黒い車(3)
ウムトがペンを探している間、アフメドは落ち着くために一度、部屋を出て深呼吸したが落ち着くことはできなかった。ウムトもソファーではなく棚の上や、テーブルを見たがアフメド医師が部屋から出るとその必要はなかった。アフメド医師とマルコがボイスレコーダーに気づいたようには思えなかった。
もし気がついていたなら、ウムトがこの部屋に来た時点でアフメド医師は問いただすはずだった。ペンとボイスレコーダーも同じ場所にあったし、触れられた形跡はなかった。ボイスレコーダーはポケットに、ペンは手に持って部屋の外で待っていたアフメド医師のところに行った。
そんなことする必要もなかったが、ウムトはアフメド医師にペンを見せた。アフメド医師は疲れた様子でただ頷いた。ウムトに疑いを抱いているようではなかった。「もう忘れものはないか?」少し苛立った声でアフメド医師は言った。声からも疲れが漏れていた。「もうないです、何度もすみませんでした」ウムトはポケットに手を入れてボイスレコーダーの存在を確かめた。
病院から外に出ると、雨がウムトの肩に落ちてきた。ボイスレコーダを鞄の奥に入れて、鞄が濡れないように抱えながら駅に向かって走った。電車の窓に反射する自分の顔は、アフメド医師ほどではないものの、疲れがあった。
アフメドも新聞記者が部屋から出ていくと、何もする気が起きず、全身の力が抜けていくのを感じながらソファーに横になった。マルコとサラは絶対に出会うことはないと、言い切れるくらい正反対の人間だった。
彼の人生の中に花の香りや、鳥の囁きに耳を傾ける時間はあっただろうか?彼の目に、耳に、鼻に、そのようなものが触れても何も感じなかっただろう。そのようなものはこの世界に存在しないも同然だったかもしれない。マルコの手の感覚が、まだアフメドに残っていた。部屋を出てトイレで手を洗ったが、その感覚が消えることはなかった。
その後、翌日のスケジュールに目を通して、帰途についた。外は暗く、道は濡れていた。雨が降ったのだろう。雨上がりの静寂とした空気がアフメドに少しだけ落ち着きをもたらしたかもしれない。
何も考えないで歩いていると消えかけの街灯がある道を通っていることに気がついたが、そこに消えかけの街灯はなかった。電球を換えたのだろうか?アフメドはそのまま元の帰り道を歩いて家に帰った。
*
病院の窓から自分を見ているアフメド医師にマルコは気がついた。彼がどんな表情でこちらを見ているのかは分からなかった。外は暗く、表情を読み取るにはあまりにも遠かった。車に乗って病院を去った。アフメド医師から預かったメモをジャケットのポケットから取り出すと、秘書に渡した。
「どこかに捨てておいてくれ、もしくは燃やしても構わない」秘書は理解できなかったし、聞き間違いだとも思った。メモをマルコから受け取ったものの、どうしていいか分からずにただ手に持っていた。
「でも、これは・・・」秘書の言葉を遮るように「そのメモを読むことはないだろう。はっきり言うなら、読む必要がなくなるだろう。娘は死なないが、アフメド医師は死ぬ」とマルコのはっきりした声を聞き間違えることはなかった。




