第二話 ログアウト不能
「あんた、結局のところ、考え過ぎなのよ」
テーブルいっぱいに並んだ料理に舌鼓を打ちながら、彼女はそう言い放った。――どうやら、いつの間にか反省会が始まっているらしい。
仮面は相変わらず外さないままだが、コロンビーナタイプらしく口元はしっかり開いている。食事に不便はなさそうだ。
それよりも――
「……楽しんでるところ悪いんだけど、それ何?」
「何って? ……うーん、何だろ?」
綺麗な皿に盛られた、色彩豊かな食材の数々。さすがはユグドラシルだ――並のゲームとは、解像度ひとつ取っても段違いだ。
ただ、その精密さゆえに、モチーフとなった食材の中には、いわゆる“ゲテモノ”と呼ばれる類まで、妙に生々しく再現されている。
そして今、彼女のフォークが向かっているそれは――。
……とてもじゃないが、僕には手を出す気になれない代物だった。
今回の舞踏会のクリア報酬は、この街一番の高級レストラン――アンドフリームニルのディナーペアチケット。
正直、VRMMOの報酬としては扱いに困る。実際、多くのプレイヤーは迷わず換金を選んだらしい。店の格を考えれば、それなりの値もつくのだろう。
僕も、その一人になるはずだった。
――強く、そう進言したはずだったのだが。
「貸し切り、だってさ」
目の前の“功労者”は、悪びれもなくそう言って、次の一品に手を伸ばす。
……結果として僕は今、場違いなほど豪華なディナーに付き合わされている。
「君こそ、もう少し考えた方が……。あっ」
軽く乾いた音が弾けた。
彼女はフォークを咥えたまま、満足げに目を細めている。どうやら、相当気に入ったらしい。
「ん〜、なに?」
口いっぱいに頬張ったまま、間延びした声が返ってくる。
「いや、何でもない……」
「あっそ……。あ、そういえば——まだ名前言ってなかったよね」
思い出したようにフォークを抜き、彼女は小さく笑った。
「私は相沢愛良。よろしくね」
「相沢……って、それ、本名?」
「えっ!? あっ、ちが——いや、うそ、っていうか……」
一瞬だけ視線が泳ぐ。
「えぇ……と、嘘でもないんだけど。まぁ、ここでは“アイリ”でいいよ」
「あぁ……。僕はユマークだ。よろしく」
「ユマくんだね。こちらこそ、よろしく。」
会話を遮るように、執事の衣装を纏ったNPCが空になったメイン皿を静かに下げる。入れ替わるように、最後のデザートが運ばれてきた。
――リンゴンベリーソースをかけたバニラアイスに、シナモン風味のりんごのコンポート。
――ホワイトチョコのムースには、ブルーベリーとラズベリーがたっぷりと盛られたグラスデザート。
さらに――カルダモンがほのかに香る小ぶりのシナモンロールには、ベリーとサワークリームが添えられている。
どれも甘さの中に心地よい酸味を感じさせる香りで、アイリのテンションは一気に頂点まで跳ね上がった。
――だが、量が多い。どう考えても、食後に出てくる分量ではない。
「なぁ、アイリ。ちょっと聞いていいか。」
「ふぁに?」
頬張ったままの声。いつもと同じはずなのに、少しだけ不機嫌そうにも聞こえる。
「あっ……いや、やっぱいい。」
「なによ、それ。気になるじゃない?遠慮しないで言ってみなさいよ。スリーサイズ以外なら答えてあげるわ。ちなみに彼氏は募集中。」
(……そんなこと聞いてない。というかこの子、距離の詰め方が雑すぎるだろ。)
「いや、なんでアイリはあのチケットを換金しなかったんだ?売ればそれなりの資金になったはずだし、このイベントだって時間は限られてる。あれ以外にも色々あったのに、結局ほとんど参加できてないだろ。」
「あれ?もしかして、この料理、気に入らなかった?」
食い気味に被せてくる。わざとらしいほどの話題転換だった。
「いや、普通に美味かったよ……って、そうじゃなくて。今後のことを考えると、ちょっともったいないなって思っただけだ。」
「……そっか。ごめんね、無理やり付き合わせちゃって。」
声音が、少しだけ落ちる。
けれどそれも、次の瞬間には――
「でもさ、ほら。こういうのって“今”しか味わえないじゃない?」
軽い調子に戻っていた。
――笑っている、いつも通りに。
けれど、その奥にあるものまでは読み取れない。
「いや、責めてるわけじゃない。ただ……なんていうか、今しか見てない感じがしてさ。危なっかしいというか、目が離せないというか。」
「なにそれ。もしかして、私に惚れちゃった?」
間髪入れずに被せてくる。
さっきまでの空気を、無かったことにするつもりか。
「は?」
「そういうのはね、もう少しお互いのことを知ってから言うものよ?」
