名のないカフェ(2)
ヌルの積み重なった不安に気が付きながら、見ない振りをして、一人で抱え込んでしまうのがよくないと分かっていても、ブシュラは中々そういった自分を変えることができずにいた。
それなのに、ウムトがサラの祈りについて解くことを信じている自分もいた。人それぞれに醸し出す雰囲気があるとすれば、ウムトには人に何かを期待させる不思議な雰囲気があった。
ヌルもそんなウムトのことが気になっているのかもしれないし、変わった魅力を持つ青年であり、若さゆえに至らないところもあったが、それも含めてウムトだった。
仕事を終えてもヌルはすぐには帰らず、ブシュラが香料の瓶を並べて何をしているのか分かっていながら声を掛けられないでいるようだったから、わざと席を立つと思った通り、ヌルが近づいてきた。
「手伝いましょうか?」
「大丈夫よ、あなたの手が必要になったら必ず言うから。今日は家に帰って休みなさい」
「ブシュラさんも遅くならないうちに帰って休んでください。お疲れさまです」
扉を閉める音が聞こえないくらい、ヌルはゆっくりと扉を閉めて帰った。
それからもブシュラは一人アトリエに残り、人生で最も悲しい日の香りを再現しようとしていた。近い所までは辿り着いたものの、それから先の一歩、二歩が思うようにいかず、そこから近づくことができないままだった。ヌルはブシュラを心配しながら、今の段階で自分が手伝えることがないのも分かっていた。それでも、ただ待つのはもどかしく、気分が晴れないまま時間が流れ、時が過ぎた。
そんな気分のせいか、そんなはずないのに、一ヶ月ぶりの休みを貰えたような気分のまま、何となく早く目が覚めて、朝食も終えると、そのまま家でだらだらと一日を過ごす気にはなれず、ガムゼに会いに行くことにした。
ファウンデーションと日焼け止めが少なくなってたから、この際に買ってしまおうと、外に出る理由を探しているつもりはなくても、頭には色んなことが浮かんできた。ブシュラは今日もアトリエで香料の瓶を机に並べていることは想像に難くなかった。
店内に入ると、いつものようにガムゼの面倒臭そうに商品棚を整理している姿が目に入った。「髪色変えたの?」ヌルが声を掛けると、まるで待っていたかのように笑顔を見せた。
ヌルも明るいガムゼの顔をみて久しぶりに心から笑えたことに気がついた。いつの間にか抜け出すことのできない沼にいて、抜け出そうと手足を動かせば動かすほど沼の底に落ちていく嫌な感覚を時に覚えていた。
「どう?結構気に入ってるんだけど?」
「いいと思う。似合ってるし」
「ありがとう。それと、運がいいのね。早めに来たのは何か理由でもあるの?」
手に持っている商品を棚のフックに掛けながらガムゼは言った。
「珍しく早く目が覚めて、このまま寝たら昼に目が覚めるのは分かっていたから、そのまま支度して家を出たの。今日出勤かどうか知らなかったけど」
「そうね、とにかく今日は午前中で終わりだから、仕事が終わったら私も電話しようと思っていたの。これからどこ行く?もし特に用事がないなら、行きたいところがあるんだけど?」
「薬局で化粧不品が見たいけど、そのくらいかな、どこに行きたいの?」
「カフェだと思う」
「どういう意味?」
「そこの前を通りかかったんだけど・・・」
ガムゼの肩を叩いたのは、今年、六十歳になる店長だった。ヌルも少しだけ話したことがあり、優しいおじいちゃんだった。「ガムゼ、ちゃんと仕事しなさい」と言い、ヌルに微笑みながら二人の間を通り過ぎていった。




