第9話:光の公開処刑
新宿駅東口。
世界で最も過密な交差点の空気が、一瞬にして凍りついた。
池田美波は、溢れかえる人混みに紛れながら移動していた。
里香から指示された潜伏先へ向かう途中、ふと見上げた巨大なデジタルサイネージが、彼女の足を完全に止めた。
『――緊急指名手配。池田美波(24)。元警察官』
無機質なナレーションが、轟音の渦巻く新宿の街に響き渡る。
「……え?」
美波の大きな瞳が、信じられないものを見たかのように見開かれる。
画面には、昨夜の潜入捜査で朱色のドレスを纏った彼女が、倒れ伏すガードマンを冷酷に見下ろしている映像が映し出されていた。
だが、それは巧妙なディープフェイクだ。
実際には、彼女は倒れた男に肩を貸し、助けようとしていたはずだった。
『容疑者は捜査情報を九条グループから不法に盗み出し、逃走中に元同僚の警官一名を射殺……』
画面が切り替わり、血溜まりの中で倒れる警察官の姿が映し出される。
それは、美波がよく知る、かつての先輩の顔だった。
「嘘……嘘よ、そんなの! 私、昨日はずっと……っ!」
叫ぼうとして、美波は自分の置かれた致命的な状況に気づき、喉を詰まらせた。
周囲の歩行者たちが、一斉に足を止める。
数千の視線が、巨大ビジョンと美波の顔を何度も往復し、やがて確信へと変わっていく。
「おい、あいつ……今ビジョンに映った女じゃないか?」
「人殺しの警察官だ!」
「スマホで撮れ! 早く通報しろ!」
昨日まで、美波がその命を賭して守ろうとしていた市民たちが、今は憎悪と好奇心の混じった目で彼女を完全に取り囲む。
数百台のスマートフォンのレンズが、冷たい銃口のように一斉に彼女に向けられた。
無数に焚かれるフラッシュの光が、美波の硝子の瞳を容赦なく刺す。
『美波、動揺しないで! 今すぐ三時の方角にある地下階段へ!』
イヤホンから、里香の切迫した、けれど氷のように冷徹な声が響いた。
「里香! 映像が、あんなの全部デタラメよ!」
『分かっています! 九条がこの街の「真実」の定義権を握ったの。今のあなたは、この街のアルゴリズムによって「悪」と決定された。……説明は後です、走って!』
美波は群衆を力任せに突き飛ばし、地下の深い闇へと身を投げ出した。
地下通路を泥泥となって駆ける美波の背後で、街中のあらゆるデバイスが不気味に共鳴していた。
九条が展開する、次世代監視システム「神の目」。
防犯カメラの顔認証が美波の輪郭を捉えるたびに、街頭のスピーカーが耳障りな警報を鳴らし、周囲の通行人のスマートフォンに「凶悪犯が接近中」とのプッシュ通知が強制的に飛ぶ。
美波が走るルートの先々で、防潮シャッターが自動的に降り、彼女を確実に袋小路へと追い詰めていく。
世界そのものが、彼女を押し潰そうと狭まってくるような錯覚。
「……どこまで追いかけてくるのよ!」
美波は息を切らし、路地裏の薄暗いゴミ置き場に辛うじて身を潜めた。
激しい呼吸が、肺を熱く灼く。
降り始めた雨が、朱色のドレスの残骸を無惨に肌に張り付かせていた。
「先輩! 先輩、こっちです!」
激しい雨幕の影から現れたのは、佐伯瞬だった。
彼は警察の制服を脱ぎ捨て、泥だらけのパーカー姿で小鹿のように震えていた。
「佐伯……! あんた、無事だったの!?」
「無事なわけないですよ。俺ももう『共犯者』として指名手配されてます。……でも、美波先輩のインカムの微弱な電波を、本庁の追跡網より先にギリギリで逆探知できたんです。先輩を、一人にはさせません!」
佐伯は震える手で、美波の冷え切った腕をがっしりと掴んだ。
その頼りない、けれど必死な手の温もりが、絶望に凍りついた美波の心を辛うじて繋ぎ止める。
「……ハルは?」
「あいつは今、九条の物理サーバーがある通信局へ攪乱しに行きました。……里香さんの指示で、先輩の『デジタル・ゴースト』を街中にばら撒くって」
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