第21話:蒐集家の帰還、そして透明な契約
新宿を窒息させていたデジタル・パノプティコン(全方位監視)の心臓部、クジョウ・タワー。
あの日、全世界の網膜に焼き付けられた「物理的な自白」は、九条拓馬が築き上げた偽りのエデンを根底から腐らせた。
警察の事情聴取に力なく応じる九条の顔には、もはや世界を自由自在に書き換える独裁者の傲慢さは微塵もなく、ただの、記録されることに怯える無力な老人の皺しかなかった。
新宿の外れ、九条の手によって焼き払われ、真っ黒に炭化した『吉沢図書館』の跡地。
池田美波は、冷えたコンクリートの残骸にぽつんと腰を下ろし、ゆっくりと地平線を割り裂く眩しい朝日を見つめていた。
包帯に巻かれた全身は、呼吸をするたびに鋭い激痛を伴う。だが、彼女はその痛みを「自分が今、ここに生きている証明」として、愛おしそうに享受していた。
今にも零れ落ちそうなほど大きな瞳。
その奥にずっと泥のように淀んでいた復讐の澱は、あの日流した鮮血と、新宿を包んだ嵐によってすべて洗い流されていた。
今の彼女の瞳は、どこまでも澄み渡った暁の青色を、ただ真っ直ぐに吸い込んでいる。
「……終わったんだね。父さんも、あいつも、あの嘘だらけの街も」
美波が小さく呟いた。
彼女の指先が弄んでいるのは、完全に役割を終えた一本のカセットテープ。
磁気情報はすでに擦り切れて空虚だが、美波にはそれが、父の最期の温もりが宿った小さな心臓のように感じられた。
「終わったのではありません。……無意味なノイズが消え、ようやく本当の『真実のアーカイブ』が始まるのですよ。美波」
背後から、静寂を優しく引き裂く、一筋の光のような声が響いた。
美波が振り返ると、そこには眼鏡を外し、朝の光に全身を美しく縁取られた吉沢里香が立っていた。
その透明感のある、陶器のような白い肌。
これまでは冷徹なデータの檻の中に自分を幽閉していた彼女の表情には、今、しなやかな強さと、慈愛に満ちた柔らかな微笑みが宿っている。
彼女は戸籍を奪われ、大切な家を焼き、これまで集めたすべての資産とデータを一晩で失った。
だが、その瞳は、何かを失った者のそれではなく、世界そのものを手に入れた者のような絶対的な輝きを放っていた。
「……里香。あんた、これからどうするのよ。名前もデータも完全に消えちゃって、公式には死んだことになってるのに」
「幽霊、結構じゃないですか。誰の目にも触れず、けれど世界のすべてを記録し続ける。……それこそが、三番目の書庫の蒐集家の、本来の生き方ですから」
里香は美波の隣に静かに腰を下ろし、その細い肩をそっと寄せた。
里香の肌は相変わらず死者のように冷たかったが、美波の熱が伝わると、ふわりと温かい紅茶の香りが立つように柔らかくなった。
「九条のメインフレームが自壊する直前、私は『種火』を一つだけ持ち出しました。……この街の地下、かつての防空壕跡にある独立したアナログ回線。そこに、新しい書庫を作ります。……今度は、誰にも、世界の神にさえも汚させない、あなたのための聖域です」
「……また危ないこと言ってる。でも、まあ……」
美波は里香の細い指を、自分の傷だらけの指で強く、折れんばかりに絡め取った。
「あんたがまた記録を始めるなら、私はまた、そのための『現場』をいくらでも拾い集めてきてあげる。……私たちはもう、地獄の底まで離れられない共犯者でしょ?」
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