嘘と偽のボイスレコーダー(3)
普段はブシュラが先にアトリエに着いて鍵を開けていたが、その日はいくら待っても来る気配がしなかった。何をしたらいいか考えている静寂の最中で鳴る電話のベルはいつもよりも大きく聞こえた。
電話を手に取ると、聞いたことのある男の声がした。「ヌルさんですか?シナンです、覚えていますか?」彼のことを忘れるわけがなかった、あんなにも欠点のない人間を見たことがなかったのだから。
「すみません、まだブシュラさんはアトリエに来ていなくて・・・。こちらから折り返します」「今日ブシュラさんは来ませんよ。朝、オフィスに電話がありました。あなたに伝えて欲しいと頼まれたんです」「え?」
それからシナンは一字一句、正確にブシュラが話したことを説明した。そんなシナンがやはり不気味だった。何一つ忘れもしないのだろうか?もうこれ以上話したくなかった。具体的に何がそこまで嫌なのかはっきりと説明することはできなかったが、ヌルは今すぐにでも電話を切りたかった。
「余りにも仕事が多過ぎます・・・」「明日もアトリエには来ないそうですよ。二、三日はかかると言っていましたから。どこへ行くのかは説明してくれませんでした。恐らく、新しい香水のことだと思うんですけど・・・」
シナンの考えは間違っていないだろう、ただそれだけでなく昨日のことも関係しているとヌルは思っていた。それにしても、ブシュラらしくなかった。ただ電話を切ってから、ブシュラの机の引き出しを開けると思った通り、そこにはあるはずの古い香水のレシピがなかった。
それと、問題が起きる前にウムトにボイスレコーダーを返したかった。ウムトはまだ気がついていないのか?それとも、もう渡してしまったのか?最悪なのがフルカンとかいう編集長に渡してしまうことだった。
シナンから伝えられた仕事に取り掛かったが、ウムトのことが気になって集中できるはずもなく、来客のベルが鳴らないか期待していた。なるべく早く仕事を終わらせて、ウムトと初めて会ったカフェに行こうとしていた。そこに来ると信じていたが、ただ信じたかっただけかもしれない。
ベルの鳴る気配がないまま、残酷に時間だけが過ぎていき、仕事は終わっていなかったが、鍵を閉めてアトリエを出た。カフェに着くと、適当に飲み物を頼んでウムトのことを待った。全てが悪い方向に傾いているような気がしてならなかった。
ガタつく机と椅子がいつも以上に気になった。ブシュラは録音を聴いたことでどこかに行き、ウムトから嘘をついてボイスレコーダーを盗んだも同然だった。後悔しても遅かったし、二つの出来事がヌルを苦しめた。どちらもヌルがしたことだった。
マグカップは空になり、カフェの閉店時間も迫っていた。結局ウムトは姿を現さなかった。明日の朝、アトリエに来るだろうか?ウムトがどこで働いているのか知らなかった。夜の暗闇もまたヌルを苦しめた。
その夜は信じられないほど長く感じ、日が昇らないのではないかと本気でそう思ってしまうくらいだった。夜中に何度も目が覚めては、暗闇の中で目を閉じて眠ろうとしても簡単には眠れず、不安に苦しめられながらひたすら朝を待った。




