取り壊されたアパート、それから不動産屋(2)
特に断る理由もなく、両親も喜んでいたし、驚いてもいた。次の日、仕事に行くと、窓際に自分の小さな机が用意されていた。居場所があることに喜びを感じたが、仕事は決して楽ではなかった。
フルカンの部下として働くことはストレスの連続だった。何も言わずに従う部下を探していて、丁度そのタイミングで自分の履歴書が届いたのではないかと考えたくはなかったが、今思えばその場で採用されるのは明らかにおかしかった。
全てをヌルに説明しなかったが、新聞記者になるつもりはなかったことだけは、しっかりと伝えた。ヌルもあまり興味がそそられなかったのだろう。適当な返事をしてから、話題は季節のように移り変わっていった。
「フォーレを聴いているのはアフメド医師なんでしょ?」
「そうだけど。音楽好きなんだっけ?フォーレは聴くの?」
「聴いたことないわけじゃないけど、ものすごく好きな作曲家ってわけじゃないから。アフメド医師は他に何か聴いてないの?」
「どうだろう?彼について知らないことはまだたくさんあるから・・・」
ヌルは何か言いたいことがあるようだったが、ウムトも確信があるわけじゃなかった。ただ彼女が切り出すのを待った。気が付けば、雨の音はもう聞こえなかった。外を歩く人も傘をさしていなかった。
ヌルはチャイを飲み干すと、少し前のめりになって言った。「アフメド医師の写真に写っていた香水の瓶から私たちのアトリエに来たんでしょ?その写真私もみたいんだけど?」
ウムトは鞄からクリアファイルを取り出して、その中から一枚の紙をヌルに見せた。「この写真。コピーだから見ずらいかもしれないけど・・・」ヌルは真剣な表情でその写真に視線を落としていた。なぜそれほどに真剣な眼差しを見せたのか分からなかったが、ブシュラとヌルの間にも何かあるのかもしれない。まだその写真から目を離していなかった。
「古い瓶ね、商品じゃない。何がサラという女性と関係があるのかしら?」ヌルの独り言をウムトはただ聞いていた。アフメド医師とブシュラの間に常にサラの影があった。彼女について知ることは、二人についても多くを知ることになるだろう。そしてブシュラは、サラが何を祈っていたのかを知りたがっていた。
そんなことを今さら知って何になるのかヌルには理解できなかったが、ブシュラには大きな意味があるようだった。口にはしなかったものの、サラが何を祈っていたのか知るのは、ほとんど不可能だと思っていた。ヌルだけでなく、ウムトもその祈りの意味に辿り着ける可能性が低いことは分かっていた。ブシュラだって心の奥底ではそうかもしれない。
亡くなった人が何を祈っていたのかなんてどうやって調べればいいのか?何かについて調べようとすれば、その場所に行ったり、写真や記事を探したり、何かしらの方法を思いつくものだが、今回に関してはそうはいかなかった。ブシュラとアフメド医師の他にサラを知る人物が出てこなかった。
ブシュラがアフメド医師に直接そのことを話してみればいいとウムトは考えていたが、二人の間にも何かがあるのは薄々感じていた。だからこそ、ウムトに頼んだのだろう。ヌルも、ブシュラと長い時間を過ごしていながら、アフメド医師の名前を最近知ったばかりだった。




