第四十五話 微笑みの裏側
アイリの背中を追って、ユマークが広場を駆け出した頃――
「あ〜あ、行っちゃいましたね。」
「……だな。」
ナンナは駆け出した二人の姿を目で追っていたが、すぐに《遠視》スキルでも捉えられなくなった。
「仕方ない。俺たちも後を追うか?」
アルセリオンは肩をすくめて、ナンナに視線を向けた。
「いいえ、ユマークさんなら、きっと大丈夫です。何とかしてくれます。」
「ふっ。よほど信用してるんだな。」
「は、はい。ちょっと抜けたところはありますが、結局、最後にはどうにかしてくれますから。」
ナンナはそう答えると、広場の壇上へと視線を戻した。
「それより……、」
ナンナの視線の先では、壇上のシオンがひとりひとりに手を振り返し、観衆の声援に応えていた。
「まるでハリウッドスターだな。」
アルセリオンは呆れ顔でポツリと呟いた。
実際、シオンの周りには彼女に一声掛けようと人々が次々と集まっていた。
それはまるで、この街そのものが彼女を中心に変わり始めているかのようだった。
「一躍、時の人……ですね。」
ナンナの一言にアルセリオンはクスリと笑った。
「あぁ、そうだな。でも……、」
アルセリオンは一度、壇上のシオンへ視線を向けた。
「すごいよな。ぽっと出てきて、あんなに人を惹きつけられるんだから。」
アルセリオンは小さく息を吐いた。
「でも、ナンナは違う。」
アルセリオンはそう言って、隣に立つナンナへ視線を向けた。
「少なくとも君は、誰かのためにずっと走ってきた。」
「だったら、君の方が数倍かっこいいと俺は思うけどな。」
「……えっ?」
思いがけない言葉に、ナンナは目を丸くした。
その時だった。
「――シオン!」
広場の一角から、鋭い声が響いた。
突然の声にビクンと身体が跳ねたナンナは、反射的に傍にいた誰かの腕をぎゅっと掴んだ。
「……あっ!」
その腕を見て、ナンナはゆっくりと視線を上げた。
その先には……。
「アルセリオンさん?」
「あぁ……、俺だな。」
「す、すみません!」
ナンナが慌てて手を離そうとした瞬間――
今度はアルセリオンの手が、ナンナの腕を掴んだ。
「へっ……!?」
戸惑いを隠せないナンナをよそに、アルセリオンはナンナを自分の側へ引き寄せた。
「え、えっ!」
すぐそばで、アルセリオンの心音が聞こえる。
その度にナンナの鼓動も速くなっていく。
周囲の喧騒さえ、いつの間にか遠くに聞こえていた。
何が起こったのか――
ナンナは思考が追いつかない。
「動かないで。」
その声に、ナンナはゆっくりと顔を上げた。
視線の先には、一点を見据えるアルセリオンの鋭い眼差しがあった。
「――シオン!」
再び、怒声にも似た声が響いた。
その瞬間、シオンに向けられていた歓声が途切れ、程なく悲鳴へと変わった。
それとともに人垣が割れ、その奥から一人の男が姿を現した。
乱れた装備。
疲れ切った顔。
それでも、その目だけは異様なほどぎらついている。
男は周囲の視線など意に介さず、壇上のシオンだけを睨みつけていた。
「あれは……。」
ナンナの《遠視》スキルが、男の手元を捉えた。
握りしめられた剣。
その柄に刻まれた意匠を見た瞬間、ナンナの表情が強張った。
見間違えるはずがない。
――《黄昏の航路》
「なんで……。」
ナンナのか細い声が零れる。
その声を聞いたアルセリオンの手に、自然と力が入った。
「おい、シオン!」
男は壇上を睨みつける。
「ふざけるな! これはどういうつもりだ!」
剣を握った男の手は震えている。
「同志たちは……、何のために戦っていたと言うんだ。」
男の目には涙が滲んでいた。
「あいつらが流してきた血や汗を……全部、無駄にするつもりか!」
「ふざけるな!」
「そんなのお前らが勝手だろうが!」
「結局、何もできなかったくせに!」
群衆から言葉が飛ぶ。
一つ、また一つと重なり合い――
いつしか、広場全体を揺るがす大きなうねりとなっていった。
「くっそぉ!!」
そう言うと男は剣の柄を握り直した。
「出ていけ!!」
ヒュッ!
