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サラの祈り  作者: 和正
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黒い車(5)


「アフメド医師に渡した香水その時の香りを再現したものですか?」


「そうよ、彼は蓋を開けていないようだけど。ただアフメドもそれがどんな香りなのか分かってたと思う・・・」ブシュラは窓の外を見ていた。外には通りを歩く二人の若い女性がいた。


握られている花束に顔を近づけたり、話をしながらアトリエの前を通り過ぎて行った。ヌルは自分にできることはないかと考えたが、具体的に何かを思いつくことはなかった。同じ方向を見て二人の女性が通り過ぎていくのをブシュラと眺めていた。


それから、ブシュラは一人にさせて欲しいと、今日はもう帰っていいとヌルに伝えた。そう言われた以上、アトリエから出るしかなかった。何もすることなく、ただ机の上をぼんやりと眺めているブシュラの姿が目に映った。ヌルは心配しながらもアトリエの扉を静かに閉めた。


久しぶりにガムゼが働いてるミュージックショップに寄ると、新しく入荷したカセットテープが陳列していた。ひとしきり手に取って、いくつかは試聴したが買うことはなかった。ガムゼも忙しそうで、ほとんど話すことができず、挨拶をしたぐらいだった。


スーパーで買い物をしてから家に帰った。休みの日でもないのに、こんな時間に家にいるのが不思議でならなかった。何となくカセットテープを弄っているとフォーレのカセットテープを持っていないことにふと気がついた。


何となく聴きたくなって、気がつけば家を出て、またミュージックショップに向かっていた。ガムゼはフォーレのカセットテープをレジに置いたヌルに「彼と全く同じことをしているけど」と言ってガムゼは笑った。一瞬『彼』とは誰のことを指しているのか分からなかったが、すぐにウムトのことだと理解した。


考えてみれば、確かに全く同じことをしていた。ただヌルは笑う気にもなれず、適当な返事をして家に帰った。包みからカセットテープを取り出すと新品の匂いがした。すぐにカセットプレイヤーにセットして音楽を再生した。何もする気が起きなくて、ただ座りながら音楽を聴いていた。


ふと昔のどうでもいいようなことが頭に浮かんできた。朝食によく食べていたブルーベリージャムの味、なぜか意地悪ばかりしてきた小学生の頃の同級生の顔、そして自転車でこけて大泣きしたあの日、何の繋がりもない記憶の断片だった。


次の日、アトリエにはいつもと変わらないブシュラが座っていた。昨日のことについて話すこともなく、ただ仕事に集中していた。来季の香水と洗剤の香りを仕上げるところだった。その香水で調整したいところがあり、二人は話し合って意見を出し合いながら、どうすれば理想としている香りになるのか考えていた。


ブシュラはこの微調整があまり得意ではなかったが、その反面ヌルはこれが得意だった。ヌルが完璧にこなせるわけではなく、協力することが重要だった。ブシュラが一枚の紙をヌルに渡すと、そのレシピに従って香料を混ぜた。


忙しく過ぎた一日だったが、余計なことを考えずに済んだ。ヌルが仕事を終えて帰ろうとした時、ブシュラはあの香水のレシピを読んでいた。


その香水はアフメド医師に渡したはずなのに、今でもレシピを眺めているのは何故なのか?その理由は分からなかったが、ブシュラの視線に含まれているのは悲しみや、後悔だけでなかった。



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