六桁の番号(1)
ブシュラは思っていたよりも大きく、強い声だったことにヌルの顔を見て気がついた。
そんなつもりはなかったが、ウムトが過去に入り込んでくるのを感じて追い出したくなったのかもしれない。ただ、強く当たるつもりはなかった。
「記事にしないと約束してくれるなら、少しは話してもいいです。役には立たないと思いますが、それでもいいですか?」限りなく落ち着いた声でブシュラは言った。
「記事にはしません。アフメド医師の医師ではなくて人としての側面も知りたかったんです」「アフメド医師って誰ですか?」ヌルだけがアフメド医師のことをほとんど知らなかった、ウムトとカフェで話した時に一度名前を聞いただけだった。ブシュラはすぐには答えられなかった。
外から鳥の鳴き声が聞こえてくるくらいの沈黙が三人を包んでいた。一息ついてからブシュラは口を開いた。「アフメドの妻、サラについて話しましょうか」久しぶり口にする名前だった、多くのことが一気にブシュラの頭の中を駆け巡り、当時の自分自身とアフメドも思い出していた。
十五年前に亡くなったブシュラの友人とはウムトが予想したようにアフメド医師の妻だった。図書館で偶然見つけた記事がウムトをまた一つ真実に近づけたのかもしれない。
ブシュラもいつかこの事実と向き合わなければならないことは気づいていたし、どんなに記憶の底に沈めようとしても上手くいかなかった。過ごした時間があまりにも美しかったからこそ、その喪失と悲しみに耐えることができないでいた。
机の引き出しの奥にある香水のレシピを眺めているのを何度かヌルに見られていたし、そのことについて誤魔化すのも限界だった。そして、なぜ「祈りの庭」受け入れなかったのか、はっきりと説明しないまま他の名前に決めるのはヌルの信頼を失うかもしれなかった。
ヌルが抱いてきた疑念を解くためにもいつかは説明する必要があった。「机の引き出しのレシピと関係があるんですか?」恐る恐るヌルは口にした。「ええ、あれはサラのために香水だと言ったっていいくらい・・・」それからウムトを見てブシュラは言った。
「きっと、私が話す前からサラがアフメドの妻だと分かっていたんでしょ?」ウムトは図書館で「街の美しい場所」という記事を読んだこと、そこに書かれていた亡くした友人がアフメド医師の妻ではないかと、何となく感じたことを説明した。アフメド医師の部屋にある香水の瓶とその記事がウムトの頭の中で不思議と繋がっていた。
「運も味方したみたいね。サラの存在は私にとっても、それ以上にアフメドにとっても大きかった。サラを失ってからは全ての花が枯れ、色彩を失ってしまったかのように、世界がつまらないものになりました。それでも、生きていかなければならなかった。サラが死をもって残したものがありましたから・・・」
ヌルは何度か見たそのレシピの秘密がこれから解けていくような気がしていた。今まで頑なに教えてくれなかったのかもなぜか少しだけ理解できた。
「こんな昔のことから話す必要はないかもしれませんが、大事なんです。私がサラを初めてみたのは高校生の頃、アフメドと噴水に腰掛けて話しているところだった。アフメドに授業のノートか、プリントを渡す約束をしていたから探していたんです」と言ってブシュラは、ゆっくりと窓の方に顔を向けて木にいる鳥が飛び立つのを待った。




