神獣がいます。私の命の虎とは別次元の存在。いえ、同じ魂を持っている。・・・宵の国の主です!私と同じ魂を持った彼女ならば!」
ーー深淵にいる、お前と同じ顔の存在・・
「はい!彼女は私と対の存在。命の生まれる場所と終わる場所にいる王様。彼女ならきっとあの御身を救える。彼女が命の魂の力を共に使ってくれるなら・・・。」
ーーだが。それは無理だろう。深淵にいるその者がこの地に来るには、時間が・・
オーディンの言うとおりだった。ディランはしばらく黙った。そして、頷いた。
「時間を稼いで、あの魔物の動きを止めよう!みんな、今から言うことを頭に入れて!いいかい・・・」
ディランの頼んだことは、とても難しいことだった。
目の前にいる巨体の外側だけを破壊する。魔物が像の中から出てくるように仕向ける。そして、魔物が出てきたところの頭上を狙って召喚魔法を使う、ということ。
召喚魔法。いにしえに一度だけ使われた、ロストマジック。そう、妖精王を呼ぶために使われた魔法だった。それをもう一度構築し、召喚させる。
召喚させるものは、すぐるの肉体。
あおいは、すぐるが死んだ時、彼の願い通りに、火葬ではなく土葬した。彼は、土葬にした理由を彼なりに語ってくれた。
双子のあおいたちとまた会えると信じて、願掛けとして土葬がいいと言ったのだ。
家族を愛したすぐるらしい。そんな風に思い、あおいは土葬した。とても費用がかかったが、それでも兄のためにそうした。
今は、それをしたことで、この場所で役に立った。すぐるの肉体をこちらに転送し、フレヴェルグの魂をすぐるの肉体に宿らせる。ある意味でごり押しだったが、それでも、兄の肉体が転送されれば、フレヴェルグにとっては餌になる。だが、異世界転生した兄の身体が、すでにこちらにきている魂を吸い寄せるだろう。
フレヴェルグをうまく兄の身体で釣れれば、それで問題ない。何故なら。
ーー兄さんの身体には欠陥がある。昔からそのことを気にしていた・・
兄が不名誉だとずっと言っていた。心臓の病。父親が兄に目をかけていた理由。兄にとってはいらぬ心配。双子の片割れが死んだことなどこれっぽっちも心配しなかった父親には、兄の病と母親の病を重ねてしまったらしい。苦労して祖母は父親を育てた。同じ病の息子に気をとられ、双子の片割れは死んだのだ。母親は子供達をうまく愛せないまま、片割れが死んだその日から、もう一人のあおいを無視した。
すぐるは父親と共に去った。残されたあおいの苦労をすぐるは思いのほか近くで見ていた。何度も何度も足を母の元に運んでいた。
ーー兄さんには必要だった。兄妹を大切に想う兄さんの気持ちはよく分かる。
すぐるは双子の片割れが死んだその日、同じ病院で手術を行った。彼の心臓は別の心臓を入れることで生きることが出来た。偶然同じ日に家族が死んで、兄は生きた。父親は葬式をあげなかった。
あとから、妹が死んだことを母親から聞き、どこにぶつければよいのか分からない怒りを心に埋めた。弟のあおいはまだ赤ん坊で、母親のネグレクトが原因でその後の生き方が悲惨になった。
それでも、兄の援助があった。それを知らず、兄が行うあまりにもな言動に、あおいは怒りを覚えた。そして、あの日、兄が教えてくれた、川の水難事故。兄が救い出せなかった妹。そして、その日のうちに緊急手術をおこなった兄。
あおいには双子がいて、二人のあおいは川に流された。母親が川に落とした。自らも川に落ちた。
ーー像に触れないよう、風を起こそう。
オーディンが息吹を使って小さな竜巻を起こした。竜巻はたちまち像を飲み込み宙に浮かせ、高い場所から落ちることでひびが入る。
それをみたアダマンは堅いとげの土を形成し、落ちるであろう場所に置いていく。
「僕は召喚魔法を調べたよ!この魔法はリーヴァが得意なはず。」
ダランは水の賢者、リーヴァに言う。
ーー確かに。昔、その魔法を行ったの私だ。ただ・・・。これを行ったとしても、その肉体は戻っては来ない。肉体の精錬を最期に行えるのはアダマンだ。共に協力してくれ!
