第19話:鋼鉄の沈黙、肉体の咆哮
地上200メートル、新宿の夜空を不遜に切り裂く『スカイ・ロビー』。
次世代監視システム『アポロン』の完成披露会。会場は、繊細なバカラのグラスが奏でる乾杯の音と、九条拓馬という名の独裁者を崇める、選ばれし者たちの虚飾に満ちた熱気に包まれていた。
その華やかな喧騒の直下。冷たいコンクリートの非常階段で、美波と里香は最後の手を重ねていた。
美波は、ボロボロになった革ジャケットの下に機動隊の防弾ベストを纏い、背中には父の形見である旧式のラジカセを、命を繋ぐ生命維持装置のように、あるいは父の棺を担ぐように背負っている。
その零れ落ちそうなほど大きな瞳。
その奥に溜まった涙は、数秒前に流した鼻血とともに乾き、そこには死を覚悟した者にしか宿らない、静謐でいて強烈な「青い炎」がゆらめいていた。
「……里香。これが終われば、あんたの平穏な司書生活は、跡形もなく消える。……あんたという存在そのものが、この街のデータベースから抹消されるかもしれない。……本当に、いいのね?」
美波の声は、地鳴りのように低く、けれどどこか透き通った音色で響いた。
里香は、その清廉な顔を、かつてないほど穏やかに、聖母のような慈しみで綻ばせた。
彼女の手には、キーボードもマウスもない。あるのは、物理的にケーブルを剥き、回路を強引に繋ぎ変えるための、無骨なプライヤーと、指の腹を焼くほどの熱を持つハンダごてだ。
「……記録に私の名が残らなくても、あなたの瞳の裏に私が刻まれていれば、それで十分。……美波、私を信じて、あの光の渦へ飛び込みなさい」
里香の冷たい指先が、美波の傷だらけの頬をなぞる。
その指は死者のように冷たく、けれど愛する者を戦場へ送る者だけが持つ、痛切なまでの熱を芯に宿していた。
「……死なないで。あなたが消えたアーカイブを整理するほど、私は強くありませんから」
「……当たり前でしょ。地獄へ行くにしても、あんたの毒舌なしじゃ退屈だわ」
「作戦開始です」
里香の合図とともに、佐伯が仕掛けた火災報知器が咆哮を上げた。
ウーーーッ!! という大音量と共に白煙が立ち込め、会場に悲鳴が上がる。
だが、九条の私設兵たちは動じない。彼らは訓練された猟犬のように、侵入者の通り道を完全に封鎖していた。
「――どきなさい!!」
美波が嵐のように影から飛び出した。
そのしなやかで力強い肢体が、鋼鉄の防具を纏った男たちを、物理的な衝撃音とともに次々と沈めていく。
バキィッ! と敵の警棒が彼女の左肩の骨を砕き、銃弾が脇腹の肉を鋭く削り取る。
だが、美波は止まらない。
背負ったカセットテープを、父の最期の声を、 shadow です。そして里香の自己犠牲を汚させるわけにはいかない。
彼女の硝子の瞳は、飛び散る自分の血飛沫さえも、新宿の夜景を反射する宝石のように捉え、最短の軌道で九条の喉元へと突き進む。
一方、里香は会場の天井裏、剥き出しの高圧ケーブルが這い回るダクトの中に潜んでいた。
「……見つけました。放送ブースのバイパス回路」
里香はPCを捨て、直接素手でケーブルを引きちぎった。
バチバチッ!! と溢れ出す火花が彼女の白い肌を焼き、焦げた匂いが鼻を突く。
激痛で視界が歪む。だが、彼女の口元は笑っていた。
「九条……。あなたのデジタル神話は、この古い磁気テープの『物理的な振動』に屈するのです」
彼女は指先が激痛で麻痺するのを嘲笑うように、アナログな配線を、会場の巨大な音響システムへと直結させた。
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