第四十三話 選ばれた未来
「皆さんに、伝えたいことがあります。」
シオンが静かに紡いだ一言。
それは穏やかな声色だった。
それでも不思議と、ざわめいていた広場はゆっくりと静まり返っていった。
「レグナス率いる大規模遠征から、十日あまりが過ぎました。」
「ですが、あの遠征は半年という歳月の末に、私たちが託した最大の希望でもありました。」
「そこでは多くの仲間が命を落とし、多くの人が希望を失いました。」
「私たちは、これまで幾度となく帰還の道を探してきました。」
「この世界の果てにあるという虹の橋――ビフレスト。」
「そこへ辿り着けば帰れると信じ、多くの仲間が旅立ちました。」
一度言葉を切ったシオンは、静かに広場を見渡した。
「ですが、結果はどうだったでしょうか。」
「帰還への道は見つからず、多くの命だけが失われました。」
「そして、私たちはこの世界へ閉じ込められてから半年が経ちます。」
「家族を想い続けた人もいるでしょう。」
「恋人や友人との再会を願い続けた人もいるでしょう。」
「私も、その気持ちを否定するつもりはありません。」
シオンは胸に手を当て、小さく目を伏せた。
「ですが――」
「少なくとも、この半年、私たちに救いの手は届きませんでした。」
「帰還へ繋がる新たな手掛かりも、私たちを救う兆しもありませんでした。」
「それでも私たちは、生きています。」
「食べ、眠り、働き、支え合い、明日を迎えています。」
「ならば、私たちはいつまで『帰る日』だけを待ち続けるのでしょうか。」
「命を懸けて虹の橋を探し続けるのでしょうか。」
「私は、もう仲間を失いたくありません。」
「だから、帰還だけを目的に命を懸けることは、もう終わりにしませんか。」
「私は提案します。」
「この世界で、生きていきましょう。」
「帰れる保証のない未来を追い続けるのではなく、私たち自身の手で、この世界に未来を築きましょう。」
「家を建て、街を守り、子どもたちが笑って暮らせる場所をつくりましょう。」
「そのために、私たちは新たな国を築きます。」
「未来は、誰かが与えてくれるものではありません。」
「私たち自身の手で築くものです。」
一拍置き、シオンは広場を見渡した。
静寂を破るように、力強く言い切った。
「帰れる保証のない未来より、私たちは、ここにある現実を選びます。」
広場は、水を打ったように静まり返った。
誰も口を開かない。
その言葉の意味を、一人ひとりが噛み締めるように俯いていた。
やがて――
誰かが小さく拍手を送った。
それは一人、また一人と広がり、やがて広場全体を包み込む大きな拍手へと変わっていく。
その光景は、まるで新しい未来を受け入れる儀式のようだった。
「えっ。ちょっとちょっと、どういうこと?」
明らかに戸惑いを見せるアイリ。
演説の内容もさることながら、壇上に立つシオンの姿が、何より信じられなかった。
「…… ……。」
深く溜息をついた。 けれど、その後に続く言葉は見つからなかった。
思い当たる節がない訳じゃなかった。
東門で初めて会ったあの日――
酒場でテーブルを囲んだ夜――
そして、シオンがスズランを探していた、あの日。
『……戻ってこなかった。』
『だから、あそこに行けば会えるかな……なんてね。』
あの時は、帰らない仲間を想う言葉なのだと思っていた。
けれど今なら、その言葉が胸に重くのしかかる。
誰よりも帰還を願い、誰よりも帰還を待ち続けたからこそ──
シオンは、この世界で生きることを選んだのかもしれない。
「まずいな……。」
アルセリオンは辺りを見回した後、ボソリと呟いた。
今なお、歓声に揺れる広場。
その外縁を囲むように並び立つ兵士たち――《蒼穹の誓い》だ。
その姿は、広場を守っているようにも、誰一人として逃がさないようにも見えた。
「どういうこと……ですか?」
ナンナは震える手を必死で押さえながら、アルセリオンに問いかけた。
「これは、思いつきで始めた話じゃない。最初から、この瞬間を迎えるために、すべて準備してきたってことさ。」
「準備……されていた?」
ナンナが小さく呟く。
「よく考えてみろ。礼拝堂で鴉を引き渡したあの日――あれだけの兵が、あのタイミングで隊列を組んで現れた。」
「偶然にしては、出来過ぎているとは思わないか。」
「それに、この広場だ。」
「兵の配置も、人の集まり方も……まるで最初から、この瞬間を待っていたみたいじゃないか。」
「……もしかすると、あの鴉も、この計画と無関係じゃなかったのかもしれないな。」
「もちろん、証拠はない。ただの勘だ。」
「でも、全部を並べてみると……偶然じゃ説明がつかない。」
「確かに……。」
僕は妙に納得してしまった。
アルセリオンはそんな僕の顔を見ると、口元を緩めた。
「もっとも――」
「向こうも予定通りにはいかなかったはずだけどな。」
「えっ?」
アルセリオンは肩をすくめ、小さく笑った。
「だって、ユマークが馬に乗って現れるんだぜ。」
「そんなの、俺だって思いつかないよ。」
それでも僕には、アルセリオンが見ている景色はまだ見えていなかった。
「でも、それだと……。」
「あぁ。」
アルセリオンは苦笑を浮かべた。
「少なくとも、俺たちのことは覚えられただろうな。」
そう言って、壇上に立つシオンへ静かに視線を向けた。
「計画を狂わせたちょっと厄介な連中としてな。」
「そんな……、これからどうなるの?」
アイリの声はか細く、そして震えていた。
「シオンの……言葉通りの意味なら……。」
僕はそこで一度、言葉を詰まらせた。
「僕たちは、何も変わらない。この仮想世界で……これからも生きていくことになる。」
アイリの視線が、壇上のシオンだけを捉える。
次の瞬間――
アイリは右足を大きく踏み込んだ。
「待てっ! どうするつもりだった。」
アルセリオンの声が飛ぶ。
「……そんなの、決まってる!」
アイリは握りしめた拳に力を込めた。
貯めた力を解放するように、身体の重心が前へと移動する。
その瞬間だった。
僕は反射的にアイリの身体を抱きしめていた。
「……っ!」
突然のことに、アイリの動きが止まった。
「離して……!」
いつもの強気な声。
だけど、その声はわずかに震えている。
「アイリ……。」
「だって……!」
アイリの拳が、僕の胸元で小さく震える。
「このままだと……本当に……。」
その先の言葉を、アイリは口にできなかった。
帰れない。
その現実を、認めることが怖かったのだ。
「分かってる。」
僕は静かに言った。
「でも……、彼女の話すことの全てが間違いって訳じゃない。」
(しまった!)
その瞬間、腕の中のアイリの身体が、ほんの少しだけ強張った。
「……ユマくんも、そう思うんだ。」
小さな声だった。
責めるような響きはない。
だからこそ、僕の胸が余計に痛んだ。
大剣を振るう時のような強い力で、アイリは僕の腕を振りほどいた。
その勢いに僕の身体がよろめく。
「アイリ……!」
呼び止める声は届かなかった。
アイリは俯いたまま、そのまま広場の外へと駆け出していく。
「アイリちゃん!」
ナンナの声が広場に響く。
けれど、アイリが振り返ることはなかった。
その声は、再び広がり始めた人々のざわめきの中へと消えていった。
「ユマーク。」
アルセリオンの声が僕を呼ぶ。
だけど――。
その声に振り返ることはなかった。
正しいとか、間違っているとか。
そんなことを考える前に。
今はただ、アイリを追いかけなければいけないと思った。