ーー我が力では精錬をするにちと足らん。誰か、その肉体の制御を行ってくれ。できることなら、ラウム。そちが肉体の制御を行って欲しい。土と電気は人の塊をうまくつくれるからのう・・
賢者たちは少しも焦ってはいない。ここにいる者達はディランのために動いている。そして、この地に住む大好きな人間のために動いている。
過去に失ったモノが、いくら戻って欲しいと願っても、時は一直線にただまっすぐに、進んでいる。
振り向くことが、だめなのではない。振り向いて、気がついて、前を向き、手を取り合って眼前に広がる荒野を歩く。そのうちに、雨は降り、土は蘇り、生命は戻ってくる。
命の虎は、確かに、大地を創った。けれど、その先を造りあげたのは、その大地に生まれた存在だ。だから、この大地は生まれた者達が造り、練り上げ、広げ、生きることを謳歌することこそ、きっと命の虎が望んだこと。
ディランが、望むこと。
母親が生きていたことと、すぐるが生きていたことは父親にとってまるで違った。授かった命が誰かの手によって消えることを、父親は赦さなかった。
母親と父親の仲が切り裂かれて絶望的になった。すぐるだけが、自分の存在を憂い、懺悔でいっぱいだった。家族が死に、その葬式すら行われず、『死んだ』という存在がなかったことになった。
母親は『生きているあおい』に興味すらなかった。存在を消された双子のあおいが、どんな困難な生活を送ろうと、興味を見いださず、母親は酒を片手に生きるようになった。
すぐるだけが、『生きているあおい』を見ていたし、救い出そうと懸命に動いた。
遡る魚を見たとき、すぐるの心に浮かんだものが双子のあおいたちだった。長く記憶の底に眠っていた、目をそらしてきた記憶。
「は、ははは・・。母さんと同じじゃあないか・・・。俺は、俺にとって何よりも大切な兄妹をどうして、忘れていたんだ・・・。」
大震災のあの日、すぐるは、忘れていたものを思いだし、もう一人の家族の行き先があの消えた闇の中にあると理解した。
すぐるは、自分がすべきことを考えて、行動した。
ーー兄さんの身体が、この場所に召喚させるには、どうしても肉体を骨にすることはできない。兄さんはどうしてそれを知ったんだろう・・
ディランはオーディンの竜巻落下作戦がうまくいっているのを見ながら、頭には疑問しかなかった。どう考えても、こうなるように兄は火葬を拒んだ。
ーー誰かが兄さんに言った?けれど、一体誰が・・?
