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聞き慣れない声が聞こえてくる。目を瞑ったまま、俺はあーとかおーとか言っていただろう、確か。
しばらくすると、手に今まで触ったことの無いようなふさふさしたものが落ちてくる。
とりあえず手の甲でそれを撫でた。気持ち良い。
続けていると、ふさふさの主の怒ったような声が聞こえてくる。
「キミ、実は起きてるでしょ」
はいはい起きてますよ目を瞑ったままですがね。でも眠いんですよ、仕方無いでしょ。
俺はまだ黙ったままふさふさを撫でる。
だがユカは撫でさせるのも飽きたようで、離れて行ってしまった。
「それより、キミ学校は良いの?」
言われて飛び起きた。
机の上のデジタルカレンダーを見ると、一日経っている。昨日はそのままぐっすり眠ってしまったらしい。
時計を見て更に焦った。いつもの登校時間過ぎてるじゃねーか!!
「まあ、そう焦られても今日は土曜日なんだけどね」
いつの間にかデジタルカレンダーの隣に座っているユカが、曜日の部分に尻尾を当てている。
……確かに土曜日だ。
ユカのヤツ、学校は良いの? とか聞きやがって。俺が飛び起きることは想定内だったわけだ。
驚いてしっかり目が覚めてしまった俺は、ささやかな抵抗にとユカを無視して洗面所へ向かった。
休日は昼頃まで寝ている俺にとって、今日はもの凄い早起きになってしまった。
とは言え、昨日帰ってきてすぐ寝てしまったので、起きてしまうと別に苦ではない。
洗面所で顔を洗って歯を磨きと、一通り済ませた後自分の部屋に戻る。
ユカは暇そうに小さな鏡に映っている自分を眺めていた。
「あの後、すっごくヒマだったんだからね?」
「知らん、俺の部屋に居られるだけありがたく思え」
「違うのよ、それが問題だったの!」
「じゃあ外に行けば良かったろ」
「むぐぐ……」
ねえ聞いて? 何が問題だったか聞いて? といったオーラを出しているユカを放置してゲーム機の電源を入れる。
あー、ユカ怒り始めた。面倒なヤツだなぁ、カルシウム取れよ。
「喉かわいてるか?」
「へ? え、ああ大丈夫よ、食べ物も飲み物も必要ないから」
流石は霊的な存在と言った所か。でもカルシウムは大事だ、ちょっと待ってろと言い残して俺は部屋を後にする。
戻ってきた俺の手には、深めの皿に入ってる牛乳。嫌がらせだ。
「要らないって言ったのに」
と、言いつつもしっかり飲むユカ。必要は無いけど、飲食は可能なようだ。
短く「ありがと」と感謝された。こっちは嫌がらせのつもりだったんだがなぁ、こう感謝されると嫌がらせとは言えず、どういたしましてとぶっきらぼうに返す。
しかしまだ出ている『聞いてオーラ』。そうか、どうしても聞かなきゃダメか。
「で、何が暇だったんだって?」
そう尋ねると、一瞬何を言われたのか判らないって顔をされた。どうやら聞いてオーラがにじみ出ていると思っていたのは俺の勘違いだったらしい。
だが、やはり不満は不満らしくしっかり事細かに説明してきた。
ずっと寝ているもんだから親が部屋に入ってきて隠れるのが大変だったとか、親が起こしても起きないから私も起こそうとしてみたとか、外は霧雨が降っていたので出られなかったとか。
あげく、俺が寝ている時に尻尾を触らせてみると、エサを狙う魚のように手が動くので釣りをしているみたいで楽しかっただの。
最後のは関係ないだろ。記憶に無いし、なにより楽しかったなら良いじゃないか。
一番の不満は、隠れていないといけなかったので動き回れないということだった。
「動き回れないってどれだけ苦痛か判る!? マグロだって動けないと死んじゃうのよ! キミの部屋にはボールみたいに遊べるものも無いし、キミのお母さんも結構音に敏感だったからゲームとかできなかったし!」
かなり力説された。うん、やっぱこいつは猫だな。
そんなことよりゲームやろうとしたのか。全然構わないけど、猫がその腕(足)でゲームできるとは思えん、無理だろ。特に俺の好きなゲームは結構激しいアクションが多いし。
「猫用のボールでも欲しいのか?」
「要らないわよ!」
だそうで。
そもそも猫呼ばわり嫌なようだが、動けないことに対する不満とかおもちゃ欲しいとか言われるとただの猫にしか見えない。
その後も仲が良いんだか悪いんだか、適当な話をしながら片手間にゲームをやっていた。
