第四話 放っておけない
「……朝帰りしちゃったみたいで、なんか照れるね!」
「…… ……。」
色彩豊かな果実や籠いっぱいに積まれた焼き立ての丸パン、車輪みたいに大きなチーズに吊るされた燻製肉や腸詰め――通りを挟むように並んだ食材はどれも食欲をそそるいい匂い。
――ここはマルシェ。朝日が昇ると同時に開かれるそれは腹をすかした冒険者の胃袋を満たす重要な場所である。
以前なら、体力の減り具合が訪れるかどうかの基準だったが、昨日からは空腹の度合いも加味される仕様となってしまった。
それにしてもアイリは朝から上機嫌だった。湯気や匂いの立ちのぼるこの通りに差し掛かってからはその色がより濃くなっていた。
ただ、朝からそんな調子なので、食材を選んでいてもどうにも集中できない。
「おばちゃん、これ頂戴。」
「あいよ、じゃあ百ゼルね。」
丸パン一個の値段――ここの物価は意外と高い。以前から潜っているので、多少の蓄えはあるつもりだ。それでもこれからの事を考えると何とも心許ない。
だが、アイリに至っては五本の指で足るほどの経験しかないらしいので僕よりもある意味、深刻だ。
「これっ、噛めば噛むほど……んぐっ、味がある。」
(か、かたい。百ゼルでこれ……? そう考えると昨日のあれは――超レアアイテムだったんだな。)
昨日は片っ端から虱潰し、ローラー作戦とも言うべき勢いで宿を探し回った。
だが、二部屋確保したまま宿屋暮らしを続けるのは、いくらなんでも厳しい。
今思えば、少し無謀だったのかもしれない。
他人の財布を当てにする気はない。そんな都合のいい話を期待できるほど、甘くもなかった。
……こうなると、昨日の夜はもう少し強く主張しておくべきだったのでは、とも思えてくる。
「なによ?」
「いや、別に……。」
取り敢えず、マルシェ通りの端から端まで見回ってみたが、差し当たって目新しい発見は無く、そのまま足を伸ばして広場の方へ抜けた。
――ここも同じか。
昨日は群衆で埋め尽くされたこの場所も今は疎ら。祭りの後の静けさとでも言うのであろうか、実に閑散としていた。
漏れ聞こえた話では既に何人かのグループはこの街を出たらしい。行く宛など無いだろうが、ここに留まるよりはマシと判断してのことだろう。
広場の木陰で項垂れる何人かの同胞……。
――行かなきゃいけないのは分かる。
――このままじゃ駄目なのも分かる。
でも、外へ出る想像をしたら身体が拒否して、動けない――そんなところか。
恐怖に打ち勝てなかった者はその瞬間、プレイヤーでは無くなる。これから彼らがどうするべきか、結論が出るにはもう少しかかりそうだ。
これをアイリがどう見ているか、不安がよぎる。――無茶しなければ良いのだが。
「これからどうしよっか?」
「そうだなぁ。資金も大切だけどまずは情報収集かな。何も分からないんじゃあ、奴の思うツボだ。」
「またぁ、そんな悠長なこと言ってたら、いつまでたっても……、あれっ?」
アイリの視線が向けられた先――そこには雑貨屋らしきNPCに何度も話しかける一人の少女。どうやら道を尋ねているようなのだが……。
「いらっしゃい、今日はどれにする?」
「あの……、だからさっきから何度も言ってるんですけど、出口はどっちですか?私、早く帰りたいんですけど。」
「いらっしゃい、今日はどれにする?」
「はぁ?あなた、ふざけるのも大概に……。」
次第に――
声は大きく、口調も荒々しくなっていく。
「いらっしゃい、今日はどれにする?」
「…… ……。」
(やれやれ、この子は初めてだな……。)
NPCは決められた《アルゴリズム》に従って動く。雑貨屋に道を尋ねたところで、返ってくる言葉なんて最初から決まっている。
――いくらユグドラシルでも、そこまで完璧じゃない。
「行くのか……。」
「……放っておけない。」
そう言って少女の元へ駆け寄ったアイリ。
会話の内容までは分からなかったけれど、怖がらせまいと見せたとびきりの笑顔に目線を合わせて話す仕草――どれをとっても申し分なく、どの世界でも称賛されるべき人柄だ。
――本来なら、それでいい。
こと、この世界においては人手は貴重だ。
恩を売っておけば、あとで役に立つこともあるだろう。 ――けれど、あの子は明らかにビギナーだ。