ディランは考えても答えが出ないことだったが、何か理由があることだけは理解して、あとで話しを聞こうと考えた。
ついに像が砕かれ、中にいたフレヴェルグが出てきた。スモッグのような見た目だ。
リーヴァとアダマン、それにラウムが同時に召喚魔法を発動させる。城の上空に巨大な錬成陣が浮かび上がり、光が収束した城の中庭に人の亡骸が現れる。
フレヴェルグがその肉体を貪るために動いたその時だった。
闇の穴が大きく開き、闇から黒い糸がフレヴェルグを絡め取り、掴んで、徐々にその目に見えない姿を押しつぶしていった。最期には、フレヴェルグの痕跡が消え、跡形もなくなった。
闇から現れたのは、ディランと同じ顔の女性。穴は閉じられた。
「ディラン。」
女性は少しだけ声が高く、けれど、ディランと同じように笑うと明るく華やかだ。
「・・・、宵の国の王。助かったよ。」
「ふふふ。すぐる兄さんの身体を召喚したでしょう?だから、迎えに来たんだ。」
明るく笑う宵の国の王。
うり二つの顔。双子であり、一つの魂を分け合った、命の虎の新たな形。
「・・・兄さんって、どうして火葬を辞めたのかな?」
「それは、理由は本人に聞けば良いじゃない?」
双子はそう話していると、完全に転生したすぐるが目覚めた。年齢補正が入ったのか、亡くなった時よりもずっと若い姿だった。
「ははは!そっくりだな、やっぱり!」
すぐるは興奮しながら双子のそばに駆けてきた。心臓の病が消え、自分の身体に負担がかからないことを満足そうにしている。
「「すぐる兄さん!」」
双子は、息ぴったりに声を合わせた。
「兄さん、身体は平気?」
「元気そうで良かった!」
すぐるはただ嬉しそうに笑って頷いた。
あの日流れていった存在。けれどこうしてまた、出会えた。それは、彼女のおかげ。自分の前に現れた、優しくて、美しい妻。彼女が、あおいの正体とあおいのおかげで戻ってこれたと感謝し、すぐるがいずれ向かうであろう大地のことを話した。
向こうで転生した妻のこちらでの名前はフランヌ・ロギステヌ。ディランによって元の世界に還され、転生し直し、すぐるの妻となった。
記憶を持ったまま、違和感を抱えて生きたすぐるの妻。しかし、すぐると会えたことで、自分の立場も生き方も変わった。愛する夫が、フランヌと出会い生きることを知っていた。命の螺旋に飲まれ、けれどすぐるを愛していることだけは真実だと何度も口にした。
すぐるは、知っていた。この大地のこと。あおいのこと。だから、肉体を火葬させるわけには行かなかった。双子の元に、愛する妻にもう一度会うために。
様々なことが重なった。何も欠けることがないように、誰かが意図したわけではない。
ただ、生きることが前を向いただけ。
ディランは、宵の国の王とすぐるが宵の国に帰るために必要な神獣を呼んだ。
「ダラン。二人を連れて行ってあげて。」
ダランは、あおいとすぐるを見て大きく頷いた。
「オッケー。僕もそろそろ成長する時期だと思ったんだ。」
ディランはダランの頭を撫ぜた。その瞬間、ダランの周りに光が溢れた。碧く光り、美しい馬となった。頭に大きな角を生やし、背には真っ白な翼が二つあった。
ーー綺麗でしょう?
ダランは嬉しそうに言う。確かに美しい姿だった。
「ふふ・・。貴方、世にも珍しいユニコーンとペガサスの親を持つサスベンスだったんだ。」
宵の国の王がサスベンスにそっと触れた。温かい。
ーーまぁね。産まれた時、成長したら姿が変わるって言われていたから、どっち似かなーって。
「どっちも取り入れているな!俺は妖精に詳しくないが。でも綺麗だな。」
すぐるも呆けて見入った。
二人はサスベンスの背に乗って宵の国へ帰っていった。
ディランは、彼らと再び会えることは、もうないのだと理解した。妖精を通じて会話をすることがあっても、二度と顔を合わせることはない。
少し寂しく思う一方、これからは自分の統治する国のこと、民のことを考える必要があると思い直した。それに、この国の王は今はまだ決まっていない。少なくともラルフレン家には長と呼べる存在が不在だ。残された人々が生きるためには誰かをこの国に派遣し、土地を活気づける必要がある。
ーーディラン。父様を呼ぼう。あの人は、ラルフレン家を分家であると認めている。少なくとも、今は公王を引退しているから、きっと力を貸してくれる。