ユカもそれなりに俺に気を使っているのかなんなのか判らないが、死神としての仕事の話はできるだけしないようにしているように見える。
しばらく話していると腹が減ってきた。時計を見るともう正午だ、意外に話し込んでいたらしい。
「リビングにあるモン食べ行くけど、ユカはどうする? 多分今日も夕方まで親は帰ってこないぞ」
「うーん、ついてく」
とは言ったものの、やはり何か食べる気は無いらしい。俺の後ろを付いてきて、俺の隣のイスの上に丸くなっているだけだ。
話の機会を窺ってるのかもしれないな、昨日は完璧な拒絶だったし、ユカとしてもちょっと気まずかったのだろう。
俺が飯を食っているため、ユカも特に何も喋ろうとしない。無言で時間が流れる。
居心地悪い気もしたが、今までも無言、無音で昼飯を食べる事が多かったので気のせいだと思うことにした。
しばらくして、昼食の皿を片付け終わり一息つこうとリビングのイスに座った時、やっとユカが口を開いた。
「ねえ、怒らないで聞いて欲しいんだけど、仕事の話をしても良い?」
そう前置きを入れて。
昨日は別に怒った記憶無いし、今更何を言われても困りこそするかもしれないが怒ることはないだろう。
でも確かに、あそこまで拒絶されると話すのを躊躇う気持ちは判らないでもない。俺は真面目な顔で頷く。
「昨日も言ったと思うけど、期限の話、させてもらうわね」
期限、なんだっけか。ユカは何度か「期限まではまだある」とは言っていた気がするが、具体的に期限とは何かは聞いていなかった気がする。
「判った。ついでに、期限ってのが何なのか具体的に教えて欲しい。言えないならそれで構わないけどな」
「うーん……。それなら、私の知ってる範囲で教えるわね」
要約するとこうなるみたいだ。
・期限とは、辻褄合わせが発生するまでの制限時間のようなものである。
・本来は、期限前に準備期間があり、その期間中に死神が手を下すことになる。
・期限が過ぎてしまうと、そこから約一時間以内に辻褄合わせが発生する。
・辻褄合わせの対象は死神ですら把握する事はできない。対象は親しい人に限られるが、友人や親族など多岐に渡る。
・一応期限は無視することができるが、辻褄合わせを無視することはできない。
と、言ったところか。
期限切れから辻褄合わせが発生するまでに猶予があるのは、期限切れと同時にその対象が死ぬ可能性があるかららしい。
その場合だけは死神が手を下す必要はないようだが、やはりこれも極めて稀らしくユカは期待はできないと言っていた。
ちなみに、今回のケースは準備期間があるはずの時間枠にジャミングの様なものがかかってしまっている為、それを把握する事ができない事が一番の問題らしくユカも頭を抱えている。
それに加えて、強行突破しようにも対象に近づけないらしい。
「死神ってその人の近くにまで行かないと手を下せないのか?」
「まさか、今回のケースが極めて稀なだけよ。キミの存在を含めてね」
「俺は置いといて。本来は準備期間っていうのに入ったら、どこからでも手を下せるって事か?」
「その通り。死神って本当はもっと事務的なのよ」
ふむ、じゃないと明らかに人手が足りないか。
あくまでもイメージだが、ユカも瞬間移動で色々な場所へ行ったりしそうにないし、他の死神を見た事も無いって言ってたし。
見たこと無い……なんだったかな。昨日なんか言ってたような気がするけど、考えの隅に引っかかるだけで形にならない。
しかし事務的と言っちゃうか。もしかするとユカは今も知らないところで猶予期間の人に手を下し続けてるのかもしれないが……。いや止めよう、見えない所の話は。
「さっきの話を聞いた限り、今回も期限切れと同時に死ぬ可能性もあるんじゃないのか?」
「準備期間が判らないから何とも言えないのよ。ただ、可能性はゼロじゃないわ」
「俺が手伝わないから、現状それに頼るしかない。と」
手伝わないという単語を聞いた瞬間、ユカはピクリと動いた気がするが、黙って頷くだけだった。
その後、ユカはいつもの考えるポーズをし始める。
何を考えているのか判らないが、今オレがわざわざ口を挿んで考えを中断させるのは悪いし黙っていることにする。
ユカは長考癖があるのか、先ほどから考えるポーズで数分固まっている。剥製のようだ。
そんな事を考えているとユカは前足をを下ろした。
「どうしてもキミは手を下せないのよね」
「ああ、断る」
「じゃあ、誘導ならどう?」
「誘導? ユカが指定した場所に連れて行くって事か?」
