第五十二話 極光の旗の下で
酒場『斧と杯』襲撃事件から一週間――
僕たちの日常は戻りつつあった。
「ユマークさん、早くしないと遅れちゃいますよ。」
「アルセリオンは、その荷物をお願いします。」
狩りからの帰り道。
夏の日差しを受けた石畳が、じりじりと熱を返してくる。
その暑さに負けじと、ナンナの声は僕たちの背中を追い立てていた。
「でも、本当に良かったよね。門の封鎖が解けて。シグリッドの言った通り。」
弾けるような笑みを浮かべるアイリ。
久しぶりに身体を動かせたからなのだろうか、清々しい表情だった。
「あぁ。そこがきっと、タイムリミットって事だったんだろう。」
アルセリオンがポツリと呟いた。
「リミット?」
ナンナは首を傾げ、アルセリオンの方へと視線を向けた。
「ギルド脱退――基本はギルマスが承認すれば、すぐにできるんだろうが……、」
「そうすれば、圏内PKを成立させられない。」
「だから、ひとまず放置して、自動承認される一週間までに何とかしたかった。」
「ご丁寧に逃亡されないように門まで封鎖して――」
「だが、結局ナンナに邪魔されて上手くはいかなかったようだけどな。」
アルセリオンは薄い笑みを浮かべた。
「だって、あの時はああするしか……。」
そう言うと、ナンナは視線を落とした。
「あぁ、分かってる。」
「だから、俺らのギルマスには結構期待してる。」
アルセリオンはそっとナンナに視線を向けた。
「だから――そんなの無理ですって!」
ナンナは上擦った声で手をパタパタとさせた。
「まぁ、諦めるんだな。あの状況で咄嗟にギルドを設立して、圏内PKを止めるだなんて、誰も思いつかない。」
ユマークは笑いながら、ナンナの頭をガシガシと撫でた。
「ちょっと、ユマークさん。痛いですって。」
「こらっ! うちのギルマスに何してるの。」
アイリは頬を膨らませ、僕に鋭い視線を向ける。でも、その口元だけは微かに緩んで見えた。
「もう、アイリさんまで……。」
日が傾き、長くなる四人の影はいつになく楽しそうだった。
◇
「それじゃ、ちょっと遅くなりましたが。」
アイリは弾むように立ち上がり、ジョッキを高々と掲げた。
「酒場『斧と杯』の営業再開と……、」
「新ギルド設立を祝しまして――」
「かんぱ〜い!」
アイリに釣られ、僕たちもジョッキを掲げた。
五つのジョッキは重なり合い、酒場に澄んだ音が響いた。
その勢いで、泡が四方に飛び散ったもんだから、五人は開始早々ずぶ濡れとなってしまった。
「……ぱい。」
僕は声のする方へ視線を向けた。
厨房では、エイナルが静かにジョッキを掲げていた。
その姿がやけに可笑しくて、顔を見合わせた僕たちの間に笑い声が弾けた。
ひとしきり笑ったところで、リッカが料理をテーブルへ並べ始めた。
――うさぎ肉の香草焼き。
――鶏肉とじゃがいものハーブ煮。
――焼きたての丸パン。
そして、極めつけのカルダモンロール。
バルドに無理を言って作ってもらった、僕たちにはなくてはならない一品だ。
エールの注がれたジョッキだけだった殺風景なテーブルが、一気に華やいだ。
「わぁ~。」
思わず、アイリの口から吐息が漏れた。
「いっただきまぁす。」
アイリの掛け声を合図に、次々と料理に手が伸びる。
気づけば、テーブルの料理はすっかり無くなっていた。
けれど、エイナルだけは厨房で明日の仕込みを始めていた。
「どうぞ……。」
エイナルの視界に、ナンナの華奢な手が伸びてくる。
その手には、彼のために取り分けられた料理の載った小皿。
エイナルは軽く会釈をした。
――それだけだった。
それでも、ナンナは小さな笑みを零した。
「ねぇ、ギルマス――」
不意に、アイリの声が飛び込む。
ナンナが振り返ると、目の前にはすでに目の据わったアイリが立っていた。
――もう、出来上がってる。
咄嗟にテーブルへと目をやると、慌てて目を逸らすユマークとアルセリオン。
その姿に、リッカは「やれやれ」と言わんばかりに肩をすくめていた。
エイナルは軽く目元を緩めると、「あっち行けよ」と言わんばかりに首を振った。