「爺様を・・・。確かに、それが良いかもしれません。それに、ラルフレン家の当主となり得る人々が収監公役商で用心棒をしています。彼らにも声をかけましょう。この土地も、私の命の息吹によって変わりました。きっと・・・」
その後、ディランとラウムはオーディンの背に乗って隣国バダデア国に向かった。マイケルとランディバーにはラルフレン家の人々のケアを頼み、出来ることなら、ケミランを迎え入れる準備を頼んだ。
二人はディランの言葉を聞き、なんの疑いもなく二つ返事をした。少し離れることになっても、ディランが二人をおいていくなんて事はしないと信頼しているからだ。同時にディランが二人を離すことなどしないと公言してくれている。
ディランは、二人を自分に仕える者だとは考えない。友人であり、自分の家族だ。少し離れても、絶対にそばにおく。これはディランが求めていることであり、二人が求めることだ。
バダデアに辿り着くと、パジオノ王が出迎えてくれた。特に、ディランはパジオノが求めに応じてくれたことに感謝した。オーディンを借りれたことで妖精王の命を延ばしたのだ。
「パジオノ!ありがとう。」
ディランの笑顔がはじける。
「ディラン。色々あったのだろう?今は聞かないが、いずれは教えて欲しい。貴方のことを救えたことがなによりも私にとっては大事なことなんだ。」
パジオノは、複雑な話しをその場で聞くことはなかった。もうすぐ、結婚式を行う予定だからだ。そのために、エクシエルもその場にいた。
「エクシエルさんもお久しぶりです。怪我はもう治りましたか?」
「えぇ、ディラン様。わたくしも貴方の笑顔を見て、ほっとしております。」
エクシエルは微笑んだ。愛する夫の友人は優しく、その上とても強い力を持っている。
「そうだ!結婚式はどこで行うつもりなの?」
ディランは二人の纏っている独特の雰囲気に気がついた。
「式はこの国で行って、そのあと、帝国領でも行います。是非、参加してください。」
エクシエルはなんとなく、参加の意味に表現を付け足した。
「・・・エクシエルさんは、聡いですね。えぇ!私と・・・結婚する予定の女性とを、一緒に参加させてください。」
「ディランにもそのような女性がいらっしゃるのですね?・・・もしや、あの日、共に馬車から降りてこられた・・・?」
パジオノは少しだけ目を細めた。懐かしい記憶も再生される。
「そうです。アーナを妻に迎えるために、帰ったら告白します。私の愛する人は、彼女以外いませんし、今後現れないでしょう。」
「それは素晴らしい。アーナ様にお会いできる日を楽しみにしております。友人になれると信じております。」
「アーナは優しくて良い子だから、絶対に友達になれますよ。エクシエルさん、パジオノ。オーディンをこれからもよろしくしてやってください。いえ、父様を貴方がたの神獣にしてくれてありがとう。」
ディランは、深くお辞儀した。パジオノも、エクシエルも、ただ微笑んだ。
「父様。またそのうちに会いに来るから。私は、ずっと貴方の息子だから。」
ーー愛する者は私の心をただただ穏やかにしてくれる。またな、愛する息子。
オーディンは息子の頬をぺろりと舐めた。そして、かすんで消えた。精霊王は神獣の姿でありながら、精霊達と同じように魔法を使った。
ディランはパダデタ王国の検問がない路を通って帰りの馬車を走らせた。
友好国の路と呼ばれるようになったその路には様々な人が行き交う。どの人々にも笑みがあり、悪意はない。その路には悪さをする者はいない。
ディランは公王の城に向かう。全ての憂いは絶たれた。愛する者が待つ家がこんなに恋しい。
あの日、あの夏。あおいは、帰宅した家にひいろがいて。ひいろは、あおいに向ける視線を隠したりせず、ただ、見つめた。
年齢という垣根がなくなっていたら。きっと、ひいろはあおいを好きだと言っただろう。そしてあおいは。あおいは彼女を愛していることを話しただろう。
あの日はもう来ない。
待っていたのは、あおいだった。本当はきっと抱きしめたかった。それでも、ひいろの将来を見据え、考えて。諦めた。
止まっていた時間はなにもかもを進ませた。ディランは、心の底から足踏みをやめようと考えた。ひいろが断ってもいい。アーナが突き放してきてもいい。
ーー言葉って伝えるためにあるだろう?
