第五十話 仕組まれた噂
――それから、二日が過ぎた。
シグリッドの言葉が正しいのだとすれば、明日あたり、門は開かれる。
あと一日。
この先、この世界がどうなっていくのか。
それは、明日分かる――
「じゃあ、行ってくるね。あと、よろしく。」
弾むような声。
続いて、軽やかな足音が酒場中に響く。
アイリはご満悦といった表情でその木扉を開けた。
この二日。
アイリは見ての通り、機嫌が良い。
取り敢えず、食に困らなかったというのもあるのだろうが、実はそれだけではない。
白銀の女騎士――
シグリッドに会ってから、それが顕著だ。
確かに……。
男の僕から見ても、あの清涼感は大した破壊力だ。ただ、同性のアイリがそこまでご執心ともなると――
これはいよいよ、事件である。
アイリを先頭に、僕ら三人は焼けるような石畳を抜け、西門へと向かっていた。
お目当てはもちろん、豪華な炊き出しと、その女騎士だ。
リッカとエイナルはというと……。
連日誘っているのだが、何故か頑なに拒まれている。
炊き出しをライバル視でもしているのだろうか?
西門周囲は相変わらずの盛況だ。
炊き出しのブースまではまだ少し距離があるというのに、既に人だかりができている。
しかも、昨日より明らかに人数が増えている。
門が閉ざされて二日目。
さすがに、市場だけでは食料が足りなくなってきたというところか。
(……いや、アイリとお目当てが同じという線も捨てきれない。)
僕たちは鼻歌混じりのアイリをよそに、その列へと並ぶことにした。
「なぁ、聞いたか?」
「あぁ、それな。しっかし、驚いたよなぁ。」
「……ふぅ。」
周囲のあちらこちらから聞こえてくる噂話。 そのどれもが大抵、聞くに堪えない嘘っぱちばかりだ。
まぁ、娯楽の少ないこの世界ならでは……、とも言える。
そう、そのはずだったのだが……。
「そう言えば、さぁ……。」
「昨日、アジトが見つかったんだろ?」
「ああ。あの《霧影の盟約》の連中だろ。」
「それで、主犯格も捕まったって話だ。」
「なんつったっけなぁ……。」
男は顎に手を当て、しばらく考え込んで顔をあげた。
「あぁ、そうそう。」
「――エイナルだ。」
「……!?」
その瞬間――
僕の背中に電流が走る。
エイナルが……、まさか!
思わず振り返り、酒場の方へと視線を向けた。
視線の先に変わった様子はない。
ナンナも不安そうな表情を浮かべていたが、彼女の《遠視》スキルも何かを捉えた様子はない。
そういえば、ついさっきまで――
エイナルはいつもの仏頂面で、僕たちを見送っていた。
やはり、噂の大半は嘘っぱち――
自分に言い聞かせるように、胸の中で何度も反芻する。
僕は炊き出しを行う蒼穹の誓いへと視線を戻す。
シグリッドが……、いない。
周囲を見渡したが、慈愛に満ちた表情で僕たちを出迎えてくれていた、あの女騎士の姿がどこにもない。
「あれ? 今日はシグリッドさん、いないね。」
アイリは眉をひそめ、残念そうに呟いた。
その顔をみた瞬間、僕の胸は一層ざわついた。
そして――
「おいおい、俺はエイナルが死んだって聞いたぜ。」
男は頭を掻きながら、首を傾げた。
「なんでも、あのシグリッド様が討ったって話だ――」
四人は一斉に顔を見合わせた。
そして、一呼吸置くまもなく駆け出した。
石畳は一層熱を帯び、周囲の空気はゆらゆらと揺らめいている。
まさか、あのエイナルが……。
なぜ……。
よりにもよって、シグリッドなんだ。
そんな言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
隣を駆けるアイリの表情も硬い。
後を追うナンナも、不安そうに何度も振り返っている。
ただ、アルセリオンだけは、怪訝そうな表情を浮かべていた。
石畳の先に、一際大きな建物が見えた。
その屋根から伸びる煙突は、今は煙を吐くことなく、静かに佇んでいる。
酒場『斧と杯』だ――
「待て! ユマーク。」
アルセリオンの声に僕は駆ける速度を緩め、アルセリオンに視線を向けた。
「なにか変だ。襲撃を受けたにしては、あまりに静か過ぎる。」
アルセリオンの言葉に、僕はもう一度視線を酒場に戻す。
外壁が屋根、煙突に至るまで、僕らが見た朝のまま。
――何も変わらない。
「……ガセ?」
僕の肩から力が抜けていく。
「じゃあ、エイナルは?」
アイリは不思議そうに眉をひそめた。
そう、まだ何も分からない。
でも、その答えは――もうすぐ分かる。
《ギギギギィ――》
木扉が軋む音が、静まり返った通りに響く。
僕は思わず息を呑んだ。
現れた一人の影。
――エイナル!
