第12話:灰色の勝利、あるいは敗北の始まり
タワー50階、九条の執務室手前のセキュリティルーム。
美波と佐伯は、行く手を阻む強固な鋼鉄の防壁の前にいた。
「先輩、これ、爆薬でも無理です! 特殊合金ですよ!」
佐伯が絶望的な声を上げるが、美波は一歩も引かない。
『美波、壁のコントロールパネルに、ハルから渡されたチップを。……私が、その鋼鉄の心臓を止めてあげます』
美波は言われた通りにチップを差し込み、パネルを力一杯叩いた。
「……里香、やって!」
ガガガガギギギィィッ!!!
その瞬間、タワー全体の電力が一度完全に遮断され、非常用ライトの禍々しい赤い光が明滅した。
里香の流した論理ウイルスが、九条の「神の目」システムを逆利用し、内部からすべてのセキュリティ回路を焼き切っていく。
プシュー……と、重厚な金属の扉が、断末魔のような音を立てて開いた。
開かれた広い空間。
無数のモニターに囲まれた椅子に深く腰掛け、琥珀色の液体が入ったグラスを手にする男がいた。――九条拓馬だ。
「……ようこそ、池田元刑事。迅速な到着だった。そして、画面越しの吉沢里香。私の書庫を荒らしに来た、品のない泥棒たちよ」
「九条……!」
美波が拳をミシミシと固める。九条は、美波の硝子の瞳を愉快そうに見つめ、ゆっくりと立ち上がった。
「君の瞳は、やはり美しい。真実を知れば知るほど、その光は濁り、価値が増していく。……里香、君は美波に教えていないのか? 彼女の父親が、なぜあの日、警察を辞める前に死ななければならなかったのかを」
『……ッ!? 黙りなさい、九条! ……美波、聞く必要はありません! データを回収してすぐに脱出して!』
インカムから聞こえる里香の声が、初めて、これまでにないほど激しく取り乱し、動揺に震えていた。
「美波、早く逃げて……っ! システムに高度な逆探知を仕掛けられました。私の位置が、完全に捕捉された……!」
里香の、悲鳴に近い切迫した指示が耳を突き刺す。
美波は九条に掴みかかろうとしたが、背後から無数の追っ手の足音が迫る。
次の瞬間、ハルが影から現れて美波の首根っこを掴み、半ば強引に非常扉へと力任せに押し込んだ。
「里香、待ってて! 今すぐ行くから!」
美波は叫びながら、落下に近い速度で螺旋階段を駆け下りていった。
地下駐車場に戻った時、漆黒のバンは既に発進の準備を終えていた。
飛び乗った車内。そこには、モニターを乱暴に閉じ、幽霊のように力なく項垂れる里香の姿があった。
「……ごめんなさい、美波。九条の首は、獲れなかった。私の、完全なミスです」
美波は、小刻みに震える里香の細い身体を、正面からぎゅっと強く抱きしめた。
里香の身体は、かつてないほどに、まるで死者のように冷え切っていた。
「いいのよ。あんたが無事なら、それで。……九条が言ったことなんて、どうでもいい。私は、目の前のあんたを信じてる」
「……いいえ。どうでもよくはありません」
里香は美波の胸の中で、静かに、けれど呪いのような声で言った。
「……私たちの記録には、まだ致命的な『欠落』があった。……次は、私があなたの過去を、地獄の底から奪還しに行きます。美波」
新宿の夜。
要塞を傷つけ、けれど真の決着には至らなかった四人の共犯者たち。
美波の大きな瞳には、かつてないほどに暗く、けれど二度と消えることのない「復讐の火」が、静かに、確実に灯り始めていた。
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