ep.3祖父の背負わせたかったもの
電気が消えた暗い部屋の中。
地下に太陽と月の明かりは届かない。
代わりに、窓からぼんやりと街灯の灯りが入ってくる。
アリシャはブランケットをまとって、自分のお腹のあたりを優しく撫でた。
それから穏やかな気持ちで目を閉じる。
片手は隣で眠る鰐男と繋いである。
一人じゃない。そう思いながら眠りに落ちる。
「何故、あそこまで言っても分からないんだ、有紗」
祖父がまた立っている。
昨日見た、有紗の知る、共に研究をしていた頃の祖父ではない。
今度現れたのはもっと老いた祖父の姿をしている。
「おじいちゃん。私の名前はアリシャだよ」
「いや、違う。たまたまお前が作られて、生育される過程でアリシャという名が付けられたのかも知らないが、お前は有紗だ。DNAがそうなのだ」
根っからの研究者。祖父はいつの間に有紗のDNAを保管したのだろう。そしてその本当の目的はーーAI祖父の後を継いで、ムンドゥスを完全管理統制すること、なのだろうか。
アリシャはため息をついた。
「私にはメインクーンのDNAも入ってるし、人間と生き物をうまく繋げるために様々なDNAを混ぜて繋げて出来てるはず。そんなに有紗にこだわるなら、おじいちゃんは最初から人間の有紗を復元すれば良かったんだよ」
「そんなことをしたら、人間がいる世界になってしまうではないか」
「そうだね。でも私だけなら、統治者として居るなら、別に良かったんじゃない?」
「人間はもう絶滅しているのに、そこにいたらハイブリッド達が混乱する」
「猿ハイブリッド達にだけ統制を任せておいたのも、それが理由なのね」
祖父とAIは何年もかけてムンドゥスを完全に統治する形を作り上げた。
それを一瞬でアリシャとジェイクにダメにされて、腹が立つのも、本当のところあるのだと思う。
だが、ボタンを託したのは祖父自身。
「私がおじいちゃんの思い通りに動かなくて、困ってるのね」
アリシャは冷静に、ただ静かに言葉を紡いだ。
「分かったの。おじいちゃんは、人類を絶滅させた責任を取らなきゃって、誰より強く思ってる。だから、生き物の多様性を失わないよう、これ以上絶滅する種が出ないようにしなきゃって、焦ってる」
祖父のメガネカイマンが、大きな顎を開けた。鰐は時々それをする。威嚇ではない。
祖父は息を吐き、しゃがんでメガネカイマンの頭を優しく撫でてやる。
「……わしが、責任を取りきれなければ、孫であるお前に託すしかないだろう」
「それは、おじいちゃんのエゴでしょ」
アリシャは話を続けた。
「おじいちゃんは、もう眠りたいって、休みたいって言ってたよね。今こうして私の夢に出るのは、私の頭の中に何かを遺したから? おじいちゃんが自分にAIを組み込んでたように、私の中におじいちゃんの意思が入ったチップを組み込んだり……」
祖父は首を横に振った。
「そんな事は、していない。ただ、暗示のようなものを、お前の脳の深層に見せただけだよ」
アリシャはホッと息を吐いた。頭の中にチップを入れられていたらどうしよう、と不安だった。祖父がそんなことをするはずない、とはもう言い切れなくて。
だが、昨日と違い、アリシャは気付いていた。
「完全統治したければ、おじいちゃんは、あの忠実な秘書ロボットにやらせればよかった。そうだよね? おじいちゃんも分かってたんだよね、本当は。私は、統治を選ばないって」
「分からない。わしが最後に見たお前は、人類滅亡のスイッチを押してしまった事に、ひどい自責の念を感じていたからな。だからこそ、これ以上生き物を絶滅させてはいかんのだ、進化の過程を私利私欲で途絶えさせてはいかん」
祖父の言うことが、アリシャには支離滅裂に思えて。
思わず、吹き出してしまった。
祖父は疲れているのだろう。
三百年余り、責任を持ってハイブリッド類を適切に管理してきたのだから。
もう眠りたいと言っていたのは、本音なのだ。
「あのね、おじいちゃん」
アリシャは前にAIに話しかけた時のように、子供を諭すように、優しく話しかけた。
祖父に、自分のお腹を撫でて見せる。
「私、ジェイクとの子供を作るわ」
その瞬間、祖父の顔が怒りで赤く染まる。
「何を馬鹿な!!!」
ムンドゥスでは、同じ種同士でしか、結婚も子作りも許されていなかった。
違反者はA.P.によって処罰される。
だが、もうA.P.も、その最高責任者も、居ない。
アリシャは、心を込めて祖父に語りかけた。
「進化の過程の話をしましょ。あなたは、人類の強みを活かして生き物を保護するために、ハイブリッドを作ったよね。それが、一人の研究者と、その人のAIが考えて、全人類を巻き込んで、実行されて、世界は変化した」
アリシャは腰の曲がった小さな老人に、少しずつ近づいてゆく。
「そして、次の変化の時代が来たの。ハイブリッドたちは自分たちの特性や、生き方を本能で知ってる。そこに加えられた人間のDNAで、統治なんか無くても、上手くやっていくわ」
老人はいつしか怒りを失って、ただ不安そうに立っているだけになっていた。
アリシャは老人のシワだらけの手をそっと包み込んだ。
「そして、自由があるから、新しい進化が起きるの。私とジェイクの子供、どんな子が生まれるのか、私はワクワクしてる」
アリシャは祖父の手を自分のお腹に当てた。
まだ、妊娠しているかは分からない時期だ。
だがアリシャは確信しているようで。
祖父は、ふうと息を吐いた。
「すまない、そして、ありがとう……」
孫が妊娠したら、祖父は嬉しいものだ。
当たり前の感情。
進化の過程を受け入れるべき。
それが、祖父の望んだ生き物の本来の姿。
「人間のDNAを組み込んだ以上、違う種同士が愛し合うのも必ず起こる。おじいちゃんはそれを防いできたけどね」
アリシャはぎゅっと祖父の冷たい手を握った。
「これからは、新しい生き物が生まれる。世界に新しい進化が起こる。もし絶滅する種がいても、新たに生まれる種もいる。それこそ、世界のあるべき自然の姿でしょ」
アリシャは自分が選んだこの未来に、胸を張りたいと思った。
自分も進化の過程で、新しい種を生み出せることへの期待。
何より、愛する存在と結ばれる幸せ。
腰の曲がった老人は、大きなため息をついて、アリシャのふわふわの手を握りしめた。その力はひどく弱かった。
「わしより、お前が正しいのだな、アリシャ」
「正しいかどうかは、この子が教えてくれる」
二人はしばらく手を取り合ってただ立っていた。
ただ生き物を愛したが故に、人類滅亡のスイッチを押して、人間と生き物をハイブリッドとして作り替えた元蔵。
その孫として、同じように生き物を愛し、祖父を尊敬して守ろうとした有紗。
二人の歩んだ道も、進化の過程から見たら、ほんの小さな数ページに過ぎない。
「ジェイクのそばに帰るね」
アリシャが言った。祖父は弱々しく頷いた。
「子どもが健やかであるよう、祈っているよ、アリシャ」
そう言って、元蔵の姿は風に吹かれた砂のように消えて行った。
アリシャの中で、もう彼が夢に現れる事はないのだろうと、不思議と確信があった。
「ジェイク、私はここにいるよ」
アリシャが呟くと、誰かに体ごと、ぐいっと引かれる感覚があった。




