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最適解では生きられない ――正しさを捨てられない君と、選び続ける僕の話  作者: 希主果
第一章 ラビットハンター

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第八話 黒麦酒

 「おっ、ラビットハンターのお帰りだぜ。」


 大きな麻袋を抱えた三人組――ユマークたちが酒場へ入ると、常連の一人が笑い混じりにそう声を掛けた。


 《ラビットハンター》  

 悪意こそ無いが、褒め言葉というわけでもない。どちらかと言えば、新人冒険者への軽いイジりに近い呼び名だ。

 僕自身、こういう類の絡みは慣れている。

 こんな時は軽く笑って聞き流す。

 それだけでいい。大抵のことはそれで上手くいく。

 でも、意外とこれにもコツがあるらしく、露骨に不機嫌な顔を見せて舌打ちするアイリには向いていない。

 一方でナンナは、この妙に語感のいい響きが気に入っているらしく、呼ばれるたびにほんの少しだけ嬉しそうに反応する。

 それが唯一の救いであった。


 酒場『斧と杯』の二階に転がり込むようになってから数日。

 僕たちは連日のように街道へ出向いては、ホップラビット狩りに明け暮れていた。その結果が《ラビットハンター》なんて呼び名らしい。

 もちろん、遊んでいるわけじゃない。


 これから先の事を考えれば、どうしても金が必要だった。

 本来なら、狩った獲物は解体・換金所へ持ち込むのが一般的らしい。だが、酒場で使う肉を直接卸した方がリッカにとっても利益になる。


 リッカは「出世払いでいいよ」と笑ってくれている。正直、これにはかなり助かっている。  

 けれど――だからこそ、いつまでも甘えるわけにはいかない。


 何より、立ち止まっている余裕なんて無い。   一歩ずつでも前へ進む。

 それが、三人で決めた事だった。


 「今日もご苦労さま。だいぶ様になってきたんじゃない?」


 そう声を掛けてきたのは、“雷鳴の鉄槌”ことリッカ。

 古参プレイヤーの中でも一目置かれる存在だが、今は酒場『斧と杯』の看板娘をしている。時折どこかへ出掛ける事はあっても、夜の営業だけは一度たりとも休んだことはない。


 「あんたたちのおかげで、うちのラビットミートが結構人気でさ。本当に助かってるよ。」


 「ほ、本当ですか!」


 ナンナはぱっと顔を明るくした。まるで褒められた子供みたいに嬉しそうだ。

 一方でアイリは曖昧に笑うだけ。


 それでも、数日前に比べれば表情も幾分柔らかくなり、こうして笑うことも増えている。


 けれど、その笑顔はどこかぎこちない。

 酒場の賑わいにも、ラビットハンターなんて呼び名にも、少しずつ慣れ始めている自分をまだ彼女は受け入れ切れていないようだった。


 「おっ、ラビットハンターさんじゃないか。今日は何匹狩ったんだ?」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら近づいてきたのは、最近よく酒場で見かける常連の一人だった。


