第四十二話 選ばぬ覚悟
朝から街は喧騒で満ちていた。
行き交う人々は口々に不安を漏らし、その表情は一様に沈んでいるように見える。
それもそのはず――
『大規模遠征の失敗』
『霧影の盟約による圏内PK事件』
『黄昏の航路壊滅』
この数日で起きた出来事は、街の空気を一変させたのだ。
せめて、圏内PKのカラクリだけでも公表できれば良かったのだろうが、エイナルのことを考えれば、それも慎重にならざるを得ない。
何より、具体的な対策もないまま事実を公表すれば、模倣犯を生む危険性の方がはるかに大きい。
それほどまでに――
この街は不安と疑心に包まれ、秩序を失いつつあった。
それでも、僕たちがやるべきことは変わらない。
「ユマくん、頑張ってぇ。」
草原に弾むような声援が響くと、手綱を握る手に自然と力がこもる。
僕は身体を低く伏せ、風を切るように馬を駆けさせた。
「すごいです。これならあの丘まですぐですよ。」
ナンナは声を弾ませながら、アイリと笑みを交わした。
「それに、ユマークさんが言った通り、少人数なら魔物の数もさほど多くありません。」
弓の弦を引き絞るナンナの動きにも、心なしか余裕が感じられた。
「あぁ、ここまでは順調だ。」
「でも……。」
僕は馬の首筋を撫でながら二人に視線を向けた。
馬はNPC扱いだ。
だから、魔物に襲われることなく圏外を移動できる。
それでも、人を乗せて走ろうとする馬は、いくら探しても『アルク』と名付けたこの鹿毛の馬だけだった。
いくら体格に恵まれた馬とはいえ、三人を乗せて走るにはさすがに厳しい。
つまり、攻略を目指すのなら誰か一人を残して進むことになる。
……それは、共に歩んできた仲間と別れるということだ。
そんな選択を、僕にできるのだろうか……。
屈託のない笑顔を見せる二人を前に、僕はただ黙って馬の首筋を撫でていた。
「ユマークさん!? 右十時の方角からホップラビットが二体来ます。」
風に揺れる草花の音を切り裂くように、ナンナの声が飛ぶ。
《遠視》で捉えた先には、二羽のホップラビットが草を蹴っていた。
「やっと、おいでなすったわね。あまりに静かだったから退屈してたのよ。」
ナンナの告げた方角へと身体を向けたアイリは静かに大剣を構えた。
「じゃあ、そいつらを狩ったら戻るとしようか。」
僕は手綱を軽く操り、アルクを前へ促した。
「アイリ! 十分引きつけてからだよ。」
「了解!!」
ホップラビットが草を蹴り、一直線に駆けてくる。
十分に間合いへ飛び込んだ、その瞬間――
アイリの大剣が、ホップラビット目掛けて弧を描く。
鈍い衝撃音とともに、一体目のホップラビットは勢いよく吹き飛んだ。
間髪入れず、僕は馬上から短槍を突き込んで、穂先は残る一体の胸を深々と貫いた。
二体の断末魔は、草原の静寂に溶けるように消えていった。
――
僕たちが狩りを終え、街へ戻った頃には、陽はすでに天頂へと昇っていた。
「さて、一度酒場に戻ってアルクを休ませたら、マルシェへ行こうか。」
「いいねぇ。」
僕の提案に、アイリは無邪気な笑顔を見せる。
――その一方で、ナンナは胸の前で指先をもじもじと絡ませ、どこか落ち着かない様子で俯いていた。
「どうした?」
「えっと……ですね、」
「アルセリオンさん、明日にはまた、圏外に出発するみたいなんです。だから……。」
「うんうん、それじゃアルくんも誘おうよ。」
「アルくん!?」
ナンナは思わず声を上げた。
私だって……まだ渾名で呼んだことないのに。
まるで、そんな不満を訴えているような恨めしそうな顔をしている。
「……?」
きょとんとするアイリを前に、ナンナは慌てて視線を逸らした。
「え〜っと、それで……。肝心のアルセリオンはどこにいるんだ?」
僕は咳払いを一つ。
ナンナには貸しを作る形となった。
「あっ、それなら――」
ナンナの顔がパッと明るくなった。
「昨日、蚤の市に行くって言ってました。」
「蚤の市? じゃあ、アルくん探しながら見て回れるじゃん!」
アイリは楽しそうに僕の袖を引いた。
「ね、早く行こうよ!」
「…… ……。」
ナンナは唇をきゅっと結び、ほんの少しだけ視線を落とした。
