美しい香水の瓶(6)
「政治について書きたいって言ってたよな?」
その言葉は悪魔の囁きの如く、危険な響きだった。ウムトは気がつけば頭を縦に振っていた。フルカンは何も言うことなくただウムトの肩を軽く叩いて去っていった。フルカンは何を企んでいるのか?危険が伴うことは隠しきれていなかった。
昨日読めなかったアフメド医師の資料の中で、一つの音楽の名前があった。「フォーレのシシリエンヌ」唯一と言っていいほど心臓外科や、医学とは関係のない単語だった。
ビルの向かいの通りにレコードや、カセットテープを扱っているショップがあることは知っていた。ウムトは、とにかくその音楽を聴いてみたかった。なぜかその音楽の旋律の中に何かを見つけられるような気がしていた。外へ出ようとフルカンの机から通り過ぎると、思った通り呼び止められた。
「おい、どこに行く?」
「アフメド医師について調べたいことがあります」
「髪の毛もついでに切ってこい」
面倒くさいことになる前に去りたかったが、フルカンは財布からお金を取り出すと、ウムトに握らせた。そのお金を握りながら戸惑いを隠せなかった。重い鉄のドアを開けて外に出た。向かいの通りにあるミュージックショップに入ると、若い女性の店員が棚を整理していた。
「フォーレのシシリエンヌ、ありますか?」
「ありますよ、ついてきてください」
ウムトは料理の注文のような言い方をしてしまったことに恥ずかしくなったが、その店員はカセットテープがずらりと並ぶ棚にからファーレのカセットテープをすぐに見つけ出し、ウムトに渡した。
「試聴できますか?」
「あ、もちろんです。どうぞこちらへ」
名前こそ一度も耳にしたことはなかったが、その音楽を初めて聴いたようには思えなかった。ただどこで、いつ聴いたのかはまったく記憶になかった。安らぎや、落ち着きを与えてくれるような旋律は静かに流れる水のようだった。
パッケージに書かれている作曲家のプロフィールから偉大な作曲家の一人であることは分かったが、特別ウムトの興味を引くものはなかった。店員は近くに置かれていた新しいモデルのカセットプレーヤーについて説明してくれたが、まったく興味を持てなかった。
アフメド医師がこの音楽を聴いてることは、ウムトが描いていたアフメド医師という人物では考えられないことだった。絵画や、音楽には興味がない人だと勝手に決めつけていた。合理的で感情など持ち合わせていない冷たい人間だと想像していたが、大きな間違いかもしれない。
まだ知らないことがたくさんあっただけでなく、この音楽からアフメド医師の知らない一面が垣間見れたような気がした。
新しいカセットプレイヤーについての説明はまだ終わっていなかったが、その若い女性の店員に「ありがとうございます」と礼を言ってウムトは店を出た。それから髪の毛を切るために床屋を探した。




