第四十話 鴉の策略、その先に
「……なんですか?」
「いや、なんでも……。」
ガルドのニヤニヤが止まらない。
一先ず、『霧影の盟約』を退けた三人はアルセリオンの空腹を満たすため、酒場『斧と杯』に向かっていた。
だが、今日のナンナはどこか落ち着きがない。
歩調が合って肩が触れそうになると、ナンナはそっと半歩だけ離れる。
それでも――
しばらくすると、また自然とアルセリオンの隣を歩いている。
(若いねぇ……。)
思わず、そんな言葉が喉まで込み上げる。
ガルドは笑いを堪えるのに必死だった。
「ところで……、」
ガルドの視線は気になるところだが、それよりもナンナには酒場に着くまでにどうしても解決しておきたいことがあった。
「……《霧影の盟約》は何故、このタイミングで揉め事を起こしたのでしょうか?」
今回の事件は分からないことが多い。
《霧影の盟約》はどうやって、プレイヤーキルを成立させたのか。
そして何故、このタイミングだったのか……。
こんな時、ユマークなら持ち前の頭の回転の速さで答えに辿り着くのだろう。
けれど、ナンナにはまだそこまで考えが及ばない。
だからこそ、考えなければならない。
いつまでもユマークの背中を追いかけるだけではいけない。
ラビットハンターの一員として、自分の力で答えを見つけなければならなかった。
「そんなのどうせ、『魔が差した』とかそんなもんだろう。喧嘩なんて、だいたいそういうもんだ。」
ガルドは肩を竦めながら、ぼそりと呟いた。
「……本当に、それだけだろうか。」
アルセリオンはそう呟くと、小さく息を吐いた。
噴水広場へと続く石畳に、三つの影が並ぶ。
沈黙だけが、その間を流れていた。
「何か引っ掛かるんだね?」
アルセリオンはナンナへ視線を向ける。
「はい。そもそも、そんな短絡的にPKが成立するものなのでしょうか?」
ナンナは少し考え込むように俯き、再び口を開いた。
「運営は、PKみたいなゲームバランスに関わる部分だけは、妙なくらい厳しかった気がするんです。」
「つまり、これは計画的に仕組まれた……と。」
アルセリオンは眉をひそめた。
「なるほど。『黄昏の航路』への腹いせってことか。」
ガルドは腕を組みながら頷いた。
「いいえ。それは違うと思います。」
顔を上げたナンナは、真っ直ぐガルドを見つめた。
「後々、自分たちが不利になるような行動に出るでしょうか?」
「嫌がらせが目的なら、これまで通り姿を隠したまま襲えば良かったはずです。」
「つまり、《霧影の盟約》には、あえて姿を見せてまで事を起こさなければならない理由があった……。」
アルセリオンがそう口にした――その瞬間。
「きゃあぁぁぁ!」
噴水広場に悲鳴が響き渡り、三人は一斉に振り返った。
視線の先では、黒煙が勢いよく立ち上っている。
「なんだ、ありゃ!!」
目を見開いたガルドは、反射的に盾へ手を伸ばした。
「今度は何だ?」
その声さえ掻き消されそうなほど、広場は混乱に包まれていた。
「君の読みは正しかったようだね。」
アルセリオンはそう言って、ナンナへ視線を向ける。
ナンナは黒煙の立ち上る方角を見据えたまま、動かない。
――北。
黒煙が上がる場所など、一つしかない。
「礼拝堂!!」
ナンナは弾かれたように叫んだ。