「……近いな。じゃあ、そこへ行ってみようか。」
「はい!」
――
蚤の市は相変わらずの賑わいだった。
だが、その中でも店によって混雑具合には差がある。
ターバン男が営む武器屋の前には、多くの人だかりができていた。
一方、バルドのパティスリーはというと、カルダモンロールを選ぶ客が一人いるだけだった。
「やあ、バルド。相変わらずの大盛況だな。」
《ギロリ》
バルドの視線が突き刺さる。
昔からの馴染みの軽い冗談だったはずなのに、今日はそれも通じない。
「え〜っと。いや、赤髪の少年を見なかったか……?」
何故か隣から執拗な視線が突き刺さる。
「「あっ!」」
パティスリー唯一の客は、アルセリオンだった。
「何してるんだ?」
「なにって……、ナンナにはいつも世話になってるから、甘い物でもと思って……。」
「えっ!」
ナンナの顔がみるみる赤く染まっていく。
「へぇ〜。ナンナに?」
アイリは興味深そうにカルダモンロールを覗き込んだ。
「どれどれ。私も食べていい?」
「えっ、あ……はい……。」
ナンナは赤い顔のまま、カルダモンロールを差し出した。
「…… ……。」
僕は黙って二人を眺めていた。
陽は次第に傾き、石畳に映る四人の影が徐々に伸びていく。
蚤の市やマルシェでの買い物を終えた僕たちは噴水広場へと向かっていた。
「次は……いつ頃、戻られる予定ですか?」
ナンナはそう尋ねながら、アルセリオンの顔をまっすぐ見ることができず、視線を足元へと落としていた。
「あっ、うん。今、圏外拠点になりそうなところを探してるんだ。」
「だから、しばらくは戻らない。一ヶ月か、それとも二ヶ月か……。」
「はい……。」
ナンナの声に力なく、その一言を発するので精一杯だった。
「えっ、圏外拠点? それだったら……。」
そう言いかけたアイリを、僕はそっと目で制した。
その話は、軽々しく口にするべきじゃない。
目的は同じ。
だけど、アルクに乗れるのは二人まで……。
普通考えれば、アルセリオンがアイリと組めば攻略の道は大きく開ける。
だが、今はまだ分からないことが多すぎる。
アルクに乗れば、本当に魔物は寄ってこないのか――
圏外拠点なんて、本当に存在するのか――
そもそも、ミルズガルズへ架かる虹の橋は実在するのか――
危険を冒して進んだ先に待っているものが必ずしも成功とは限らない。
だから、ナンナには悪いと思いながらも、今すぐアルセリオンと組んで攻略を進めるより、色々な角度から道を探した方が、みんなにとって益になる。
まぁ……、
結局のところ、僕は誰かを『切り捨てる選択』から逃げる理由を探しているだけなのかもしれないのだが……。
そんな僕を、アイリは不思議そうに首を傾げて見ていた。
その時だった。
噴水広場の中央から、甲高い音が響いた。
――プァン。
一度。
間を置いて、もう一度。
――プァン、プァン。
街の喧騒を切り裂くような長い角笛の音に行き交う人々は思わず足を止めた。
「何だ……?」
「あれは……?」
ざわめきが広場へ集まり始めていた。
まるで、これから何か重要な出来事が始まることを告げるように。
この感覚には覚えがある。
――あの日。
僕たちが、この世界から帰れないと知った夜と同じだった。
僕の胸に、言いようのない不安が込み上げる。
それは隣にいる二人も同じだった。
アイリは落ち着かない様子で何度も周囲へ視線を走らせ、ナンナは小さな肩を震わせていた。
「ユマーク! 行くぞ。」
迷いに沈みかけた僕を引き戻すように、アルセリオンの声が響いた。
「あ、あぁ……。」
掠れた声で答えた僕は、二人に視線を向けて小さく頷いた。
まだ胸の奥に残る不安を抱えたまま――
僕たちは噴水広場へ向かって走り出した。
噴水広場には、すでに多くの人が集まっていた。
その中心には、急ごしらえの壇上が設けられている。
そこに一人の騎士が立っていた。
青い長髪と白銀のブレストプレート。
背筋を伸ばした姿勢と揺るぎない眼差し。
見間違えるはずもない。
――シオン。
彼女は集まった人々を静かに見渡すと、ゆっくりと口を開いた。
「皆さんに、伝えたいことがあります。」




