サラの囁き(3)
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アフメドはマルコがあれほどあっさりとメモを読むこに抵抗を見せず受け入れたことが飲み込めずにいた。アフメドからすれば悪いことではなかったが、あまりにも不気味だった。マルコが失うものもは決して小さくはないはずなのに。
拭え切れない不快感の原因はこれなのだろうか?マルコは何を知っているかのか?何が起きても驚くことはないその石のような顔、考えただけでも嫌な気分になった・・・。
五月には似合わない厚い雲と冷たい風の一日だった。
「どうしてそんな顔をしてるの?何かあった?」
アフメドの顔を覗き込むようにサラはマグカップをテーブルに置いた。コーヒーではなくハーブティーであることは色だけでなく、香りからもすぐに分かった。アフメドは普段ハーブーティーを飲まなかったが、サラが飲んでいているのは知っていたし、飲んでみたいとは特に思うこともなく、いつも隣でコーヒーを飲んでいた。
サラもそのハーブーティーをアフメドのために淹れたのではなかったが、アフメドの憂鬱そうな顔が目に入り、考えを変えたのかもしれない。サラは再びコンロに火を点けていた。キッチンにいるサラに聞こえるように少し大きな声で答えた。
「特別な理由じゃないよ、医師はストレスのかかる仕事だから。死と向き合い続けなければならない」ハーブーティーを飲もうとマグカップを手にしたが暑くて飲めず、サラを待つことにしてテーブルに置いた。
「そうかもしれないけど、私は素晴らしい職業だと思ってる。人の命を救っているのよ」「確かにそうかもしれないし、聞こえはいいけど救えない命もその裏にはたくさんある。医師が救える命は多くないのかもしれない。いつもではないが、『死』は医師をからかっているんじゃないかと思うこともある」
アフメドは手を温めようと何となくマグカップを両手で軽く覆った。「それでも救われた人たちに目を向けるべきよ。あなたはその両手を人を救うために使ってる、私は祈るために使ってる」
それから新しく淹れたハーブティーを手にアフメドの座っているソファーまで慎重に歩くと、テーブルにマグカップを置き、アフメドの隣に腰掛けてから包み込むように手に触れた。サラの手は冷たく感じたが、それはアフメドがマグカップに触れていたからかもしれない。
サラの手は決して大きくはなかったし、特別指が長いわけでもなかった。ピアニストにとって鍵盤を引く上で指の長さは有利になると聞いたことがあった。当たり前のことで、遠い鍵盤を押すためには手が大きいか、指が長いに越したことはないだろう。
ただその手にはもっと大きな何かがあったからこそ、子供の頃の部屋にはたくさんの賞状やトロフィーが並べられていたのだろう。サラの手は指の一本一本が独立しているように細かく力が入れられるようだった。不思議な感覚が手の甲から伝わっていた。
「冷めないうちに飲んで」それからサラは何かをふと思い出したようにソファーから立ち上がり、キッチンに戻った。一週間くらい前に間違えて買ってしまったクッキーと共にアフメドの座るソファーに戻ったサラがクッキーの包みを手で開きながら投げかけた質問の意図は何だったのだろうか?
「あなたは死についてどう考えているの?」簡単に答えられる質問ではなかった。




