第十五話 グラッセンの憂い
渡河は想像以上に滞りなく行われた。川に打ち付けた杭を掴んで泳ぎながら中央付近まで進む。そこからは皆が順番に俺と一緒に渡った。一人ずつに肩を貸しながら向こう岸まで泳ぐ。泳力が向上した自分にとっては、1人を連れて泳ぐことは容易い事だった。
魔物の気配はずっと感じていたが、襲われることは無かった。
川の先には枯れた森の様な、生気の無い土地が続いている。木々は折れ、腐り、ぬかるんだ地面にだらりと横たわっていた。
大きなカラスのような鳥が飛び交い、魔物の死肉を漁っている。
そんな姿を見て、ここから先は人間の食べられる物は調達出来ないのではないかと思えた。
川で最低限の水を補給して、暗い腐食の森を進む。
「自分の意志で行っているのか」
道中、共に荷物を抱えたグラッセンが尋ねてきた。最近では運搬出来る荷物の量の関係もあり、隊長と俺がまとめて荷物を運ぶ事が多かった。他の人だと4人がかりで精一杯だが、俺たちなら2人でもまだ余裕があるくらいだった。
「まだ意思でやれるほどではないけど、本気で体を動かしたりしたあとに起こることが多い気がする」
「なるほど。気持ちの方はどうだ?」
「気持ち? まあ痛みは無いし気分は悪くないよ」
グラッセンは何か考えるように黙る。
ラークたちが怪鳥と戦闘している際も、魔物よりも俺のことを見ているような気がした。
数日かけて腐食の森を抜けると、荒野の様な大地が広がっていた。そしてそのはるか先に巨大な湖が見える。湖は左右にも奥にも無限に続いているようにさえ見えた。
「あれが目的の湖だ。2日もあれば着きそうだな」
歩きながらグラッセンは続ける。
「蛇の腕輪の変化は、肉体だけではないと聞く。ホープ、何か感じるものはあるか」
聞きたかったのはこれだったのだろう。だが正直自分でもわからなかった。
「旅は辛いよ。成長して皆の力になれるのは嬉しいかな。あと他にも色々思うけど、最後は何とかなる気もする。けど不安も感じるかな」
「うん。ちゃんと分析出来てる様だな」
グラッセンの表情が少し和らいだ気がした。
「隊長は不安は無い?」
「あるな。だがやりきれると思っている」
「そっか。皆で無事に帰れるといいな」
「ははは、無事に帰る気なんかないさ。やるべきことをやるだけだ」
グラッセンの回答に言葉が詰まった。これから起ころうとしてる事を未だに自分は知らない。まさか皆の命が犠牲になる様な事なのか。
「隊長。儀式ってそんなに命がけなのか」
「いや。儀式自体は難しいものではない。腕輪の主が"予言の子"の一部を体に取り込めばいい。つまりホープがアイシャの血を飲むことになる」
「血を、飲む…?」
何だそれ。人間の血を飲む? 俺が?
何故今まで誰も説明してこなかったのか。
そんな考えがよぎったが、今更恐れるほどのことでもないと感じた。
それはここまでの道のりが過酷だったからなのか、脱皮による心境の変化なのかはわからなかった。
「神殿に近付くにつれて魔物は強力になる。そいつらに儀式を邪魔させないことが俺たちの仕事になるだろう」
湖の浜辺に着く頃には、霧が出始め視界が悪くなっていた。皆で固まって何もない砂浜に野営を敷く。
ここからは流石に泳いでいける距離ではないため、流木などの使えるもので簡易的な舟を作る。大きさにもよるが、乗れるのは数名だけだろう。荒野を歩いて来た時点で、期待していなかったが、周囲には舟の材料になりそうな流木すらほとんど見当たらなかった。
いつからか空は暗い雲に覆われ、昼か夜かもわからない状態が続いていた。この浜辺に着いてからは一層、時間感覚が失われているように感じる。霧は数日と思える間、消えることはなかった。
聞こえていた風の音が大きくなり、空気を切り裂く様な音にも感じた。そして雷鳴とは違う何かが、空に轟いた。
皆が空を見上げる。ほんの少し、霧が途切れた隙間から、そいつは姿を現した。
馬よりも大きな体で、広げた翼はその全長よりもまた大きい。長い尻尾を揺らしながら空を旋回している。深い灰色にも、錆びた銅のようにも見えるその暗い体の色は、無機質な強さを感じさせる。
皆が武器を構え、固唾を飲んで待ち構える。そしてその時は来た。空に漂う大きな魔物は勢いよくこちらに向かって急降下してきた。
皆が散り散りに避けると、そいつは隊の野営のテントを吹き飛ばしながら着地した。
大型のワニの様な顔に、腕があるべき位置には翼と一体化した鉤爪があった。2本の後ろ足は太く大きく、長い尻尾と共に巨体を支えている。
グラッセンの声が響いた。
「ワイバーンだ! 全員気を引き締めろ!」