ディランは柄になく、心を持て余した。本当の気持ちを伝えるだけなのに。こんなにも心が早鐘を打っている。
今のディランの心の中に、妖精はいない。妖精が入る隙もない。妖精達はディランのために、愛の詩を歌った。本当の愛は誰かのためにある。自分一人が幸せになるのではなく。相手のことを思うこと。
公王の城に戻ると、数人の使用人が待ち構えていた。
「ディラン様!お帰りなさいませ。さぁ!急いで!」
ディランは訳も分からずに、自室に戻り、着替えをさせられ、髪を整えられた。そして。
「帰ってきて早々ですが。お願いがあります。」
使用人たちは生き生きしていた。
「どうした?何かあったのか?」
ディランは驚きつつ尋ねた。
「はい!アーナ様がダンスレッスンをして欲しいとのこと。」
いよいよ使用人の言うことが分からなくなる。
「アーナのダンスなんて、完璧だろう?」
「いいえ!今回はディラン様と踊ることが必須なんです。」
「・・・?私はアーナと何度もダンスしているが?」
「・・・もう!鈍いですね。アーナ様に求婚して欲しいんですよ。」
使用人達は口々に言う。そこでディランはようやく理解した。妖精達が愛の詩を歌ったのは、このことだ。すでにこの城ではアーナとディランの結婚を楽しみにしていた、ということ。
「ふふふ。分かった。行ってくるよ。」
ディランは大きく頷き、大広間にむかった。きっとアーナは待っている。
アーナのドレスは、とても綺麗な桃色だった。見ているだけでくらくらするほど美しかった。
「アーナ、ただいま!」
ディランは広間の戸を開き、アーナに声をかけた。アーナは、少し驚いたように言葉を失っている。
「ディラン!どこも怪我はない?」
アーナはディランを心配し、ゆっくりと近づく。ディランは足早に彼女の側に立った。彼女の頬に触れてちゃんと戻ってこれたと安堵した。
「どこも怪我はないよ。ねぇ、アーナ。」
「何かしら?」
「ずっと待たせていたと思う。私の妻になって欲しい。私は貴方を前世の頃から愛しているんだ。」
ディランの言葉に、アーナの瞳からほろほろと涙が零れる。
「・・・待たせていたのは、私よ。貴方のこと、ずっと好きだった。どうしても、貴方の側にいたかった。」
ディランはアーナの流れる涙を止めるために、まぶたにキスをした。額にも、頬にも。そして、唇にも。
「ディラン。私はこんなに幸せで、満足できるなんて思ってみなかったの。貴方が、ただ、側にいるだけで良かったはずなの。」
「私はそんな風に考えていなかったよ。君を愛する気持ちは変わらずにずっとあって。側におくだけなんて考えもしなかった。前世から愛し合える相手は君だけ。ずっと、永遠に・・・」
二人は、使用人達が見ているその広間で、彼らが望んだダンスを披露した。愛し合う者達の、穏やかで優しいダンス。
見る者達が、心から幸せを感じられるダンスだった。
二人は式を合同で行えるようにパジオノに連絡をとった。もちろん、エクシエルはそのためにディランに発破をかけたのだ。
その後、皇帝リーリアスが自身の皇妃キリンダとの結婚も合同で行えるようにと願い出たことで、より大きな結婚式が執り行われることが決まった。
リーリアスは、彼の妻という立ち位置をどうしてもキリンダ皇妃に与える必要があった。それはリーリアスの後継者としてどうしても双子を皇帝の皇子と皇女だと印象づけることが必要だった。そのために結婚式を挙げるというのはとんでもないことだった。
リーリアスの年齢は七十を過ぎている。それでも挙式を挙げるというのは、愛の形だろう。キリンダが傷ついた過去は、リーリアスにとって、耐えられないことだ。
過ぎ去ったことを騙る者はいないが、彼の心はいつもキリンダに向けられた。愛妻家となったリーリアスを蔑む者はいない。誰もが皇帝が人であり、ただの夫なのだと理解した。
