第九話 王子ツェン
静寂の中、太ももの付け根に感じる焼けるような痛みが、自分の全ての感覚を支配していく。
聞こえない叫び声をあげながら、後ろへとヨロヨロと倒れる。
再び、じいやの剣が突きの構えで私に向けられる。
その剣先が届く前に、私の後方から突風が吹き抜けた。
じいやの上に覆い被さる様に、蛇の騎士が跨っていた。血を流した左手でじいやの剣を握りしめ、何かを話している。叫んでいるのだろうか。
2人の様子がよく見えないまま意識を失いそうになる。最後に見たのは、蛇の騎士の巨大な口が、じいやを頭から飲み込むところだった。
どのくらいの時間が経ったかわからない。数分にも数日にも思える。
何かが顔に触る感覚がして、目が覚める。
その場所は、美しい光に溢れていた。神秘的な透明な球体の中に光が飛び交っている。見たこともないその光景に、一瞬自分はもう死んだのかと錯覚をした。
体を起こそうとした時に感じた激痛と、足を締め付ける感覚が、まだ現世に留まっているのだと気付かせてくれた。
横には、顔に傷を負った蛇の騎士が付き添っていた。
「すまないが、手を貸してくれ」
声が出ているとは思えない。だが騎士は静かに肩を貸し、私を起こしてくれた。
目の前の光る球体の中には、たった1つ台座が置かれているだけだった。その台座の上には丸い石の様な物体が置かれている。
動かない足を引きずりながら壁伝いに進む。光る膜に手を触れると自然とその中に吸い込まれるような感覚がした。
丸い石の前に立ち、蛇の騎士を振り返る。騎士は小さく頷いた。
球体に手が触れる。強い光に視界が覆われた。
◆◆◆
地面に付きそうなほど長い服を揺らしながら、アナンとゼラキスがアトリエに入ってくる。
アナンが置いた球体は光を発しながら空中をゆっくり回転していた。球体に目を向けながら意見を述べる。
「私は反対だ。鍵が持つ力が大きすぎる。我々の意志だけでは制御出来まい」
「ザインの心配はもっともだが、鍵の力は段階的なものだ。長い年月を過ごした後に、強大な力へと変化する。時間は些細な支配欲求などを消し去ると考えている」
アナンは答えながら、腕輪の構造を記載した巻物を広げる。
複雑な魔力の構造を読み解く。体への変化はあくまで成長を促進し、老化を伴わないようにすること。そしてその成長過程で、ヨルムンガンドへの変化を行うことが記されている。
「理屈ではそうだ。だが、我々の制御という観点への答えにはなっていない」
準備されていたようにゼラキスが巻物を広げた。今度は建造物の構造が記されていた。
「我々の転生はこの祭壇でのみ行う。装置を保護する膜はあらゆる物質の透過を許可しない。それはヨルムンガンドが相手とて同じこと」
ゼラキスが巨大なドームの装置の図を指差す。
ドームを覆う魔力による膜は造るのが困難な分、強力なものだった。唯一透過できるのは我々が許可したものだけだ。
「膜の透過対象は我々の意思でコントロールするのか?」
「左様」
巻物に目を通す。
「なるほど。我々は未来永劫、この装置で世界を見守り続けるというわけか。悍ましい呪いだな」
アナンが空中に浮かぶ球体を手に取る。球体は光を失いただの石のようにおとなしくなった。
その石を私の前に差し出す。
「ザイン。お前が最後の番人だ。悠久の果てに辿り着くヨルムンガンドを見て判断をするのだ」
石に手をかざす。自身の魔力と意思を送り込む。石は魔力をその体内に抑え込むかの如く、脈打つように光っていた。
◆◆◆
目の前には同じ石が光り輝いている。場所は私のアトリエではなく古い神殿の内部だった。
世間知らずだった私がこの旅で見てきた魔物が蔓延る世界。
ついぞ人間は魔物を制御しきれなかった。それが私の判断だ。
何千年と繰り返されてきた、魔力の歴史が終わろうとしている。私たちが見出した、魔界の力。人間を繁栄させるに至ったこの力を人類は今失おうとしていた。
振り返るとボロボロの蛇の騎士がそこに立っていた。光の境界の手前で私の判断を待っている。
私は《《今回の》》蛇の騎士で終わりにする事を決心した。
受け入れる。
その意志に呼応して装置の制御が切り替わるのを感じる。
「入られよ」
自分の声が聞こえたことに少し驚く。儀式を経て少しだけ聴力が戻ったのか。
ゆっくりと蛇の騎士は光の膜の中へ入り込んできた。
「ようやくそなたの使命を知ることが出来た。良くぞここまで私を導いてくれた」
私は今、ザインの意志と記憶を感じている。今まで何度も転生する度に拒絶したヨルムンガンドを初めて受け入れた。
その判断をしたのは、世界がかつてないほどに魔物に侵攻され、取り返しのつかないところまで来ているからではあるが、もしかすると私という要素がそうさせているのかもしれない。
ふらりと倒れそうになる体をヨルムンガンドが支えた。
「すまぬ。私はもう長くは持たない」
足から流れ出る血は止まらず、意識が薄れていく。儀式を行えたことすら奇跡に思えた。
「そなた、人間だったのだな…。失礼なことを言ってしまったな」
ヨルムンガンドは黙ってこちらを見つめた。
「…そなた、名をなんと申す」
ヨルムンガンドは掠れた低い声で答えた。
「ホープ」
「希望か。確かに、そうだ」
小さな世界を生きてきた私にとって、この壮大な世界を救う一助になるのであれば本望だった。
しかし世界を知り、自分の役割を知った今となっては、本当はもう少しだけでも、この者と語り合いたいと願ってしまう。
私を支えるホープの左腕は、以前よりも細く、冷たく、頼りなかった。反して、寄りかかった体はまるで数百年を生きた大樹のように強く、しなやかで、安心出来た。
「…この世界を、頼む」
絞り出した声が、届いたのかもうわからなかった。私を支えるホープの手に少しだけ力が入る。
視界がかすみ、ホープがその大きな口をゆっくりと開くのが見える。
私は眠るように目を閉じた。
「…ありがとう。ホープ」