「いや、だからなんでそうなる!」
「ちょっと、お花摘みに行ってくるね」
そう言って、アイリは席を立った。
軽い足取り。いつも通りのはずの背中。
――なのに。
ほんのわずかに、その歩調が速い気がして、妙に引っかかった。
◇
今日はヴァルプルギスの夜。
外では、軽やかな音楽と賑やかな笑い声が途切れることなく続いている。
その喧騒から切り離されたように、店内は静まり返っていた。
「……はぁ。」
通路の壁に背を預け、アイリは小さく息を吐いた。
ここならばユマークの視界に入らない。意図せず貸し切りとなったこの空間には、他のプレイヤーの姿はなく、すれ違うNPCもアイリに構う様子はない。彼女にとっては好都合だった。
「……ほんと、やだな。」
ぽつりと零れたその声には、もう先程までの明るさはなかった。俯いたままの横顔が、何かを隠すように沈んでいる。
――時間は、限られている。
ふいに、あの一言が脳裏をよぎった。
「……分かってるよ、そんなの。」
正しい選択。効率のいい行動。無駄のない進み方。そんなの考えれば、すぐに辿り着く答え……。
「でもさ……」
そこで、どうしても言葉が途切れる。
――代わりに、指先に力がこもった。
「……それじゃ、ダメなんだよ」
かすれる声。
誰に向けたものでもない、ただの独り言。
それでも――誰かに聞いてほしかった。
胸に溜まったこの感情を、どう扱えばいいのか分からない。
沈黙が落ちる。
時間が、止まったみたいに動かない。
――もう少しだけ。やがて、
「……よし」
小さく息を整え、アイリはぱん、と頬を叩く。
その瞬間――
張り詰めていたものが、ほんの一瞬だけ緩んだ。
零れかけた表情。
言葉にならない何かが、喉元までせり上がる――
けれど。
それを押し込むように、もう一度だけ息を吐く。そして、何事もなかったかのように表情を作り直した。
「湿っぽいのはナシ、っと。」
そう呟いて、踵を返す。
この頃にはもう、迷いはない。足取りも、呼吸も、いつも通り。――先ほどまでの空気など、最初から存在しなかったかのように、綺麗に消えていた。
「――待たせたら、うるさそうだしね。」
小さく笑って、アイリはテーブルへと戻っていった。
◇
アイリの心配は、ひとまず杞憂に終わった。
広い店内に一人残されたユマークは、ウインドウをじっと見つめたまま、何かを考え込んでいるようだった。
「お待たせ。どうしたの?」
「あっ、いや……。そろそろ接続が切れる時間だと思ってな。」
「あっ……ほんとだ。いつの間にか、日付も変わってるね。」
零時二十分――間もなく、強制ログアウト。
夜十一時から始まったユグドラシル初の公式イベント《ヴァルプルギスの夜》
睡眠周期はおよそ九十分。多少の個人差はあるが、イベント開始前から接続していたことを考えれば、そろそろ限界が来てもおかしくはない。
「……今日は、楽しかったね。」
アイリはそう言いながら、テーブルの縁を指先でなぞる。
「そ、そう……だね。」
「あっ、思ってないでしょ。」
くすっと、小さく笑う。
揶揄われているのは分かる。けれど、それに乗る気にもなれなかった。
「いや、そんなことないよ。」
一拍、間が落ちる。
ユマークは一度だけ視線を上げて――すぐに逸らした。
「……じゃあ、アイリ。明日は何時頃、入ってこれる?」
「ごめんね。明日は、ちょっと無理なんだ。」
ほんのわずかに――返答が遅れた。
「そっか……用事があるなら、仕方ないよ。」
「うん。」
静寂の中で――
その短い相槌だけが、かすかに余韻を残す。
――だが、それもすぐに溶けていった。
「あれ?」
「どうした?」
「そう言えば私、今日はちょっと早めに入ったはずなのに、まだ……、」
その言葉が終わるより先に――
「レディアンドジェントルマン。ユグドラシル初の公式イベント《ヴァルプルギスの夜》は、お楽しみいただけましたでしょうか?」
不意に、声が“流れ込んだ”。
空気を震わせたわけじゃない。
耳元で囁かれたわけでもない。
――直接、内側に響くような、不気味な声。
二人は反射的に周囲を見渡したが、視界に映るのは無機質なNPCたち。
当然、彼らがこんな声を発するはずがない。
「なに……どこから聞こえてるの?」
「……頭の中だ」
一拍、遅れて――理解が追いつく。
「誰かが、直接……僕たちに干渉している」
「ご明察。こんなにも早く気付くプレイヤーがいるなんて意外でした。ですが――」
「今宵の宴は皆様にとって、いわば決起集会。あまり不安を煽るような真似は、お控えくださいませね。」
――聞こえてる?