皇帝がより人のように振る舞えば振る舞うほど、民は自分の王を好いていく。誰もが馴染みのある者についていく。
ディランも同じだった。アーナを愛する公王を、民は良き夫になると感じ、信じてついていこうと決めるのだ。
ラルフレン家の立て直しをケミランとマイケル、ランディバーが担った。
エイドはロギステヌ国だった場所に残り、ラルフレン一族の女性と恋仲になった。ケミランは、二人の仲を取り持ち、婚約させるまでに至った。
ケミランとマイケルは、ラルフレン一族の中でも、三人の家長に対して話しを聞いた。各々はラルフレンの血筋であったが、魔法の力を使わないようにドワーフに命じられ、ずっと封印してきた。
そのドワーフがいなくなり、本来許されてこなかった力を使うためにケミランに昔起きた、この地の出来事を聞かされた。
ケミランはジェクシム家の二代目当主、精霊王がこの場所で愛を育んだセトア・ラルフレンという女性との間に子供を儲けたこと。それをドワーフの一族が許さなかったこと。争いは妖精王の命を奪い、セトアの命も奪った。しかし、生まれた子供はロギと名付けられ、ドワーフの配下として、そして奴隷として飼われた、と。
ラルフレン一族は、永遠のように長い間、奴隷として生きてきた。しかし、本来は精霊王という血筋と、ジェクシム家の分家として、この地に国を造ることを望まれていた。
「我々は、奴隷という身分の中で物事を考えていました。王という存在を理解したことがない。でも、私たちの魔法はこの国を立て直す力になる。」
「俺たちは解放された。ならば、俺たちがこの地をより素晴らしくしよう。」
「でも、どうしたらいいだろうか?」
口々に言葉が出てくる。目を輝かせ、未来を見つめる。彼らの未来は、彼らの手で造られていく。
「魔法学校を設立しないか?おれたちは魔法を使えるが、仕組みを理解していない。」
一人の青年が紡いだ言葉は、他の二人を動かした。
「みんなにも募ろう!」
三人の家長はそう言うと、部屋を飛び出した。ケミランは、その様子を黙って見ていた。開かれた扉の先が輝きに満ちていた。
「・・・若い者たちは、私の言葉を聞き、自分で未来をつかみ取る。なぁ、マイケル。」
ケミランより少し下がったところで見ていたマイケルに、声をかけた。
「ケミラン様は、ディラン様のように彼らの自由を手助けするのですね?」
「あの子の小さな時。思い出すなぁ。うむ。私が死ぬまで見ていたい風景だよ。若人が羽ばたくまでは、私の心をずっと若々しくしてくれる。あの子たちは、きっと素晴らしい国を造る。」
ケミランはただただ、穏やかに頷いた。マイケルは、昔、ディランが巣立つその日まで、世話をさせて貰った記憶を思い出した。確かに、毎日がわくわくして、心が躍り、いつまでも側にいたいと思った。今も側にいたい。自分の主は彼一人だ。
だが、大人になり、落ち着いていくディランは、マイケルを労り、心の底にあった疲れや安息を何も言わずに提供してくれる。その優しさをマイケルは嬉しく思った。
子供の頃は一方的に与えた愛情だったものが、今は互いのためにある。マイケルとディランは互いに主従関係だった。けれども。いつの間にか、一方通行だったはずの気持ちがお互いに言葉もなく形作られ、相手を思い遣った。
この地にマイケルを残したのは、ディランの望みであった。でも、マイケルもここで残ってやりたいことを見つけた。マイケルが望んだから、ディランは別れたのだ。
「マイケル。ここで君の思うことをやり遂げて欲しい。私は君の帰る場所になることにするよ。」
ディランが口にした言葉などない。でも、あの穏やかな瞳は、きっとそう言っていた。
マイケルは大きく深呼吸をした。
「ケミラン様。わたくし、これよりジュトラッテ姓を名乗ります。今後、この地でラルフレン一族の方々を支援し、共に協力していこうと考えています。」
ケミランは、マイケルを見て、少し驚いた様子だった。けれど、笑みを浮かべ、
