街の美しい場所(4)
メモには「今日調べた事を書いて、一番上の引き出しに入れておけ」と書かれていた。アフメド医師の友人であり、調香師のブシュラについて書いたが記事にあった友人の死については書くことを躊躇った、そして結局書かなかった。
それから少しだけ仕事をしてウムトも会社を出た。暗い通りをネオンの光が照らしていた。大通りではあらゆる方向に人が行き交い、ぶつからないように歩くのが難しく、そんな人混みから逃げるように目に留まったカフェに入った。家に帰ったら何もしないでただ寝てしまうだろうし、少し考え事をするのも悪くないかもしれない。
座った席の椅子はグラついていて、注文したチャイのグラスにも水垢がついていた。他の席に写ろうかと考えたが、チョコレートの香りがした。近くの席に座っていた女性のテーブルの上には美味しそうなケーキがあった。ケーキに見惚れていると、ウムトの視線に気がついたのだろう。その女性はウムトに顔を向けた。
「ミュージックショップにいましたよね?」ウムトは驚いてその女性の顔を見たが、その女性が誰なのか記憶になかった。店員の女性ではなかったし。それでも落ち着いた声で話し掛けた。
「失礼ですが覚えていなくて、どなたですか?」「ヌルです。突然声掛けてすみません。二回来たのも知っていますよ」ウムトは恥ずかしくなって何も言えなかった。
「フォーレが好きなんですか?」ウムトの顔を覗きながらヌルは訊いた。ウムトは一口チャイを飲んでから答えた。「調べている人がいて、その人が聴いているみたいなんです・・・」「お仕事は何をされているんですか?探偵ですか?」「探偵ではありません、新聞記者です、一応・・・」
新聞記者と言ったものの、編集長の雑用係の方が妥当かもしれなかった。「そうですか?新聞はあまり読まなくて・・・」同じくらいの年齢だということはお互いにすぐに分かった。香水だろうか?薄らと彼女からいい香りがした。ブシュラのアトリエでもそんな香りがしたものだった。ヌルもまたウムトの顔だけではなく、身につけている物を覚えていた。
あの日とほとんど変わらない服装のウムトが近くの席に座り、ガムゼと話した若い男だと気がつくのに時間は掛からなかった。「それじゃ、誰について調べているの?フォーレを好んで聴くその人は有名人?」「それは話せないけど、期待してるような人じゃないよ」「誰かに話したりしないから、少し教えてよ。新聞記者と話すのは初めてだから」
話せないと口にしたが、別に話したところで大きな問題にならないだろう。それでもヌルの顔から一人の医師について調べていると言うのは期待を壊してしまうような気がして言い辛くなっていた。
「化粧品の販売員とかですか?」不自然な話題の変え方かもしれなかったが、ヌルは気にしていないようだった。
「化粧品の販売員ではないけど、そう遠くもない。私は調香師なの、もう少しはっきり言うなら調香師のアシスタントなの。昔、アトリエが新聞に載ったことがあるみたいなの。よかったらアトリエに来ない?広くはないないけど、素敵なところよ。小さいけど庭だってあるの」
ヌルの説明はウムトの頭にはっきりとブシュラのアトリエを連想させていた。「もしかしてブシュラのアトリエで働いているの?」ウムトの言葉を聴くとヌルの顔が一瞬で疑いに包まれて、怯えた子鹿のような表情を見せた。
「どうして知ってるの?」確かにヌルからすれば余りにも不審だった。ウムトも何とかして彼女の疑いを晴らしたかった。




