窓辺で手紙を読む女(2)
「知り合いなの?」
「いや、初めて見た。見覚えない」
「そう。ねぇ仕事終わり時間ある?」
「五時に終わるけど、それでもいい?」
「いいよ、待ってる。何のカセットテープを試聴してたの?」
「あ、フォーレのシシリエンヌを聴きたかったみたい。結局、買わなかったし、フォーレについてほとんど何も知らないような感じだった。カセットプレーヤーについても少しも興味を示さなかったし・・・」
「変なのは髪型だけじゃなかったみたいね」
ヌルがそう言うと、ガムゼは手で口を隠しながら笑った。ヌルもラヴェルのカセットテープを棚に戻して外に出た。少し歩き回ったが、五時までにはまだ時間があった。
休みであっても、ブシュラがアトリエで花の世話をしているか、仕事をしていることは容易に想像がついたし、ヌルが思った通りブシュラはアトリエの庭の植物に水をあげていた。
「ヌル、どうしたの?何か忘れたの?」
「前にここにも連れてきたと思うんですけどガムゼのこと覚えていますか?」
「あのミュージックショップで働いてるお友達?」
「そうです。五時まで時間があってここに来ちゃいました」
「もし時間があるなら、ひとつ頼み事があるんだけど、いい?」
ブシュラは、小さな袋をヌルの前に渡した。
「何ですかこれは?」
「新しい香水の試作品。問題がなければ、正式に製品化されることになる」
この言葉はヌルにとって嬉しいものだった。いつもはブシュラの書いたレシピを再現するだけだったが、今回は香りの発案にヌルのアイデアがいくつか採用されていた。ヌルは袋を掴んでオフィスに向かった。
ただ、その香水の名前はまだ決まっていなかった。ブシュラとそのことについて話す中で、一つの名前をヌルは提案した。「祈りの庭」その香水の生き生きとした香りを表していると思ったが、ブシュラは気に入らない様子だった。なぜ気に入らなかったのか理由を説明することもなく、ただ他の名前を考えましょうと、それしか言ってくれなかった。
個人的な理由があるのは、明らかだったし、それがブシュラの引き出しの奥に隠している香水のレシピと関係があるのかもしれないと考えていた。それは二、三年前に偶然にも見つけてしまったものだった。
座ってレシピを眺めているブシュラに話しかけると、そんなに大きな声で話しかけたつもりはなかったのに、ひどく驚かせてしまった。何の香水のレシピなのか尋ねたが、ただ古い香水のレシピだと言って、隠すように机の上にあった他のレシピと重ねて引き出しに入れた。
その香水のレシピの全てが見えたわけではないが、ヌルの知らない香りだった。ヌルがここで働く前に作られた香水も全てではなくても、ほとんど知っていた。普段ブシュラは香水のアイデアをある程度形になるまで話さないが、そのレシピはそういう類のものではなかった。
どうしても気になってその香水について口にしてみたこともあったが、その度に何か別のことに話題を移して、答えてくれなかった。それほどまでに打ち明けたくない過去があることだけは確かだった。普段ほとんど来ることのない会社のオフィスに慣れなかった。一人の男性社員がヌルに声を掛けてくれた。名前はシナンだった。
「こんにちは、シナンです。ヌルさんですよね?ブシュラさんから先ほど電話がありました」