「なるほど。素晴らしいことだ。こうして、昔と今は繋がっている。ディランは本当に、命の虎だったのか・・」
と、呟き空を見上げた。
繋がっている。空を見上げ、大地の先へ。
過去から未来は脈々と、その中に延々とうねるように、人の想いと、残るために、残すために。
誰かが言った。
世にも不思議な話。
人が行き交う先には未知なる異世界が広がっている。
ーー拝啓、ディラン様。
わたくしは、この国に帰ってきました。何故、あの大地に流されたのか。理由は分かりません。けれど、わたくしはこうして愛する夫に会えました。夫はわたくしを知らない。でも、何故かわたくしを嫌いにならないんだそうです。
遠くの世界を話しました。じっと聞いてくれる夫は、わたくしを死ぬまで愛してくれると誓ってくれました。わたくしは、自分の勤めをしないといけません。夫に話したことを、わたくしはあおいさんにお話ししないといけません。
わたくしは、今も自分があの場所で悲しみに暮れ、貴方を待っております。わたくしは、すぐるさんの父親によって殺されます。あの場所に、フレヴェルグが巣くい、大勢のあの地の占有者が囚われいる。
あおいさん、ディラン様。
わたくしを愛してくれたすぐる。
わたくしのせいだと考えていました。でも、違った。
すぐる。わたくしは、貴方を助けるために、この手で。
貴方の父親が残した呪いを解くわ。
毎日祈りを捧げるふりをして、ラルフレンの方に協力を仰いで。
像の呪いを解かして。
わたくしは、何度もこちらとあちらを巡った。死んでも、何度も記憶を思い出して。
これが、きっと最後。呪いが解けたとき、わたくしの望みが叶う。
すぐる。あなたの父親がわたくしを殺しても、貴方が、わたくしのために、その手を汚すことはない。貴方は流されたその先で、父親を倒す手助けをするから。
会うことはきっともうない、フランヌ。
追伸ーーディラン様。わたくしが手心を加えたとしても、すぐるとわたくしは結婚し、きっと復讐の念にかられ、何度も巡るでしょう。その時は、貴方様の姉であるみどりさんにも手助けを頼みます。彼女の力が、ディラン様を救うこととなるでしょう。
その手紙は、いつの間にかディランの机の上にあった。読みながら、思ったことはただ一つ。
「どうして、私が弟だと分かったのかなぁ・・」
ディランは姉の名前も、そもそも姉だと言うことも、つい最近知った。
「何度もループしたから、かな?うーん・・。フランヌさんは確かにあのとき初対面だった。記憶の問題もあるだろうけど。不思議だな・・。」
ディランはただ、呟いた。
「ディラン。行きましょう?」
部屋がノックされ、アーナが声をかけてきた。
「あぁ。そうだね。今日はパジオノさんから手紙と一緒にドレスの内容が書かれていてね。」
ディランは、愛する者と共に出かける支度をする。
「そう!でもその前に宿の女将、リリンさんのところへ向かいましょう!彼女、とっても素敵な花をくださったの!」
アーナは明るく笑う。
「それはお礼を言わないとね。君の結婚式に用意する花屋もリリンさんにお願いしようか!」
「リリンさんは、宿屋よ?」
「それが、花屋もやることになったって。」
「それは素敵!」
会話はずっと続いた。
人が行き交う路を、ディランは人として歩いた。妖精達と会話できても、人と人が繋がっていることが大事なのだ。
妖精王は、人の繋がりが希薄だった時代に生きていた。時は流れ、人と人が繋がって、いつしか妖精王よりも力を持つようになったのが人。
多数は少数を切り落とした。
隣国シュンプリア。
国王は嫁いできた王女たちを選別し、二人の王子が生まれた。
ユハン第一王子とセブア第二王子。二人の王子は、自国の貴族と結婚をする手筈だった。
皇帝リーリアスが兵士を引き連れシュンプリア王国を制圧するまでは。
次の話:王たちの宴は華やかに語られる