「あの人たちの狙いは、『黄昏の航路』の壊滅です!!」
「礼拝堂だな。よし、急ぐぞ!」
アルセリオンの声を合図に、三人は北門近くの礼拝堂へ向かって駆け出した。
脚が鉛のように重い。
息は上がり、一歩踏み出すたびに肺が焼けるようだった。
それでも、アルセリオンは走る速度をほんのわずかに緩め、時折こちらを振り返ってくれる。
置いていかない。
その想いが伝わるだけで、ナンナはもう一歩前へ踏み出せた。
もうすぐ北門――
礼拝堂はすぐそこだ。
黒煙は、間違いなくその方角から立ち上っている。
「う、うそ……。」
《遠視》スキルでいち早く、先を見通せたナンナは思わず足を止めた。
小高い丘にそびえる礼拝堂。
飾り気ひとつない白亜の建物の周囲には、地に伏して動かなくなった無数のプレイヤーたち。
そして、その亡骸へ群がる数羽の鴉。
勝敗はすでに決していた。
あれほど騒がしかったはずの場所には、不気味な静けさだけが落ちている。
そして今は、その静寂さえ立ち上る黒煙に喰らい尽くされていた。
「なんてことを……。」
ナンナの声は震えていた。
握り締めようとした拳は、怒りと動揺で思うように力が入らない。
「おい!」
ガルドは燃え盛る礼拝堂を指差した。
窓という窓から炎が噴き出し、黒煙が空へと立ち昇る。
その煙の向こうに、数人の人影がかすかに揺れていた。
「何故、逃げないの?」
「逃げないんじゃない。逃げられないんだ。」
アルセリオンは鴉に視線を落とした。
「礼拝堂に留まれば炎、逃げれば鴉。どれを選んでも結果は同じということだ。」
アルセリオンは苦々しく呟く。
「直接手を下さなければ、レッドタグは灯らない……。最初から、それが狙いだったのか。」
「助けなきゃ!」
ナンナは反射的に弓を構えた。
弦がギシリと軋み、矢尻が地に降りた鴉を捉える。
「待て!」
ガルドの腕が、ナンナの前へ勢いよく伸びた。
「威嚇程度じゃ鴉は動じねぇ。外せば意味がないし、当てりゃ嬢ちゃんがレッドタグになるかもしれねぇ。」
「ああ、その通りだ。」
アルセリオンも頷く。
「ここは圏内、僕たちの攻撃は通らないと言われてる。だから、それを確かめようなんて誰も考えなかった。」
アルセリオンは礼拝堂の周囲に横たわる亡骸へ視線を落とした。
「……その常識を覆してみせたのが、《霧影の盟約》というわけか。」
「どういうカラクリか分からない以上、軽々しく手を出すべきじゃない。」
アルセリオンは苦々しく唇を噛んだ。
「くっ!それじゃ、俺が吹っ飛ばしてやる!それなら死にはしないだろ。」
「君の《盾衝》は強力だ。だが、あの距離じゃ当たる前に散開される。」
「でも、このまま見てるだけなんて……、私には出来ない!」
アルセリオンは目を閉じて小さく頷いた。
「……だから、僕が行く。僕なら、たとえレッドタグが付いても構わない。」
「ダメですよ……、そんなの。」
三人の思考を遮るように、礼拝堂から悲鳴が響き続ける。
アルセリオンは剣の柄へ手を添え、静かに腰を落とす。
「ダメ……。」
ナンナは思わずその背へ手を伸ばし、震える声で続けた。
「行かないで……ください。」
アルセリオンは振り返ると、ナンナを安心させるように微笑んだ。
「ガルドさん、後は頼みました……。」
アルセリオンがそう言い終えた瞬間――
――ドドドドドッ!!
