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最適解では生きられない ――正しさを捨てられない君と、選び続ける僕の話  作者: 希主果
第一章 ラビットハンター

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第三話 夜と朝の境界線

 「ここも駄目だった……。」


 「そっか。」


 夜明け前。  

 街はすっかり静まり返っていた。  

 さっきまでの喧騒が嘘みたいに、何もかもが落ち着きを取り戻している。――それなのに、僕たちだけはそうなれなかった。


 ――宿がない。


 盲点だった。  

 延々と続く切妻屋根の街。その一軒一軒すべてに「所有権」が設定されていて、勝手に入ることができない。試してみたが、どの扉も例外なく閉ざされていた。

 どうやら、その権利自体は売買できるらしい。だが、肝心の仲介業者はNPCのくせに夢の中なのだという。  

 つまり今、この街で雨風を凌げるかどうかは、宿を確保できるかにかかっていた。

 だが――それが何より難しい。


 この仕様に気づいたプレイヤーたちは、広場から一斉に宿へ雪崩れ込んだ。  

 街はまるで観光シーズンのような混乱に包まれ、飛び交う怒号と焦燥。挙げ句の果てには、宿代を吊り上げて転売を始める者まで現れる始末だ。

 普段はテレビの向こう側で眺めていたような光景を、まさか自分が体感するなんて思ってもいなかった。


 そして何より不気味だったのは、NPCたちの反応が妙に生々しいことだ。


 ――怯えた顔で値段を釣り上げる者

 ――困り果てたように謝り続ける者


 まるで、本当にこの街で暮らしている人間のようだった。


 その喧騒も、やがて街中に「満室」の札が並び始めると、ようやく収束へと向かっていった。

 諦めきれない何人かのプレイヤーは尚も扉を叩いていたが、返ってくるのは無機質な施錠音だけ。  

 石畳には座り込むプレイヤーの姿も見え始める頃には、誰も彼もさっきまでの勢いを失っていった。


 「それにしても、みんな逞しいよな。」


 「逞しいっていうか……まだ現実感がないんだと思う。」


 アイリは閉ざされた宿屋の扉を見つめたまま、小さく肩を竦める。


 「きっとみんな、修学旅行みたいな非現実感に酔ってるだけ。」


 乾いた沈黙に包まれる――


 「……だって普通、“ログアウトできません”って言われたら、まず寝床の心配なんてしないでしょ。」


 たしかに、その通りだ。

 ――返す言葉もない。


 真っ先に浮かんだのは、帰る方法じゃない。

 これからどう過ごしていくか――そんな事だった。石畳に座り込むプレイヤーたちを笑えない、僕も奴らと何ら変わらない。

 そして、心のどこかで、まだ願っている。

 《これは夢なんじゃないか》――と。


 だが、アイリは違った。

 仮想世界に潜る人間は、多かれ少なかれ現実に居場所を失っていて、けれど彼女には最初からそれを感じなかった。

 この世界にいながら、今もなお現実から目を逸らしておらず、ここを“新しいの居場所”として受け入れようとしない。

 たぶん、彼女はそういう数少ない人間だ。

 ――だからこそ、危うく見える。


 現実へ帰れないという事実を、誰よりまともに受け止めている。


 こんな状況だ。無理もない。

 ――そう頭では分かっている。


 それでも、アンドフリームニルの料理に舌鼓を打っていた頃とは、明らかに雰囲気が違った。

 張り詰めた糸が、ギシギシと軋んでいるかのようで、 あと少しだけ力を加えれば、そのまま切れてしまいそう……。


 「……仕方ないか。」


 ユマークが指差した先。

 それは、石畳の通りを抜けた先にある大きな円形の噴水だった。

 そこにも行き場を失ったプレイヤーたちが、縁にもたれかかるようにして眠っている。さっきまで宿を奪い合っていた喧騒は消え、誰もが電池の切れた人形みたいに動かなくなっていた。

 ――そんな中、その一角だけがぽっかりと空いていた。ここはまだ、誰にも取られていない。


 迷わず歩き出すユマーク。そして――

 アイリも黙ったまま、その背中を追いかけた。


 《――案外悪くない。》

 中央で弾ける柔らかな水飛沫へつい目を奪われがちだが、滑らかな曲線を描く石造りの縁は思ったより座りやすい。周囲を囲む低い垣根も程よい目隠しになっていて、身を休めるには十分だ。

