取り壊されたアパート、それから不動産屋(5)
「何か用かね?」
「お話を伺いたいんですけど、大丈夫ですか?」
「構わんよ、中に入ってくれ」
招かれるままにウムトは中に入り、近くのパイプ椅子に座った。「そこじゃなくて、ソファーに座りなさい、お尻が痛くなるよ」ウムトがソファーに座るとパイプ椅子を畳んで壁に立てかけた。
「チャイを淹れてこようか。少し待っててくれ」ウムトの返事を聞かないまま奥に行ってしまった。コンロの火を点ける音が聞こえ、少しすると二つのグラスを持ってきて机の上に置いた。
「何を聞きたいんだっけか、忘れちゃったよ」「まだ説明してませんよ」と言ってウムトはチャイを一口飲んでから、新聞記者であること、取り壊されたアパートについて何か知っていることがあれば教えてほしいことを説明した。不動産屋は手に持ったグラスに口つけることなくテーブルに戻した。
「あそこかい?あの新しくなたったところだね」
「そうです。建築事務所の方がここのことを教えてくれました。そこに住んでいたある人についてお尋ねしたいのですが、よろしいですか?」
「アパートの取り壊しが決まったてから、希望する人には、いくつか物件を紹介したんだよ。ところで、新聞記者なんだろ?実は私も新聞記者になりたかったんだよ、ただ父が許さなかった。理由は今でも分からないが、新聞記者が嫌いなようだった」
それからこれまでの人生について話しはじめた。ウムトが聞きたいことではなかったが、話を遮るのはあまりにも自分勝手ではないかと思い、そのまま聴き続けているとその名前が偶然にも彼の口から出た。
「アフメドは医者になったようで、小さい頃を知っているからこそ、何だか感慨深いんだよ。息子はいないが、私にとっても息子だったよ。彼の目を今でも覚えている」
アフメド医師であることはほぼ間違いなかった。「もう少し説明していただけますか?」ウムトが前のめりになった瞬間、ガラスの引き戸が開いた。後ろを振り返るとそこにはよく知っている男が立っていた。
不動産屋もその男に手を挙げた。「フルカンすまないね、助かるよ」と言って差し出されたスーパーの袋を受け取って中身を確認した。フルカンも、自分を見ている若い男がウムトであることに気が付いていたが、いつものように冷たい視線でウムトを見ていた。
「ここで何してるんですか?」
「同じことを訊きたいところだが、お前と同じ理由だよ」
「どういう意味ですか?」
質問に答えずにウムトの横に腰掛けた。
「あのチョコレートが見つかりませんでした。申し訳ないです」とフルカンは不動産屋に謝まった。ウムトは驚きを隠せなかった、フルカンの口から『申し訳ないです』と、謝罪の言葉を聞くのは初めてだった。ウムトも含め会社の人が毎日のようにフルカンに謝っているのは目にしていたが、その逆はなかった。
「気にしないでくれ、たまに置いてないことがあるんだよ。私も買えないことがあるんでね。まだ口をつけていないから、君が飲んでくれ」と言って自分の目の前にあったグラスをフルカンに近づけた。それから、ここ最近の天気について話しはじめた。
二人はただ、彼の話に耳を傾けていた。突然、思い出したかのように言った。
「フルカン、君の横に座っているその若いのも新聞記者らしいぞ、知り合いかね?」「そうなんですよ、同じところでこいつと働いています」
「あ、そうかね?いいじゃやないか。実は私も新聞記者になりたくてね、しかし父が反対して・・・」
さっきの話の繰り返しだった。




