雲の隙間から差す光(2)
「その感覚を説明するのは難しいんですけど、どうして今まで物語を書かないで過ごしてきたのか不思議でなりませんでした。それから、イタリアの出版社に連絡して内定を辞退することを伝えました。申し訳ないことをしたと思いますが、やっぱり、自分の中で目覚めたその何かを無視することはできませんでした。
それから一年ほど母親の家で物語を書いては出版社に送りを繰り返して、そのうちの一つが出版されることになり、そうして作家としての人生を踏み出しました。幸運だったのは事実ですが、運だけではないと思います」ダリヤはなぜか他人の人生を語るような、淡々と抑揚をほとんど加えることなく話した。
それと、今度は自分がダリヤに説明する順番だとアフメドは感じ、ダリヤもそんな表情を見せて、目でも訴えているようだった。
サラについては名前すら出すことなく、医師になる過程と主にアメリカで過ごした研修医時代のことを話し、苦労も多く、今でもその時の経験があるからこそ辛くても乗り越えられたことがたくさんあるのは嘘ではなかった。
それでもダリヤに何かに触れないように恐れながら説明しているように感じさせてしまったのかもしれない。「色彩が感じられなかった、何か大きなものの影を見たような気分がします」はっきりとダリヤは言った。ダリヤの琥珀色の綺麗な瞳にマルコの影は一切感じられず、それは色や形が違うという意味だけではなかった。
母親の目はダリヤと似ているのだろうか?アフメドが話そうと口を開いた瞬間、窓から強風が部屋の中に向かって吹きつけてカーテンが大きな音を立てながら、大きな翼のように部屋に広がるカーテンはアフメドとダリヤを包み込んでしまいそうだった。
ダリヤは窓を閉めるために立ち上がり、完全に閉められるとカーテンは元のようにただ垂れていた。サラの名前を出さなくともアフメドの話したことの中にその影を感じたのかもしれない。
赤くはなかったが、見事な夕日の空が窓の外に広がっていた。その空がアフメドに思い出させたことについて、サラについても結局、話すことはなかった。最後にダリヤはアフメドに宿泊しているホテルのカードを渡した。部屋から出るダリヤが扉の前で立ち止まり、アフメドにの方に振り返ると、ふと思い出したように言った。
「病院の入り口が分からなくて、中庭のベンチに座っていた若い男性の患者に教えてもらいました。もしその患者を知っているならありがとうと伝えてくれませんか?」
「構いませんよ、たくさんの患者いますから知らないかもしれませんが、名前は聞きましたか?」
「ウムトです」
驚いたものの隠しきれないほどではなかった。
「退院しましたが、別件でまたここに来ます。来院したら伝えますよ」
「分かりました、お願いします」
ダリヤがゆっくりと扉を閉め、廊下を歩く足音が段々遠ざかっていくのを聞きながら、ついには聞こえなくなると、アフメドは窓を開けて外を眺めた。ほとんど風は吹いておらず、さっきのようにカーテンが舞うこともなかった。長い一日が終わろうとしていた。