突如、石畳を震わせる重い蹄の音が辺りに響き渡った。
その音とともに砂埃が一直線に礼拝堂へと迫っていく。
「う、うそ……。」
ナンナは思わず息を呑んだ。
瞳には、安堵とも驚きともつかない涙が滲む。
「うぉぉぉっ!」
重い蹄の轟きに似合わない、情けないほど必死な叫び声が響く。
そして、砂煙を切り裂くように、一騎の人馬が駆けてきた。
手にした短槍をぐるぐると振り回しながら――
「ユマークさん! アイリさん!」
ナンナの声に応えることもなく、アイリは疾走する馬の背から軽やかに飛び降りた。
着地と同時に駆け出した彼女はそのまま燃え盛る礼拝堂の中へと消えていった。
ユマークもその姿を見届けると、馬首を巡らせ、鴉たちを牽制するように礼拝堂の周囲を駆け回り始めた。
「今だ! 俺たちもお嬢に続くぞ!」
ガルドの雄叫びが響く。
その背中を追うように、アルセリオンとナンナも一斉に駆け出し、次々と礼拝堂の中へ消えていった。
「くっそ!」
鴉たちが忌々しげに吐き捨てる。
ユマークは意にも介さず、なおも馬を駆り続けた。
一羽でも多く、自分へ引きつけること――それが今の役目だった。
礼拝堂からは次々と負傷者が運び出されていた。
ガルドが盾で崩れかけた瓦礫を押し退け、アルセリオンが負傷者を外へ運び出す。
ナンナは《遠視》で煙の奥を見通し、取り残された者を探し続けていた。
そして――
アイリは誰よりも奥へ進んでいた。
炎に包まれた礼拝堂の中で、まだ動けずにいる者を見つけるたび、迷うことなく手を伸ばす。
やがて――
最後の一人が礼拝堂から運び出された。
「……もう十分だ。」
その声に、ユマークは馬上から振り返った。
今にも零れ落ちそうなナンナの笑顔。
それを見て、ユマークもようやく安堵の息を吐いた。
「くっそが――」
その視線の先には、馬上のユマーク。
次の瞬間、黒装束の影が地を蹴った。
短剣を逆手に構え、一直線にユマークの背へ迫る。そして、一筋の剣閃が煌めいた。
しかし――
甲高い金属音が辺りに響いた。
ユマークへ届くはずだった刃は、横から叩き払われてしまった。
振り抜かれた大剣。
アイリの一撃によって、短剣だけが宙を舞った。
羽をもがれた鴉は、地に伏せたまま動けなくなっていた。
僕は視線を上げると、そこには大剣を構えたアイリが立っていた。いつもの仮面の奥から覗く瞳は、静かにこちらを見つめている。
その姿に僕もようやく胸の奥に張り詰めていたものがほどけた気がした。
「ありがとっ。」
僕の言葉にアイリは少しだけ口元を緩めた。
「アイリさん! ありがとうございました。」
涙を浮かべたナンナが、そのままアイリへ抱きつく。
突然のことに、アイリは少しだけ目を丸くした。
けれど――
すぐに優しくナンナの頭へ手を置く。
「よしよし。よく頑張ったね。」
その声は、いつもの戦闘中の鋭さとは違う。 まるで姉が妹を労るような、穏やかなものだった。
「兄貴……。」
隣で、ガルドの掠れた声が漏れた。
その視線の先にあったのは、傷だらけの無骨な兜。
その兜には、いくつもの傷が刻まれていた。
どれだけの戦場を共に越えてきたのか、それだけで分かるような傷だった。
ガルドは、その場から動けなかった。
やがて膝をつき、兜を抱えるようにして蹲った。
溢れ出した感情は、僕たちが簡単に理解できるものではない。
だからこそ、誰も声を掛けることは出来ない。今はただ、静かにその背中を見守ることしか出来なかった。
「さて、これからどうするか……。」
僕は静かに羽を項垂れた鴉たちへと視線を向けた。
――プレイヤーキル。
こいつらをこのまま野放しにするわけにもいかない。
この世界で人を殺した者たちを、どう扱えばいいのか。
僕たちには、その答えが分からなかった。
そんな時……、
一羽の鴉が、地に伏したまま口元を歪めた。
まるで、まだ終わっていないと言わんばかりに。
――その直後。
遠くから、複数の足音が響いた。
一糸乱れぬ、規則正しい歩調。
それは戦場へ向かう兵士たちのような、迷いのない足取りだった。
「君たちは……。」
そこに立っていたのは白いブレストプレートに身を包んだ女騎士。
――シオン。