「そう。そっちのが心身の負担は少ないと思うわよ」
「……近づく方法は無いんじゃなかったのか?」
「近づかずに事を済ます手段ならいくらでもあるわ」
さらっと恐ろしい事を言う猫を尻目に考える。
確かに、直接自分がやるよりは全然心労は無いだろう。でも結局、俺は人間、ユカは死神。人間基準で言うなら間違いなくこれも犯罪に当たる。
どうあっても、やっぱり俺が加担したと考えると気分は最悪だ。
「誘導も、ダメだな」
「何で!」
「人間の倫理観で考えられるか?」
食って掛かろうとしたユカを最後の一言で黙らせる。
再びいつもの考えるポーズに戻ったユカだったが、今回は戻るのが早かった。
「なるほどね、理解したわ。でもそうなると、私とキミの意見が一致することはまず無いわね」
「だろうな。俺もそう思う」
意外だった。ユカは人間の倫理観なんて全く知らないと思っていたからだ。
「知らないわよそんな事」とでも言われていたら、今度は俺が考えるポーズをする番だっただろう。
次に意外だったのは、ユカがあっさりと引き下がったことだ。
「うーん、法律には詳しくないけど、法律の穴を見つけたら手伝ってくれる?」
全然引き下がってなかった。俺が気にしてるのはそこじゃないんだが。
どうやら、倫理的な観点からユカを説得するのは無理らしい。仕方ないので「手伝える範囲ならな」とだけ言って立ち上がる。
「どこか行くの?」
「部屋に戻るだけだ」
それとも六法全書でも買いに行くか? とからかうと、それも良いわね、と真面目に返された。
やっぱりどうあっても俺に手伝って欲しいようだ。
部屋に戻ると、ユカはまたおとなしくなった。
ただ、おとなしくなったってのは延々と喋らなくなったってだけで、俺のベッドの上を飛び跳ねるのがブームになったらしい。
一応スプリングは入っているが、ユカの軽さじゃほぼスプリングの意味は無いと思うんだけどな。
俺はパソコンをつけて机に色々と勉強用具を出す。
昨日はそのまま寝てしまった為できなかったが、音楽を聴きながら勉強するのが日課だ。
というのも、俺の通っている高校はそれなりにランクが高いらしく、親友の付き合いで運良く入れたレベルの俺は予習と復習をしなかった為当初はテストで酷い点を取っていた。
まぁ、今は逆にこれを続けているおかげで学校の中でもそれなりの順位を保てていると思う。
将来の事とか考えているわけではないが、多分俺の親友はきっとこの高校を踏み台に良い大学を狙うだろう。あいつはしっかりしているし、親友として信頼できる。
だから、この高校に来れたように同じ大学も狙えればなーとか漠然と思っているわけだ。
幼馴染も居るが、こっちももかなり頭が良い。親友と同じで、同じ高校に通っているが、多分あいつは逆に自分の狙える高校のランクを下げてここへ来ている。
親友のほうとは違い、幼稚園からの付き合いだから頭が良いのは知っていたが、高校当初のテストで全教科満点を取った時の俺に対するドヤ顔を、俺は絶対に忘れない。
あの時は、なんでや! 同じ中学だったろうが! と叫びそうになったくらい屈辱だった。
パソコンが起動画面からデスクトップ画面に変わったのを確認した後、俺はメディアプレイヤーを開いてランダム再生で音楽を流す。
ベッドの上で飛び跳ねていたユカが飛び跳ねるのを止め、興味深そうにパソコンを眺めている。
「ねえ、それあのグループの曲入ってる?」
と、ユカが尋ねてきたのは、よくそんなの知ってるなと言えるくらいマイナーなバンド名だった。
しかしそのバンドは俺も好きでアルバムは網羅している。妙な親近感を覚えつつ曲を変えてやると、ユカは嬉しそうに聞き入っていた。
しばらくして勉強を終え、伸びをしてユカを見る。
ユカにしては静かだと思ったよ。
そりゃ静かなはずだよ。
……どこから持ってきたんだよその六法全書。
何食わぬ顔で六法全書を眺めているユカ。確かうちにそんなものは無かったはずなんだが。
「ユカ」
呼んでみるが、全く反応は無い。
かなり集中しているのか、スフィンクスのようなポーズで紙面を眺めている。
つか読むの超早い。目の動きがちゃんと読んでいる事を示してはいるが、頭に入っているのかと聞きたくなる速度でページがめくられてゆく。
時たま、肉球が滑ってページをめくれないようで、爪で器用に一ページずつ読んでいる。
そんなユカに話しかけるのは非常に躊躇われたので、俺は再びゲーム機の電源を入れた。




