第4章:暴かれる「可哀想な彼」の正体
「そんなの関係ないだろ!」
拓海はテーブルを叩き、店内の空気が一瞬で凍りついた。周囲の客が訝しげに振り返る。その必死な剣幕が、彼の内面の脆弱さを物語っていた。
私は静かに、鞄から数枚の写真をテーブルに滑らせた。
「莉子さん。これは、彼が『母さんの容態が悪いから帰れない』と言って家を空けていた日の写真です」
写真の裏には、日付が克明に記されていた。
その日は、義母が夜通し徘徊し、私が一睡もできないまま救急搬送に付き添った、あの過酷な夜だった。
莉子が写真を見つめ、小刻みに震える。
「……これ、私たちとの温泉旅行の……。でも、拓海さんはその日、奥さんが忙しいからって……」
「ええ。あなたが彼を癒していたその裏で、私は病院の待合室で独り、ボロボロになっていました」
莉子は視線を泳がせ、すがるように拓海を見た。
「……でも、拓海さんだって苦しかったんでしょう? 奥さんだって、介護のことでいっぱいいっぱいで……二人とも、すれ違っちゃっただけなんじゃ……」
やはり、彼女はまだ拓海の「可哀想な被害者」という嘘を信じている。私は彼女を否定せず、穏やかに、しかし残酷な事実を並べた。
「莉子さん。彼から、『妻は介護に逃げて、俺を愛してくれない』と聞かされていましたよね?」
「……ええ。拓海さんは、孤独だって……」
「ええ、彼は孤独だったのでしょう。私が自宅で義母の排泄物と格闘している間、彼はあなたと温泉で骨休めをしていたのですから」
私は莉子の顔をまっすぐに見つめた。
「莉子さん。彼があなたと過ごしたその楽しかった時間、その裏で私がどんな目に遭っていたか、彼は一度でも真実を話しましたか? 彼は自分が快適に過ごすための『癒やし』をあなたに求め、私が地獄を味わう姿を『当然の代償』だと笑っていたんですよ」
莉子の呼吸が荒くなる。彼女の横で、拓海が顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「うるさい! 俺だって限界だったんだ! 介護のことでしか頭にないお前といて、俺がどれだけ寂しかったか分かるか! 俺だって幸せになりたかったんだよ!」
その言葉が、莉子の心にトドメを刺した。
莉子はゆっくりと顔を上げ、隣に座る男を見た。
その顔は、彼女が愛した「優しくて可哀想な彼」ではない。
自分の親を見捨てた事実から目を逸らし、その罪悪感すら妻に押し付けてきた、底なしの利己主義者。
今まで何度も触れ合ったはずのその男の姿が、今はひどく醜く、汚らわしく見えた。
「……触らないで。」
莉子の震える声が、店内に響いた。
彼女は拓海を見下ろす。その瞳には、もはや愛情など微塵も残っていない。得体の知れないバケモノを見るような、冷ややかな嫌悪感だけがそこにあった。
「私……結衣さんのこと、ひどい奥さんだと思ってました。……でも、違ったんですね。悪いのは……」
莉子は言葉を切り、私に深く、深く頭を下げた。
拓海は顔面を蒼白にし、信じられないものを見る目で、二人を交互に睨みつけている。
莉子は何も言わず、震える足で立ち上がり、そのままファミレスの出口へと走り去った。
残されたのは、冷めきった料理と、すべてを失った男。
(これで終わりではない。ようやく始まったのだ)
彼が私に押し付けた「地獄」の重さを、彼自身の肩で背負わせるための第一歩が。




