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最適解では生きられない ――正しさを捨てられない君と、選び続ける僕の話  作者: 希主果
第四章 分かたれた道

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第四十四話 仮面の向こう側

 陽は傾き始めていた。

 それでも僕は、未だ熱の籠る石畳を駆けていた。


 何処まで――

 そんなの分からない。


 じゃあ、いつ迄――

 そんなの決まってる。


 ――アイリを見つけるまでだ。


 彼女の行きそうな場所なら、いくつか心当たりはある。

 それでも僕の足は、迷うことなく一つの場所へ向かっていた。



 黒ずんだ木造二階建ての建物。

 風に揺れる看板。

 窓から漏れる琥珀色の灯り。

 煙突から立ち昇る白煙。


 酒場『斧と杯』

 ――僕たちが帰る場所だ。


 僕は大きな木扉には目もくれず建物の裏へと回った。


 急ごしらえの木の柵と、雨を凌ぐためだけの簡素な庇。

 酒場の裏に作られたその小さな囲いには理由がある。

 ――アルクだ。


 そこは、彼が夜を過ごすための小さな厩だった。


 「やっぱり……いた。」


 無造作に積まれた藁を食むアルク。

その傍らで、膝を抱えて小さく身体を丸めるアイリ。


 不思議なほど、二人の姿が様になっていたので、思わず吹き出しそうになってしまった。


 「なによ……。どうせ、笑いに来たんでしょ。」


 いつものような刺々しい言葉も、今のアイリが口にすると、まるで拗ねた子供のようにしか見えなかった。


 「ちょっと、悪いな。邪魔するよ。」


 そう言って僕は、アルクの傍らに積まれた藁の上へ腰を下ろした。


 そこまでは至って順調だったのだが……。


 僕は積み上げられた藁の密度を見誤ってしまった。

 腰を下ろした途端、藁の山が崩れ、厩中に藁が舞い上がる。


 「ちょっと、バカバカバカ――」


 アイリの絶叫が厩中に響く。


 舞い上がった藁は二人の頭上へ降り注ぎ、あっという間に藁まみれになってしまった。

 しかも、勢いよく座った僕はその反動で尻もちまでつく始末……。


 「もう!」


 大きな溜息をついたアイリは頭や肩に絡みついた藁を払いながら、僕をぽかりと一つ叩いた。


 何とも締まらない登場になってしまった。


 僕は恐る恐る彼女に視線を向けた。

 やっぱり――


 アイリは仮面が外れてしまいそうになるくらい頬をぷっと膨らませ、肩には払いきれなかった藁が乗っている。

 

 それなのに何故か、アイリは僕から離れようとはしなかった。

 それどころか……。


 アイリは僕の肩にそっと身体を預けてきた。


 (……っ!? くそっ、心臓がうるさい。)