いや、違う。思考が“拾われている”。
あり得ない。
……いや、止まるな。思考を止めるな。
(こんな芸当ができる存在なんて――)
《ガタンッ》
その瞬間、意識がわずかに外れた。
思考に没入しすぎた反動で、現実の輪郭が一瞬だけ遅れる。
「――っ、アイリ!」
呼び止めるより早く、彼女はもう動いていた。椅子を蹴り、振り返ることもなく――外へと駆け出していった。
切妻屋根の街並みに、通りを覆う石畳。
店内から眺めていた景色と、何ひとつ変わらない。
プレイヤーの姿が疎らなのは、おそらく大半が広場に集まっているからだろう。
彼女の背中を捉えたのは、思っていたよりも早かった。
店を出て、すぐ――
足を止めた彼女は、その場でゆっくりと周囲を見渡す。
その仕草だけで、分かる。
――気づいている。
暖色に縁取られた街並み。
談笑しながら歩くプレイヤーたち。
つい先ほどまでと、何も変わらない光景。
――だからこそ、歪だ。
僕らはまだここにいる。
この景色を見ている。
強制ログアウトの時間は、とうに過ぎているはずなのに。
――なぜ。
「……なんで?」
呆然と立ち尽くす彼女からは、先ほどまでの勢いが消えていた。零れた声にも、あの明るさはもうない。
「それは、これから皆様に次なるイベントへ参加していただくためです。準備はよろしいでしょうか?」
あの声が、また脳裏に直接響く。
一人ひとりに語りかけているはずなのに、
まるで――二人に向けて話しているような錯覚。もし、これを他のプレイヤー全員にも同じようにしているのだとしたら――
「……待てよ。それ、“これから”って……あまりにも横暴じゃないか」
口にした言葉は、もっともらしい抗議。
だが――
――本心ではある。
――けれど、本意ではない。
このイベントが始まった瞬間から感じていた違和感。
こいつは、“何も教えない”。
《ヴァルプルギスの夜》の詳細も、
《沈黙の舞踏会》のクリア条件も。
普通の運営なら、最低限の指針くらいは示すはずだ。だが、それをしない。
――意図的に。
プレイヤーの自主性に委ねている、などという殊勝な理由じゃない。
だとしたら――
ヒントすら与えられないのであれば、もう少し――
この場を打開する策を練る時間が欲しい。
「ふむふむ……なるほど。あなたの意見はごもっとも。いやぁ、いけませんねぇ――年を取ると気が急いてしまって、つい結果を急いでしまう。悪い癖です」
――心まで読めるのか。
心の奥に沈めたはずの思考が、表面を撫でられているような不快感。
「ですが、ご安心くださいませ。皆様がログインされた時点で、端末には時のレイヤー遷移を五十八万倍に設定しております」
「ですので――現実世界では、まだ千分の九秒ほどしか経過しておりません。……考える時間は、たっぷりとございますよ」
千分の九秒?
五十八万倍……だとすると――
「夢が醒めるのは、およそ百年後……か。」
瞬きよりも短いはずの時間が、途方もなく引き伸ばされている。
――馬鹿げてる。
「おや、計算が速い。素晴らしい。」
楽しげな声が、間髪入れずに被さる。
「頭の良さは――これから先、きっと何かと武器になりますからね。」
「さて。それでは皆様には、《虹の橋ビフレスト》の先――ミズガルズを目指していただきます。そこにレイザ用コンソールを設置してありますので、操作して“レイヤー遷移”を等倍に戻してください。」
「……まさか!」
「今、皆様の時間は“光速に限りなく近い速度”で進んでいます。思考も、感情も、摩耗も――次に目覚める頃にはどうなっているか……。」
一拍、わざとらしく間を置いてから、
「……興味深いところではありますねぇ。」
「ふざけるな! こんなのやってられるか! 俺は帰るぞ!」
異変に気づいたプレイヤーの怒声が、場の空気を引き裂く。
「おや? あなたは《ユグドラシル》は初めてですか?ここには“ログアウト”なんて物騒な機能は、最初から存在しませんよ。」
くすり、と愉快そうに笑ってから、
「この世界から離脱する方法は二つ。夢から醒めるか――それとも……。」
わざとらしく言葉を濁した。こいつは明らかに――楽しんでやがる。
「……まあ、私なら後者は御免ですがね。ドリームインターフェイスで受ける感覚は、現実と寸分違わぬものですから。」
(仮想の死――痛みも、恐怖も、断絶も……全部、本物として脳に刻まれる。)
(それを“何度も”味わえば――、)
「それでは――、」
声音だけが、やけに軽い。
「それでは皆様の健闘を心よりお祈りしております。」
――イッツ、ショータイム。