その姿を認めた瞬間、張り詰めていたものが一気にほどけていく。
「エイナル!」
弾けるような声が響く。
アイリはそのまま、真っ先に駆け寄り、飛びついた。
「な、なんだ。お前ら、西門に行ったんじゃあ……。」
突然のことに、エイナルは目を丸くして言葉を失っていた。
それどころか、みるみる頬が赤くなっていく。
その様子が妙に可笑しくて、僕とナンナは顔を見合わせて頬を緩めた。
「やっぱり、……なんか変だな。」
アルセリオンは顎に手を置き、ポツリと呟いた。
僕はハッとした。
確かに。
単なる噂にしては……、話が出来過ぎている。
しかも、エイナルは元《霧影の盟約》
通称――《鴉》
レグナスやシオンならいざ知らず、これまで表舞台に立つことのなかった彼が、突然、噂の対象になった。
しかも――
《霧影の盟約》の主犯格として。
もしも、エイナルを良く思わない誰かが仕組んだのだとしたら……。
――沈黙が周囲に影を落とす。
「……来る!」
突然、静寂を破るようにアイリの《勘》が反応する。
「何か――来ます。」
次いで、ナンナの《遠視》スキルが異変を捉えた。
カシャ……カシャ……。
石畳を踏む、規則正しい足音。
それに混じって、鎧の擦れる乾いた音が近づいてくる。
アルセリオンは音のする方へと視線を向けた。
やがて、通りの向こうから一人の女騎士が姿を現した。
「やはり……、おまえだったか。」
「シグリッド!」
彼女の後ろには武装した兵士が約十名がこちらに視線を向ける。
――どうやら、彼女は本気らしい。
「皆さん、どうしてこちらへ?」
シグリッドはいつもと変わらず、柔和な笑顔を向ける。
その表情には、動揺の色など微塵も見られなかった。
「どうして、あなたが……。」
アイリはギシギシと奥歯を噛み締めながら、それでもシグリッドから目を逸らさなかった。
「どうしてって? そんなの決まってるじゃないですか。」
柔らかな笑顔のシグリッドがエイナルに鋭い視線を向ける。
「彼が……邪魔だからですよ。」
その言葉を合図に、左右に控えていた兵士たちが一斉にエイナルへ剣を構えた。
淀みのないその所作からは、相当の鍛錬と――
そして、覚悟が読み取れた。
それは一瞬だった。
僕が息を吐いた、その瞬間――
シグリッドの両脇から、地面を蹴る音とともに砂煙が舞った。
咄嗟に短槍を手に取った僕は、一閃。
鈍く光る刃が激しい金属音を奏でる。
弾き飛ばされた短槍が、風を切る音とともに宙を舞った。
ニヤリ――
兵士の顔に笑みが零れる。
一昔前の僕なら、このままなにも出来ずにやられていただろう……、だが。
僕は勢いに身体を任せて、そのまま大きく身体を仰け反った。
その背後から、人影が飛び上がる。
僕の身体を踏み台に、さらに一段高く舞い上がった。
「いっけぇ! アイリ!」
身の丈を越える大剣を振り被った彼女は、身体を回転させながら兵士たちへと振り下ろす。
轟音とともに、石畳が弾け飛ぶ。
「くっ!」
兵士たちはなすすべもなく、後方へと吹き飛ばされた。
「すごい……。
「まったくだ、容赦ない。」
ナンナとアルセリオンの声が小さく零れる。
兵士たちも目を丸くして、思わず後退りした。
だが――
シグリッドだけは、微動だにしなかった。
パチパチパチ――
手を叩く音だけが、静かに響く。
「お見事……。と言いたいところですが、あなたたちはこれが何を意味するのか、お分かりですか?」
シグリッドがスッとアイリを見据える。
「うん。ちょっとしたいざこざ。どうせ圏内じゃ、死んじゃわないしね。」
アイリは澄ました顔で、ふんと鼻を鳴らした。
「そうですね。ですが……それを可能にする方法があるのをご存知ですか?」
「……はい。あんな酷いことは、もう見たくありません。」
ナンナが俯きながら、呟いた。
「……そうですね。ですから、それを考えた極悪人を、我々は放っておくわけにはいかないのですよ。」
シグリッドが、ゆっくりと視線を向けた。
その先には――
エイナル。




