嘘と偽のボイスレコーダー(2)
それから五分も経たないうちに、ブシュラは机の上にチャイのグラスを二つ置き、同時にヌルは机の真ん中にボイスレコーダーを置いた。ブシュラが椅子に座ると、再生ボタンを押した。少しの雑音が流れた後、男の掠れた声が聞こえた。
二十分くらいだろうか、確実に時間が過ぎたことを示すように二人の前にあるグラスからもう湯気が出ていなかったし、二人の前にあるチャイが飲まれることはなかった。ヌルは、どうしていいか分からなかった。
喉が詰まるような嫌な感覚があった。マルコという政治家は、ヌルとブシュラがこの録音を聴くのを知っていたのだろうか?二人に向けて話しているような、こっちを見られているような気がしてならなかった。
マルコがどんな人物かは知らないが、声から伝わってくる雰囲気は決して心地よいものではなかった。アフメド医師が彼に渡したメモに何が書かれているのか、録音の中で明かされることはなくても、ブシュラにとって予想することは難しくなかった。
マルコが何の躊躇いもなくアフメドの要求を受け入れたことはブシュラに怪しさを感じさせ、引っ掛かった部分だった。マルコにとって大きな犠牲を伴うことだっし、それよりも娘の命が重かったといえば聞こえはいいが、マルコの声にそんな感情は一切なかった。
アフメドにしても、手術を盾にそんなことを要求することは医師として許されるのか?ブシュラは呆れたのと同時に、アフメドのことが心配になっていた。マルコに導かれるようにして、暗い階段降りて、誰の手も届かない場所に消えてしまいそうだった。
そこにアフメドが望んでいるものがあるとは限らなかったし、今すぐにでも手を思い切り引っ張って、光の当たる場所に戻してやりたかった。机の上にあるその小さなプラスチックの塊に人間の汚い部分が詰まっているように感じたまま、ブシュラはしばらくボイスレコーダーから目が離せなかった。
ヌルも同じように、何もすることができなかったし、気がついた時には家の扉の前で突っ立っていた。扉を開けて中に入っても、どうやってアトリエからここまで帰ってきたのか思い出せなかった。ただ鞄の中にはボイスレコーダーが忘れることなく入っていた。
ブシュラにこの録音を聴かせるべきではなかったと、後悔したところで手遅れだった。香水の蓋を一度開けてしまえば、その香りを再び瓶の中に閉じ込めることはできない、不可逆なものがこの世界にはたくさんあった。
一日ぶりに自分の部屋で眠ることができると思っていたが、リラックスして眠れるような気分じゃなかった。部屋とかベッドとかの問題ではなかった。それにボイスレコーダーウムトに返さなければならなかった。
偽物だと気がついただろうか、その事に気がついてもしアトリエに来たら、ウムトに何て説明すればいいのだろうか?ほとんど眠れずに朝を迎えて家を出る準備をした。ボイスレコーダーのこと、ブシュラのこと、ウムトのこと、答えが出なくても考え続けた。
ヌルはしばらく間違った道を歩いていることに気が付けず、見知らぬ公園まで歩いてしまい、見慣れない風景に気がつくも、どれくらい歩いただろうか?初めて通る道だった。
遅刻してアトリエに来たはずなのに、鍵はかかっていたし、電気もついていなかった。珍しくブシュラがまだ来ていなかった。鞄から鍵を取り出してその日はヌルが先にアトリエに入った。