 二人はようやく見つけたその居場所に腰を下ろし、疲れ切った身体を預け事にした。ひんやりとした白い石の感触が熱を持った身体に何とも心地いい。

 ――仕方なく選んだにしては、上出来だ……。


 広場には噴水から流れ落ちる水音が静かに響き、口を開く気力もない僕たちはそれをただぼんやりと眺めていた。

 夜明け前に加えて、薄っすら舞う水飛沫のせいで空気はひんやりとしていたが、不思議と悪くなかった。


 「……ねぇ。」


 意外にも最初に声を発したのはアイリだった。少し整理できたのだろうか、本調子とはいかないまでも幾分穏やかな顔に戻っていた。


 「ん?」


 「みんな、案外すぐ寝ちゃうんだね。」


 「そりゃ、疲れたんだろ。」


 「……うん。でも。」


 アイリは眠るプレイヤーたちを眺めたまま、小さく目を細める。


 「普通、もっと怖がると思ってた。」


 きっと、これは彼女の本心だ。

 おそらくこの数時間、ずっと一人で耐えてきたんだろう。


 「……外さないのか?」


 舞踏会の時からつけている、黒いスエード製のコロンビーナタイプの仮面。  

 華美になり過ぎない程度に小さな宝石が散りばめられたそれを、彼女は今も大事そうに身につけていた。

 あの場では単なるドレスコードの一部だと思っていたから、僕は終わるなりすぐ外してしまったけれど、どうやらアイリにとっては違うらしい。


 「まだいい。」


 何気ないつもりだった。

 けれど、その問いにアイリはほんの少し視線を逸らし、答える表情も心なしか硬い。


 「…… ……。」


 ――しまった。

 触れてほしくない話題だったのか。白み始めていた空気が、また少しだけ遠のいた気がした。


 「……ありがとね。」


 もう、話してくれないんじゃないかと覚悟していたが、不意に言われたその言葉に僕は思わず顔を上げた。


 「舞踏会の時、君が手を取ってくれたから。」


 全く、この子には何度も驚かされる。

 あの時、困っていた僕を助けてくれたのは……。荒んだ自分を救ってくれたのは、紛れもなく君だ。


 「……なんで。あの時、助けてくれたの?」


 「……わかんない。」


 アイリは少しだけ間を置いてから、小さく続けた。


 「でも、あのまま踊ってるの、なんか嫌だったから。」


 「……そっか。」


 短い沈黙が落ちる。

 静まり返った広場に、噴水の水音だけが静かに響いていた。


 「そう言えばさ、最後に出たりんごのコンポート。あれ、美味かったよな。」


 急な話題転換に、アイリはきょとんと目を瞬かせる。

 けれど、この話題は嫌いじゃなかったらしい。


 「え〜、あそこは絶対シナモンロールでしょ。リンゴンベリーソースとのバランスが絶妙だったんだから。」


 「おいおい、何言ってんだよ。リンゴンベリーがかかってたのはコンポートの方だろ。」


 「あっ、違う違う。正しくはバニラアイスに、ね。」


 「え〜っ、そうだったかしら?」


 わざとらしく首を傾げたあと、アイリは肩を竦めて笑う。


 「まっ、美味しかったんだから、それで良いのよ。」


 「それより、私のチョイス良かったでしょ。」


 「最高!」


 気付けば、人目も憚らず笑っていた。

《寝かせろ……》なんて声まで聞こえてきたけど、むしろそれが余計に笑いを誘った。


 「あっ、見て!」


 今度は、アイリが空へ向かって指を伸ばした。

 地平線の遥か向こう――夜と朝の境界線みたいな場所が、ほんの僅かに赤く染まり始めていた。


 「……あ。」


 思わず、声が漏れた。

 ――次の瞬間


 世界の端から、金色の光がゆっくりと滲み出し、暗闇を押し上げるみたいに朝日が姿を現した。

 白い石畳は淡く輝き、噴水の水面はきらきらと光を跳ね返す。眠り込んでいたプレイヤーたちの影も、長く静かに伸びていった。


 夜が終わる――

 たったそれだけのことなのに、胸の奥が妙にざわついた。

 あまりにも綺麗だったからか。

 それとも、この世界にもちゃんと朝が来るのだと思ってしまったからか。


 どちらにしても――。

 隣でアイリが笑っている。

 少なくとも今だけは、そんなに悪い夜じゃないと思えた。

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