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最適解では生きられない ――正しさを捨てられない君と、選び続ける僕の話  作者: 希主果
第四章 分かたれた道

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第四十六話 失われた翼

 「ちょ、ちょっと! アルセリオンさん。ダ、ダメですよ!? こんな……。」


 ナンナの制止など聞こえていない。

 アルセリオンの手は、迷いなく伸びた。


 リッカが差し出したエールのジョッキを素早く受け取ると、そのまま豪快に喉へ流し込んだ。


 「ぷはぁっ! もう一杯!」


 「アルセリオンさん、いくらなんでも飲みすぎですよ。」


 ナンナが心配そうに声を掛けた。

 しかし、アルセリオンは空になったジョッキを掲げ、もう何杯目かも分からないエールを平然と注文していた。


 「ナンナも大変ね。」


 アイリは呆れたように笑った。

 彼女は再びコロンビーナの仮面を着けている。

 ついさっき見た素顔は、今はもう僕だけの記憶の中にある。

 それでも、声の調子や目元を見れば、楽しげに笑っていることくらい分かった。


 「よし。それなら、私も。」


 「リッカさん! こっちにも同じヤツを――」


 「「ダメ!!」」


 僕とナンナの声がぴたりと重なった。


 夜の帳が下りる頃。

 僕たち四人は酒場《斧と杯》で遅めの夕食を摂っていた。


 店内は相変わらず喧騒に満ちており、リッカもエイナルも右に左にと駆け回っていた。

 だが、今日は不思議と息の詰まる感覚は覚えなかった。


 今日はアイリの奢りだった。

 実は大規模遠征の事前報酬が、まだ残っていたらしい。

 だから、テーブルにはところ狭しと大皿が並んでいた。

 その中でもひときわ目を引くのが、新作の『グラブラックス』だった。


 艶やかな薄桃色の身に、刻まれたディルが鮮やかな緑を添える。

 一口頬張れば、舌の上で脂がほどけ、鼻へ抜ける爽やかな香りがあとを追った。


 僕とアイリの皿だけが、みるみる空になっていく。

 だが、アルセリオンの前ではサーモンは一切れも減っていなかった。


 彼はこの絶品料理には見向きもせず、ひたすらエールだけをあおっていた。


 「それにしても、大変なことになったなぁ。」


 そう呟きながら、アルセリオンがまったく手を付けないグラブラックスへ、そっと手を伸ばす。


 「まさか、あのシオンがこんな大胆なことをするなんて――」


 一口頬張ると、熟成された脂の旨味が口いっぱいに広がった。


 「……もう。」


 アイリは苦笑を浮かべた。


 僕が口元についた脂を袖で拭おうとした、その時――


 「もう、子供なんだから。」


 そう言うと、僕が袖を伸ばすより先に布巾を取った。


 指先が頬に触れる。


 「はい、きれい。」


 僕は何も言えなかった。


 あまりに自然な仕草に、ナンナは目をぱちぱちさせ、僕とアイリを交互に見比べる。


 何か言いたそうに口を開きかけたが、結局何も言わず、小さく笑うだけだった。


 「君たちはこれで良いかもしれないが、こっちとして死活問題なんだ。」


 机に突っ伏したアルセリオンは、空になったジョッキを握りしめながら延々と不満を並べている。


 「いや、それは僕たちだって変わらない。」


 僕はアイリへと視線を向ける。


 「シオンがなんと言おうが、僕はアイリを元の世界に返す。」


 僕はそう言い切った後、ナンナへと視線を移した。


 「……ナンナ、ごめん。こんな大事なことを勝手に決めて。それでも――」


 「はい、それは分かっています。私も――」


 ナンナはそこで言葉を止めた。

 その先の言葉を探すように、しばらく黙り込む。


 けれど、結局ナンナは何も言わなかった。


 「でも、どうやって虹のビフレストを目指す。各方角の門が封鎖されてしまっては……。」


 アルセリオンは顔を上げ、険しい表情でこちらを見つめている。


 「あぁ、それなら――」


 そこまで言って、僕は言葉を止めた。


 「……封鎖?」


 思わず僕は聞き返した。


「あぁ。ここに来る道中、西門の前を通ったんだが、《蒼穹の誓い》が城門を占拠してやがった。」


 「どうしたのかと尋ねたんだが、『今は通れない。』の一点張り。」


 アルセリオンの表情は一層影を帯びていた。


 これまでの言動、そして門を封鎖したというアルセリオンの話。

 ――シオンは僕たちをこの街に留めようとしている。その考えに疑いの余地はなかった。


 でも、何故?

 全員がこの世界に留まらなければならないのか……。


 考えても、答えは出ない。


 結局のところ、今の僕には酔いつぶれる寸前のアルセリオンを介抱する方がよほど切実な問題だった。


 僕は厨房へと視線を向けて、右手を挙げた。


 「なんだ?」


 始めにこちらへ気付いたのはエイナルだった。


 ぶっきらぼうな返事に、愛想の欠片もない表情。酒場でなければ、とても接客業が務まるとは思えない。

 

 気怠そうな足取りでこちらへ歩いてくる姿を見ているうちに、声を掛けたことを少しだけ後悔した。


 「忙しいところ悪いな、エイナル。今晩、一室空いてたりしないか?」


 わざわざ呼び止めた以上、今さら『やっぱり何でもない』とは言えない。 僕は努めて平静を装った。


 「……あるわけないだろ。」

 

 エイナルの態度は予想以上だった。

 半分夢の中へ旅立っていたアルセリオンが聞いていなくて良かったと改めて思った。


 「あっ。」


 エイナルは拳をポンと叩き、思い出したような表情を浮かべた。


 「そう言えば、裏に厩ならあるぞ。」


 ……もう、返す言葉もなかった。


 僕は次いでナンナへ視線を向けた。

 ナンナは『なんで私を見るんですか……』と言いたげな顔をしたあと、すっと視線を逸らしてしまった。


 アイリはというと……。

 あれだけ止められたというのに、いつの間に飲んだのか、ジョッキを片手に机へ突っ伏していた。


 僕たちの間に、気まずい沈黙が流れる。

 その沈黙を破るように、エイナルが小さく口元を緩めた。


 「冗談だ。そいつが構わないなら、俺の部屋を使え。」


 「あっ……、助かる。」


 「……いや、良い。どうせあいつら、今日は寝るつもりなんて無いみたいだしな。」


 エイナルはそう言って、店内を見渡した。


 店内は、シオンの掲げた新時代を酒の肴に、夜更けまで語り明かそうとするプレイヤーたちで溢れていた。


 その熱気が冷めることはなく、結局僕たちはエイナルの厚意に甘えることにした。


 「ほら、行くぞ。」


 「……無理。」


 「俺も……。」


 「ちょっと、待ってください。」


 いつも強気な二人から、まさかこんな言葉を聞く日が来るとは思わなかった。


 思わず笑ってしまう。

 ……だが、笑っている場合ではなかった。


 二人の顔色が、みるみる青ざめていく。

 僕は慌てて二人を外へ連れ出した。


 「ブルルルッ」


 厩ではアルクが呆れたように鼻を鳴らす。

 その声を聞きながら、僕とナンナはしばらく二人の背中をさすり続けることになった。


 長い一日だった。

 ――そして、翌朝。


 階段を駆け上がる音が響いた。

 床板が激しく軋む。


 その荒々しい足音は、迷うことなくこちらへ向かってくる。

 そして、扉の前でピタリと止まった。


 「ユマーク、大変だ! アルクが……いない。」

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