NPCに道を尋ね続ける時点で、この世界の理すら理解していない。そんな相手を連れて歩けば下手をすればこちらまで危険に晒される。
ここから先は、“誰を助けるか”すら慎重に選ばなければならない。――そんな打算が真っ先に浮かぶ時点で、たぶん僕はもう、この世界に毒され始めている。
――でも、ここはそういう世界なんだ。
……だから、本当に危ういのはアイリ――君の方だ。
(……優しいだけじゃ、正しいだけじゃ、きっと生き残れないんだよ。)
《明るく弾むような声》
この殺伐とした空気の中では、それだけで妙に浮いて聞こえた。
だが、最初は遠くで聞こえたその声も、徐々に近くなり、やがてはっきりと耳に届くようになると、いよいよ僕も覚悟を決めるしかなくなった。
視線の先にはアイリと見知らぬ少女。
――まるで本当の姉妹みたいに、自然に手を繋いでいる。
「ねぇ、ユマーク。この子、一人で困ってるんだって。一緒に連れて行っても良いよね?」
伏し目がちに佇む少女。手には空の紙袋をぎゅっと握ったまま、落ち着かなさげに視線を彷徨わせている。
「あぁ……。」
僕は結局、その言葉を振り払うことが出来なかった。
優しさだけでは生き残れない。そんなふうに割り切ったつもりでいたのに――。
……本当に分かっていなかったのは、僕の方なのかもしれない。
◇
朝晩は両肩がゾワゾワするほど冷えるくせに、日が昇れば今度は背中がジリジリと焼けるように暑い。
この気象設定の再現度は、流石と言うほかなかった。
――だったら、なんで先ほどのNPCはあんなに雑だったのか。そう言えば、昨日の宿屋店主風のNPCも、人の足元を見るみたいに宿代を釣り上げていた。
イベントに対する運営の熱意なのか。
それとも、こうなる事を見越した上での設定だったのか。だとしたら、この監禁事件の首謀者はとんでもなく性格が悪い。
そんな事を考えながら、僕たちは少し早めの昼食を摂ることにした。
用意したのは、さっき買った丸パン三つと燻製肉。今日は僕の奢りだ。
アイリは朝と同じメニューなのが不満らしく、露骨に唇を尖らせている。だが、もう一人の少女は満更でも無さそうだった。
風になびく金髪のツインテールが如何にも初心者然としている少女――ナンナ。
昨晩から何も食べていなかったらしく、丸パンに夢中でかぶりついている。
朝も奢ると言ったのに、その時は頑なに拒んでいた。けれど、流石に腹の虫も限界だったらしい。
「ねぇ、ユマーク。これから……、どうするつもり?」
「そうだな……セオリー通りなら、まずは狩りでレベルを上げるのが先かな。ついでにゼルも稼げるし。ある程度貯まったら適当な物件でも買って拠点にする。……まあ、まずはそこからだろ。」
「……狩り?」
ナンナはパンを頬張りながら小さく繰り返す。その響きは、ゲーム用語を知らないというより、“本当に獣を狩る”みたいな想像をした子供っぽさがあった――まぁ、想定内だ。
「そうね、いつまでも野宿ってわけにはいかないものね。」
――今日のアイリは何処か違う。
いつもなら《そんな悠長なこと言ってられないでしょ》と急かしてきそうなものだが、今日はやけに大人しい。
ナンナを危険な目には合わせられない――そんなところか。
「ナンナ。私たちは今から危険なところに行くの。ゲームであっても決して遊びじゃない。それでもついてくる?」
アイリはナンナの目線に合わせるようにしゃがみ込んで話しかける。先ほども見かけたはずなのに今は少し違う。
怖がらせまいとする感情に何かを諭す感情とが入り混じる。それが妙に板についている。
――年の離れた妹でもいたのだろうか。
「う、うん。」
アイリの鋭い視線に、その少女は一瞬たじろぐ。
――これは必要だ。
分からないことが多い今は、ほんの僅かな油断ひとつで生存率が大きく変わる。
だが同時に、その言葉は自分自身へ言い聞かせているようでもあった。
(案外、ナンナの存在は大きかったかも知れないな。)
その様子を見ていると、不意に胸の奥がざわついた。――そう言えば僕も昔、こんな風に誰かの前に立っていた気がする。
「よし、決まりだな。それじゃ、暗くならないうちにとっとと行くとしようか。」