 弁明する機会すら失った僕は、徐々に白んでいく空をただ眺めることしかできなかった。


 言葉のない時間だけが、静かに流れていく。


 「ヒヒーン!」


 突然、アルクが大きくいなないた。

 驚いて顔を上げると、そこにはまるで『邪魔だ!』とでも言いたげな表情でこちらを見つめるアルクが立っていた。


 「「あっ! ごめん。」」


 二人の声が重なった。

 顔を見合わせるタイミングも、慌てて立ち上がるタイミングもまったく同じ……。

 それが妙におかしくて、二人は思わず笑ってしまった。


 「ブルルル……。」


 アルクは『やれやれ』とでも言いたげに鼻を鳴らすと、そのままゆっくりと藁の上へ身を沈めた。


 「もう少しだけ……。」

そう言って僕は、アルクの首筋を優しく撫でた。

 アルクは満更でもなさそうに鼻を鳴らす。


 「ありがとな。」


 今度は彼の邪魔にならないよう、僕たちは少し場所を空けて腰を下ろした。


 今度はアルクの鼻息が聞こえる。

 酒場から零れる賑やかな笑い声もリッカの威勢の良い掛け声も……。

 それを聞くと、少しだけ『日常に戻れた』そんな気がした。


 「あのさぁ……。」


 「言わなくても分かってる。」


 静寂の中に零れた僕の声。

 アイリは遮るように答えた。


 「私ね、怖かったんだ。」


 「あぁ、分かってる。」


 今度は僕がアイリの言葉を遮った。


 「ほんとにぃ?」


 僕の顔を覗き込むアイリの瞳には、出会った頃のような悪戯っぽい光が戻っていた。


 「ごめん……なさい。見栄を張りました。」


 「うんうん、素直でよろしい。」


 アイリは得意げに鼻を鳴らした。


 そう、僕は分かっていた。

 そのつもりだった。


 でも……。

 今考えれば、本当に分かっていたわけじゃないのかもしれない。


 ――何故、アイリはそこまで現実世界に拘るのか。


 その答えは、結局見つからないままだ。


 『家族』『友人』『恋人』

 ――誰もが思い浮かべるような、大切な誰かが待っているからだと思っていた。


 でも、時折見せる無邪気な笑顔の裏側に、ふと浮かぶ悲しげな表情。


 きっと、僕なんかには察することもできない事情があったんだ。

 そう思うほど、自分が何も知らなかったのだと思い知らされた。


 しばらくの沈黙のあと――


 「あのね……。」


 静寂を破るようにアイリが口を開いた。


 「私ね……。」


 一度言葉を飲み込んでから、アイリは小さく息を吐いた。


 「ここには……、逃げてきたんだよね。」


 視線を落とし、指先を見つめるアイリ。 そんな弱々しい姿を見たのは、この半年で初めてだった。


 しばらく言葉を探したあと、僕は静かに口を開く。


 「……聞いてもいいのか?」


 アイリはコクリと頷くと、コロンビーナタイプの仮面へそっと手を添え、ゆっくりとそれを外した。


 僕は思わず息を飲んだ。

 それはなにも、アイリの素顔に見惚れたからじゃない。


 ――目尻の少し垂れた大きな瞳。

 ――艶のある薄い唇。

 ――すっきりとした輪郭。


そもそも、顔半分しか覆えないあの仮面で隠しきれるものじゃない。

 

 それよりも、今まで仮面の下に隠してきた素の自分を、僕に見せようと思ってくれたことに驚いた。


 「ちょっと……、何か言うことないの?」


 「う〜ん。」


 僕は顎に手を置き、少し考えてから頷いた。


 「……やっぱり。」


 「……はぁ!? 『やっぱり』ってどういうことよ!」


 アイリは勢いよく身を乗り出した。


 「えっ?  だから、予想通り。」


 「はぁ!? だから、予想通りってなんなのよ!」


 「だって、仮面越しでも分かってたし。」


 「何がよ。」


 アイリは腕を組み、不満そうに僕を睨みつけた。


 「アイリが美人なの。」


 「なっ!?」


 思わず目を見開いたアイリは、慌てて視線を逸らしてしまった。


 それにつられるように――

  今更になって自分の言葉が恥ずかしくなった僕も、アイリから視線を逸らした。

 

 二人の間に再び沈黙が落ちる。

 そんな空気などお構いなしに、アルクは大きな欠伸をひとつ。

その仕草が、酒場で深酒をした日のアルクにあまりにもそっくりで――

二人は顔を見合わせると、堪えきれずに吹き出してしまった。


 「本当の私はね……。」


 アイリの声は消えてしまいそうな小さな声だった。


 「ユマくんが言ってくれるような美人でもなんでもないんだよ。」


 「鏡に映る私は、いつも青白くて、痩せてて……。」


 「外に出れば、『大丈夫?』『無理しないでね』って、そんな言葉ばかり掛けられてた。」


 「それが、本当の私――『相沢愛良』なの。」


 「この仮面はそんな私を守ってくれたの。」


 アイリは膝の上に置いた仮面を、指先でそっとなぞった。


 そんな彼女の告白に、僕は掛ける言葉を見つけられなかった。


 アイリは小さく息を吐くと、どこか諦めたように微笑んだ。


 「本当はね、手術の日も決まってたんだ。」


 「でも、その日が近づくにつれて……やっぱり怖くなっちゃって。」


 「そんな時に出会ったのが、この《ユグドラシル》だった。」


 「このドリームインターフェイスのおかげで、私は初めて自由に走って、笑って、冒険できたの。」


 「ねぇ、ユマくん。東雲恒一博士って知ってる?」


 (名前くらいは聞いたことがある。たしか、脳神経科学の第一人者でユグドラシルの生みの親……だったか。)


 僕は無言で頷いた。


 「私……。病室で一度だけ……、会ったことがあるの。」


 アイリは膝の上で両手をぎゅっと重ねた。


 「先生は、私の話を最後まで黙って聞いてくれた。」


 「それから、こう言ったの。」


 アイリはどこか懐かしむように、小さく目を細めた。


 「この世界で思いきり走ってきなさい。」


 「そして、現実でも『もう一度走りたい』と思えたら、その時は一緒に頑張ろう。」


 「そう言って渡してくれたのが――この《ユグドラシル》だった。」


 アイリは自分の両手を見つめ、小さく微笑む。


 「そこで私はユマくんと出会った。そして、『もう一度走りたい』って思えたんだ。」


 「先生は私に、『未来を諦めなくていい』って教えてくれた。」


 アイリはゆっくりと顔を上げ、まっすぐ僕を見つめた。


 「だから私は、戻りたいの。」


 「だって、あっちの世界でも走ってみたいじゃない。」


 アイリは外したコロンビーナの仮面をそっと見つめた。


 「もう少しだけ、このままでいてもいい?」


 「もちろん。」


 仮面を外したままのアイリは、小さく笑った。


 酒場から漏れる笑い声。

 アルクの穏やかな寝息。

 傾きかけた夕日。


 僕はようやく、仮面の向こうにいた本当のアイリを知ることができた。

 ……そんな気がした。

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