その怒声とともに、小石が飛んだ。
一つ、また一つ飛び交って――
それは、これまで溜まりに溜まった鬱憤を晴らすかのようだった。
「ひどい……。」
声を震わせるナンナを見て、アルセリオンは小さく息を吐いた。
「こういうところ……なんだろうな。」
「俺があいつの言葉を受け入れられないのは……。」
アルセリオンは静かに目を伏せた。
「どういうこと?」
「シオンはおそらく――」
「皆さん、おやめ下さい。」
シオンは静かに話し始めた。
「こういった無益な争いはもう終わりに致しましょう。」
「彼もまた、仲間を失った悲しみの中にいるのでしょう。」
「どうか、これ以上彼を責めないであげてください。」
シオンは両手を広げ、広場の群衆に語り掛けた。
「よく言うよ。」
「どういうこと?」
ナンナは怪訝そうな表情を浮かべるアルセリオンの顔を見つめていた。
「あぁ、周りを見てみな。」
その言葉にナンナは広場を見渡した。
広場の混乱とは対照的に、外縁を囲む兵士は誰一人として顔色を変えていない。
「……なんで? 誰も助けようと……しない。」
「あぁ。そう言うことだ。」
アルセリオンは横目で外縁の《蒼穹の誓い》らしき兵士を捉える。
「《蒼穹の誓い》は、シオンさんを裏切った……?」
「いや。むしろ、その逆さ。」
「変だとは思わないか。」
アルセリオンは静かに答えた。
「シオンは争いを止めようとしている。なのに、兵士たちは誰も動かない。」
「まるで……、最初から、こうなることを知っていたみたいじゃないか。」
「まさか……。」
ナンナの声が、かすかに震えた。
アルセリオンは黙って、壇上へと視線を戻した。
そこではシオンが、今も変わらぬ穏やかな表情で男を見つめていた。
「あなたも……、きっと辛かったのでしょう。」
「仲間を失い、帰る場所さえ失ってしまった。」
「だからこそ、今は怒りを誰かにぶつけずにはいられないのかもしれません。」
優しい声だった。
責めるでもなく、諭すでもなく――ただ、男の悲しみに寄り添うような声。
それを聞いた男の肩が、わずかに震えた。
「……お前に、何が分かる。」
「ええ。分かりません。」
シオンは迷うことなく答えた。
「だからこそ、これ以上あなたから何かを奪いたくはないのです。」
その言葉に、男は押し黙った。
広場からも、少しずつ声が消えていく。
まるで、シオンの言葉が人々の怒りを静かに鎮めていくようだった。
「……すごい。」
ナンナが小さく呟いた。
だが――
アルセリオンだけは黙って外縁に並ぶ《蒼穹の誓い》の兵士たちを見つめていた。
やはり、誰も動かない。誰も慌てない。
「……なぁ、ナンナ。」
「はい?」
「もし本当に、全部偶然だったとしたら……。」
アルセリオンはそこで言葉を切った。
壇上では、シオンが男へ手を差し伸べている。
その顔には、慈愛すら感じさせる微笑みが浮かんでいた。
「……あの女、相当な強運の持ち主だな。」
「…… ……。」
ナンナは答えられなかった。
その時――
シオンの視線が、ふとこちらを捉える。
微笑みは変わらない。
でも、目が笑っていない。
そして――
ほんの僅かに、口元を上げた。
《遠視》スキル。
その表情を読み取れたのは、ナンナだけだった。
背筋を、冷たいものが走る。
――今のは。
偶然なんかじゃない。
そう思った瞬間には、シオンはもういつもの穏やかな笑顔に戻っていた。
「アルセリオンさん……、今の?」
ナンナの言葉を制するようにアルセリオンは静かに首を振った。
「そろそろ、行こうか。」
アルセリオンはそう言うと、壇上から目を逸らした。
ナンナも、それ以上は何も言わなかった。
ただ――
遠ざかっていく人々の声を聞きながら、先ほど見たシオンの笑みだけが、いつまでも頭から離れなかった。