 「……教えない。」


 素っ気ない返事。

 アイリのその表情には明らかな嫌悪感がうかがえる。それでも、『言葉』に気持ちを乗せられるようになったのは……、進歩だとも言える。


 名前も知らない常連。  

 二日に一度は現れては、酒場『斧と杯』の新名物――ラビットミートの黒麦酒煮込みを注文していく。

 黒麦酒特有の重厚なコクと、肉に染み込んだ麦の旨味。隠し味の蜂蜜が、ほんのり甘さを添えている。


 「つれないなぁ。そう言えば、君もこれ、良く頼んでるよね。今度一緒に……。」


 常連はグイグイと執拗にアイリとの距離を詰めてくる。しかも、腰元から覗く短剣が、妙に生々しく見えてしまう。


 「わ、わたし、黒麦酒は苦いのは嫌いです。」


 言い終わる前に、ナンナが慌てたように割って入った。


 「うぅ〜ん、それならやっぱりアンドフリームニルのシナモンロールが良いです。」


 さらに勢いそのままに、ぐいっと身を乗り出す。


 「あっ、りんごのコンポートも捨てがたいですね。ユマークさんとアイリさんだけなんて、ズルいと思ってたんですよ。」


 「何だよ、こいつ。……チッ、もういいよ!」


 男は露骨に肩を落とし、そのまま別の席へ戻っていった。


 「勝ちました。」


 振り返るナンナの勝ち誇ったその表情。


 「……別に、ズルくない。」


 対照的にアイリの拗ねた表情と赤く染まった頬。

 最近では、こうして二人の立場が逆転することも増えてきた。

 少し前までのナンナなら、こんな風に割って入ることなんて出来なかったはずだ。

 ――見ているだけで飽きない。


 こんな時間が、いつまで続くのかは分からない。それでも今は、もう少しくらいこの光景を見ていたい。

 そう思うユマークであった。


 ◇

 「ナンナ、後ろ!」


 アイリは叫ぶと同時に地面を蹴り、大剣を突き出した。  

 ナンナの背後へ飛び掛かっていたホップラビットたちは、その勢いのまままとめて刃に貫かれる。  

 戦い方はメチャクチャだ。  

 振り払うのとは訳が違う。あれほど巨大な剣を、まるで木の枝みたいに軽々と振り回してしまう。  

 ――やっぱりアイリは頼りになる。


 それに比べて僕はどうだ。  

男のくせに、未だ目の前の小動物じみたモンスター相手に手間取っている。  

 ――自分の身を守るだけで精一杯。  

 我ながら、この戦闘センスの無さには嫌気が差す。


 「アイリちゃん、ありがとう……。」


 目を見開き、ようやく自分がどれほど危ない状況だったのか理解したのだろう。ナンナは今にも泣き出しそうな顔のまま、アイリにしがみついていた。  

 ――やっぱり、ナンナには戦闘はきついか。


 そんな考えが頭をよぎる。  

 けれど、きっとこれは他人事じゃない。  

 いずれ同じ言葉が、自分に向けられる日が来る。そんな気がしてならなかった。


 街道沿いの狩り場を後にし、酒場『斧と杯』へ戻った頃には、日はすっかり落ちていた。  

 煙突から立ち昇る煙と小窓から漏れる橙色の灯りは、いつもと変わらず温かい。  

 その妙な安心感に、思わず「ただいま」と口にしたくなってしまう。


 「今日は黒麦酒……、来てるかなぁ?」


 ナンナは、前を歩くアイリに悟られないよう小さく目配せした。彼女に届かないよう声を潜めたのも、嫌な記憶を思い出させたくなかったからだろう。


 「さぁな。」


 「……バカ。ほんと分かってない、です。」


 素っ気ない返事にナンナは口を尖らせ、頬いっぱいに空気を溜め込んだ。

 僕の返しはどうやらお気に召さなかったようだ。とはいえ、僕にどうこう出来る話でもない。


 「まぁ、あんな奴でも少しは売り上げに貢献してるんだろうし……。」


 「…………。」


 (えぇ……っ。最近、この子までアイリみたいな怒り方するようになってきたな……。)


 「二人とも、さっきから何の話してるの?」


 前を歩くアイリは不思議そうに振り返った。


 「別に。」


 「別に、です。」


 ユマークとナンナは互いに顔を見合わせて、アイリにバレないように苦笑いで誤魔化した。


 「……変なの。さっ、行くわよ。」


 ナンナは再び歩き出したアイリの背中を見ると、むすっとしたまま顔を背けた。  

 ――拗ねた顔までアイリとそっくりだ。


 酒場の入口に差し掛かり、周囲には燻された肉の匂いと焦がした麦の香ばしさが漂う。  

 半日ぶりとは思えぬほど、その匂いは妙に懐かしく、ようやく帰ってきたのだと少し遅れて実感が込み上げる。


 重かったはずの足取りも、いつの間にかもう一歩、また一歩と扉に向かって吸い寄せられていくようだった。  

 ――僕は、その扉に手を掛けた。


 扉は、思っていたよりも軽く開いた。  

 軋む音が一つ、遅れて背後に落ちる。  

 その瞬間、いつもなら耳に飛び込んでくるはずの喧騒が――なかった。


 笑い声も、杯を打ち鳴らす音も、火にかけた鍋の音さえも……。


 人はいる。  

 だが、そこにあるはずの言葉だけが切り取られたかのような静けさが広がっていた。  


 テーブルを囲むようにアルクとフルプレート三人組、さらに見知った古参プレイヤーが数人並んでいる。

 奥にはカウンターにもたれかかるリッカが腕を組み、俯いている。


 だが、その誰もがこちらに気づいていないようだった。  

 ――いや、正確には“気づいているはずなのに、何かに気を取られ、反応が遅れている”ような。


 「ちょっとぉ、そんなとこで止まらないでよ。」


 気の抜けた炭酸のように締まりのない声と、背中をリズミカルに小突く感触。  

 アイリとナンナの茶目っ気たっぷりのいたずらは妙に息が合っていて、本当は姉妹なのではと思えてしまう。


 僕を境に、前と後ろではこれほどまでに空気感が違う。その落差に、表情を整えるのに少し苦労した。  

 ただ、この空気に飲み込まれずに済んだことに、内心ほっとしている自分がいた。


 「どうかしたのか?」


 ユマークは一歩前へ出た。存在を示すための行動――そして、次に差し込まれる横槍を予期しての布石でもある。  


 察しのよいナンナはそれだけで何かを感じ取ったのだろう。背後から途端に気配を消した。  

 だがアイリは逆だった。  


 むしろ、その静けさに好奇心を刺激されたように身を乗り出してくる。こういうところは互いに分担しているのだろうか。


 「あっ……。」


 アイリは言葉を詰まらせた。  

テーブルに置かれていたのは護身用の短剣。機能性重視の、無駄のない装飾――言ってしまえば、どこにでもあるような代物だ。  


 だが、その柄を染める血だけは、今もなお生々しかった。  

 彼女にはその持ち主に心当たりがあるという。


 「知り合いのか……。」


 尋ねるアルクの声には、この前までの威勢はない。


 「でも、名前は知らない。黒麦酒……、私たちはそう呼んでいた。」


 「彼はここの常連で、昨日も来ていたわ。短剣はその時見かけたの、間違いない。」


 「そうか……。街道沿いで見つけたのは、それだけだ。」


 アルクは血に染まった短剣に視線を落としたまま、それ以上は何も言わなかった。  

 街道沿いで装備品が見つかること自体は珍しくない。    

 戦闘の混乱で落としたのか、逃走の最中だったのか、それとも――短剣だけでは何も分からなかった。


 黒麦酒……。  

 刻印名すら知らない、ここの常連。ついさっきまで、会わないようにと願っていたその男とはそれっきりとなってしまった。  

 最後まで好きにはなれなかった相手だが、こうして遺された短剣を前にすると、胸の奥に芽生えた感情が嫌悪だけとは言い切れない。  

 僕たちもいずれ、本当の名前すら知られることなく、人知れず散っていく。  

 残酷なほど死に近い世界――それがユグドラシルなのだ。


 その後も、訪れるプレイヤーたちに聞いて回った。  

 だが――  結局、“黒麦酒”という男が、いつ、どこで、どんな最期を迎えたのかを知る者はいなかった。

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