ナンナは小さく頷くと、アイリの腕を掴んで元の席へと戻っていった。
「だから、ねぇ。ギルマス――」
「はいはい。アイリさん、どうしました?」
いよいよ、酔いの回ってきたアイリは目が据わっただけでは飽き足らず、口調まで巻き舌になっている。
ナンナはもう一度、ユマークに視線を向けた。
視線の先には――
『ごめん』と言わんばかりに手を合わせるユマーク。
ナンナは大きく息を吐くと、アイリをユマークの隣に座らせた。
少し不満そうに口を尖らせたアイリ。
それでも、僕が彼女の頭をポンと撫でると何とか機嫌を取り戻した。
「私、考えたんだけどさぁ……。」
「ギルドの名前。」
アイリがポツリと呟いた。
――ギルド名。
そう言えば、これまで《ラビットハンター》なんて、通り名を襲名したことはあったが、それも自分たちで考えたものじゃない。
せっかくの機会だ。
これからのこともあるし、そういった名があっても良いんじゃないだろうか。
「……それで。どんな名前にしたんだ?」
僕はアイリに視線を向ける。
「えっとねぇ。 《安全第一》!!」
――おまえが言うな。
そんな言葉が聞こえてきそうな五人の視線。
しばらく、誰もが言葉を失った。
「あれっ! 気に入らなかった? それじゃぁ……《猪突猛進》!!」
ヤバい――
このまま彼女に任せたら、ろくなことにならない。
「ははっ……。ナンナは、なにかある?」
僕は助けを求めるようにナンナへ視線を向けた。
「そうだよ。ギルマスなんだから……。」
アルセリオンも悪戯な笑みを浮かべてナンナに視線を向けた。
「だ、だから……、違うのに……。」
ナンナは眉をひそめ、顎に手を置いた。
しばらく、酒場に沈黙が落ちた後、ナンナはゆっくりと口を開いた。
「……極光旅団。なんて、どうでしょうか?」
「極光……旅団?」
アイリが、ぽつりと呟く。
「……かっこいい。」
アイリは目をキラキラと輝かせた。
その姿に、ナンナは少しだけ嬉しそうに頷いた。
「なんだよ。やっぱり、ちゃんと考えてるじゃないか。」
「い、いや。これは、たまたま……。」
ナンナは照れたように俯いた。
その姿に、僕は思わず口元を緩めた。
「決まりだな。」
「うん! 私も。それがいい!」
「仕方ないな。」
テーブルを囲む三人の意見が珍しく揃った。
そして、僕は厨房ヘと視線を移す。
そこでは、エイナルが黙って明日の仕込みを始めている。
その顔にはこれまでの陰りはもう見られない。
――これで、六人。
「それで、このギルドではなにするの?」
アイリはグイッと身を乗り出し、ナンナに迫った。
「えぇっと……」
ナンナは言葉に詰まった。
その表情には、幾分かの迷いが浮かんでいる。
しばらく黙っていた僕は、ゆっくりと口を開いた。
「虹の橋を渡り、ミルズガルズを目指す。」
真っ直ぐ前を見据えたまま、言葉を続ける。
「アイリを……現実世界に返す。」
そして――
僕はゆっくりと、アイリに視線を向けた。
「そして、君に会いに行く。」
途端に、アイリの頬がほんのりと赤く染まった。
それどころか、華奢な指先をもじもじと絡ませている。
「これは、大きく出たな。」
アルセリオンは腕を組んで僕たちに視線を向けた。
「あぁ。雲を掴むような話なのは分かってる。」
「それに、シオンも黙ってはいないだろう。」
「それでも――僕は向こうで、アイリの走る姿が見たいんだ。」
高らかに宣言したまでは良かった。
けれど、口にしてから急に気恥ずかしくなった僕は、誤魔化すように周囲を見渡した。
みんなは薄ら笑みを浮かべて頷くだけで、誰も、それ以上は何も言わなかった。
変な間にドギマギしていると……、
「それじゃ、新ギルド《極光旅団》の門出を祝して乾杯だ。」
アルセリオンは空になったジョッキを高らかに掲げ、静かにナンナへと視線を落とした。
目を丸くして眉をひそめるナンナ。
それでも、僕と目が合うと、その意図を察したようにゆっくりと席を立った。
「……不束者ですが、どうぞよろしくお願い……します。」
ナンナの挨拶を合図に、僕らは再びジョッキを重ね合った。




