第十三話 紫翼の魔物
人間の住む領域を離れて数ヶ月が経った頃、隊は険しい山道を進んでいた。この旅で生まれて初めて見た魔物にも、いつしか慣れて手際良く対処していた。もっとも、小型の狼の様な種類や、角の生えたコウモリみたいな魔物は、鬱陶しいだけで、屈強な王宮隊が後れを取るはずもなかった。
アイシャも危険を回避しながらも、新たな生物が現れないかと退屈している程度には魔物討伐が日常になっていた。
「この先は大河がある。岩の道も酷くなってきた。ここで馬車は捨て置こう」
隊長の意見に皆が賛同した。馬車が岩で壊れる度に修理に時間がかかるのも懲り懲りしていた。積荷を運ぶ運搬係と戦闘要員を交代で持ち回りし、歩みを進める。アイシャは想像以上に体力があり、自分の荷物を持ちながらも弱音を吐く事はなかった。むしろスパイラルの方が学者らしく体力が無く、ついてくるのに精一杯だった。
遠くに見える山には、紫掛かった気味の悪い雲が立ち込めている。荷物を運びながら、遅れるスパイラルと足並みを合わせ進んでいると、いつの間にか前方の部隊から距離が離れてしまった。
同じく荷物係をしていた2人の兵のうち、1人が空を見上げて呟く。
「まずいぞ。道を逸れて山に近づき過ぎたのかもしれない」
何事かと空を見上げるが何も見当たらない。次の瞬間、ギャァァァという耳をつんざく咆哮が響いた。
俺と2人の兵士はスパイラルの近くに急いで身を寄せる。荷物をその場に置き武器を構えた。
4人で背を合わせる様に周りを見渡す。今までにない緊張感が立ち込める。
「あそこだ!」
弓を構えた兵が声を上げる。
視線の先にいたのは、大きな紫色の猿のような姿で、巨大な翼を持つ魔物だった。口元からは小さな牙が見え、くすんだ白い目を見開いているその様相は、明らかに今までの魔物とは別物だ。
「…ガーゴイルだ」
スパイラルの震える声が聞こえる。
2人の兵がその存在を知っているかはわからないが、スパイラルの様子からも、良からぬ相手なのであろう。
ガーゴイルは岩の上を4足歩行でジャンプしながら少しずつ近づいてくる。遠くからでも自分たちよりも遥かに大きいことがわかる。
弓兵は十分に引きつけたところで、絞った弓から矢を放つ。矢は見事にガーゴイルの頭部に向かって放たれたが、体を動かし躱される。
あの速度の矢を、見て躱す反射神経に恐怖を覚えた。
次の矢を番えようと動作に入った瞬間、ガーゴイルは一気に距離を詰めてくる。大きな剣を持った兵士が弓兵の前に飛び出した。
魔物に向かって振った剣は、その大きさを感じさせないほどの速さで空を裂く。だが剣が触れるすんでのところで魔物は大きな翼を羽ばたかせ空中へ飛翔した。
そして、そのままその鉤爪のついた足で剣兵の頭を鷲掴みにし叩きつけるように地面に踏みつけた。残りの俺たち3人は倒れるように後ろに飛び退く。
踏みつけられた兵士の頭は見えなかったが、ガーゴイルの足元に飛び散るおびただしい血痕が、その結果を物語っていた。
どうしたらいいのかわからない。死ぬということだけが頭を埋め尽くす。目の前の自分の背丈の倍程ありそうな巨大な魔物をただ眺めていた。
視界を横切ったのは弓兵だった。怯むこと無く矢を番え、横から魔物に向かって素早く矢を放つ。矢は魔物が振る爪に弾かれてその場に砕け落ちる。
その姿に全身に鳥肌が立つ。
仲間の死を目の当たりにしてもなお、臆すること無くやるべきことを遂行する。技術的な差があるだけだと思っていた王宮隊の兵たちは、自分とは遥かに差がある事を思い知らされた。
やれる事をやる。
弓兵に向かうガーゴイルにダガーを素早く投げつける。視界に入っていたのであろう。ダガーは鞭の様な尻尾に弾かれるが、臆する事なくショートソードを持ち突撃する。俺の跳躍で不意を突けたのか、ガーゴイルは躱さずに、爪で剣を受け止めた。流れるように、もう一撃を加える。同じく爪で弾かれた。視界の端に捉えた大きな尻尾をしゃがんで躱す。
その時、ガーゴイルの翼を矢が貫いた。遭遇した時と同じような叫び声を上げる。
ガーゴイルを挟み込むように、2人で間合いを取る。その時、遠くから仲間が駆けつけて来るのが見えた。これならば、と思ったと同時に体に異変を感じる。それが何かはすぐにわかった。
何故今なのか。だが止めることが出来ない。剣を落とし頭を抱え悶える。その様子を見た弓兵が異常を察知しこちらへ駆け寄る。ガーゴイルの尻尾が顔の目の前を通過し弓兵の体に叩きつけられるのが見えた。その光景を見ながら、俺はその場に倒れ込んだ。
俺は叫び声を上げながら、古い体を破る。新たな皮膚が空気に触れるのを感じた。ゆっくりと全身が外に出てくる。ガーゴイルはその光景を見ながら威嚇するように叫んでいた。
顔に付いた粘性のある血液を振り払う。視界がはっきりと見える。少し離れた場所には、岩に叩きつけられ倒れ込んだ弓兵が見えた。
絶望的な状況であったが、今までの戦いが嘘のように落ち着いた気持ちだった。
そして目の前のガーゴイルは何故か怯んでいる。目が合うとガーゴイルは、この戦いの中で初めて後退した。
目の前の剣を拾い上げ、魔物に向かって構える。ジリジリと詰め寄るがガーゴイルは襲って来ず警戒しているようだった。
そして増援の到着を見たガーゴイルは、大きな翼を広げ、山の方へ飛び立つ。俺たちに痛手を与えたガーゴイルとの戦闘が幕を閉じた。




