第二十八話 いつもと同じ
「この子……、どうしたんですか?」
ナンナは馬の首筋を撫でながら、そっと問いかけてきた。
「どうだい、かっこいいだろ。見ろよ、この鹿毛の毛並み。最高だろ。」
僕は馬の首をぽんと叩く。
「街道沿いで草を食んでたから、ちょっと乗ってみたんだ。しかも、こいつらNPC扱いだからゴブリンも狙ってこない。凄いだろ。」
そう言って、僕はわざとらしく胸を張った。
――努めて、自然に。
これは僕とナンナの間にある、言葉にしない取り決めだ。
アイリは僕の背に身を預けたまま、何も言わない。
後ろを歩くガルドもまた、沈黙したままだった。
僕は馬上から、あの光景を見てしまっていた。
地面に転がる亡骸。
血に染まった草原。
そして、仰向けのまま動かなくなったアルク。
だから、何も聞く気にはなれなかった。
夕暮れの街道を馬の蹄が刻む。
やがて見慣れた城壁が見えた時でさえ、歓声を上げる者はいなかった。
生きて帰れた。
その事実を喜ぶには、失ったものが大きすぎたからだ。
◇
「アイリ、歩けるか?」
街に入ってすぐ、馬を見送った僕はアイリに肩を貸した。
目立った怪我は無かったが、仮面から覗く顔にいつもの明るさはない。
そんな彼女を心配そうに見つめながら、ナンナも隣に付き添っていた。
「アイリ……さま?」
礼拝堂を横目に歩いていると、一人の男が話しかけてきた。腰には見慣れた意匠の剣を携えている。
おそらく、黄昏の航路の居残り組の一人だろう。
男は安堵したように駆け寄りかけたが、すぐにその足が止まった。
アイリは俯いたまま。
ガルドも険しい顔で黙り込んでいる。
そして何より、帰還した人数があまりにも少なかった。
「まさか、遠征中に何かあったのですか?」
アイリは答えようとはしなかった。
「そうか……、ところでレグナス様は?」
男の声にガルドの顔が一瞬強張る。
無理もない。奴の判断が遅れた結果、千人近くの遠征隊が帰らぬ人となったのだ。
――その中には当然、アルクも含まれていた。
「あぁ。彼なら後ろに……。」
振り向いたアルセリオンの顔が固まった。
――そこにレグナスの姿はなかった。
つい先ほどまで、確かに後ろを歩いていたはずなのに。
生還者を順に見渡す男の顔から血の気が引いた。
「まさか……、レグナス様が……。」
「そこ、どいてくれるか?」
僕はその男の肩に手を置いた。
「今はアイリを早く休ませたいんだ。悪いけど、あんたに構ってる暇は無い。」
男の肩は震えていた。
声も上擦っている。
言いたいことは分かってる。聞きたいことが山ほどあることも。
それでも――
「どけ!」
肩に置いた手に自然と力が入る。
男はよろめくと、そのまま尻もちをついた。
あんな声が出るなんて、自分でも驚いた。
それでも奴には悪いが、今だけはそっとしておいて欲しかった。
そのあと、どうやって帰ったのか。
ところどころが、抜け落ちている。
翌日――
朝から外が騒がしい。
それもそのはず。
一夜明けて『大規模遠征失敗』の報は街中に広まりつつあるのだろう。
ユグドラシルに来て数ヶ月。
いまだ『帰る方法が見つかった』なんて、吉報は耳にしない。それどころか、旅立った多くのプレイヤーの消息は今も闇の中。
そんな閉塞感を打ち破るべく、結成されたのが今回の『大規模遠征』だ。
しかも、それを率いるのは《勝利の剣》に認められたあのレグナスというのだ。
誰もがその成功を信じて疑わなかった。
必ずやミルズガルズへの道を切り開いてくれるのだと。
だが、蓋を開ければ部隊は壊滅。
参加した千人近くのプレイヤーのほとんどが戻ってこなかった。
しかも、たった半日で。
街中がざわつかないわけがない。
だが、それよりも気がかりなのは目の前にいるアイリのことだ。
「おかわり。」
彼女はバルドが見舞いと称して持ってきたカルダモンロールの山を、あっという間に平らげてしまった。
それでも、まだ足りないらしい。
これには流石のバルドも目を丸くしていた。
「アイリさん?もう、そのくらいにしておいたほうが……。」
水を運んできたナンナも心配そうに彼女を見つめる。
「えぇ〜、まだ食べたい――っんぐ!?」
どうやら、頬張り過ぎて喉を詰まらせたらしい。アイリは赤い顔をして何度も胸を叩いた。
慌てふためく三人。
「ちょっと!? アイリさん!?」
ナンナは手にしていた水差しをテーブルに置くと、コップへ水を注いだ。
「はい、水です! 水!」
アイリは差し出されたコップをひったくるように受け取ると、一気に飲み干した。
「ぷはっ……!」
三人は揃って安堵の息を吐いた。
……まさか、パンに敗北しかけるなんて。
いつもと同じだ。
チョロチョロと逃げる視線。
照れ隠しに飛んでくる小さな拳。
口元に残ったままのパンくず。
何も変わらない。
変わらないからこそ、心配で堪らない。
だから今は、彼女を一人にしておけない。
これも僕とナンナの取り決めだった。
「アイリさん、お昼は何が良いですか?」
朝ごはんを終えた後、クローゼットの前でナンナが身支度をしている。
一人で買い出しに行くというのだ。
「一人で大丈夫?重たいだろうし、ユマくんも連れて行けば……。」
チラリと向けるアイリの視線が妙にトゲトゲしい。
か弱い女の子に力仕事をさせるなんて……。
そんな言葉が飛んできそうだが、ナンナがそう申し出たのはもう一つの理由がある。
――それをアイリは知らない。
「なんですか、ユマークさん?」
ナンナはじとりと半眼を向けた。
「ニタニタして……、なんか気持ち悪いです。」
その言葉に反応したアイリは身をよじると、胸元を抱くように腕を回した。
「やっぱり、私も行こうかしら?」
(またか……。)
そう思いながら、僕は小さく息を吐いた。
「……別に、何もしないって。」
そう言うと、アイリはますます警戒した目を向けてくる。
「その言い方が怪しいんですけど。」
「どこがだよ。」
ナンナは支度の手を止めず、ため息混じりに呟いた。
「本当に、仲が良いのか悪いのか分かりませんね……。」
僕はもう一度、深く息を吐いた。
「じゃあ、行ってきますからね。二人とも痴話喧嘩はほどほどに。」
ナンナはそう言い残すと部屋の扉を閉めた。
階段を降りる音が次第に小さくなっていき、角を曲がったところでパタリと消えた。
ナンナがいなくなっただけ。
たったそれだけであんなに賑やかだった部屋が途端に静かになった。
「行っちゃったね……。」
「あぁ……。」
アイリは小さく息を吐いた。
先ほどまでの騒がしさが嘘のように、表情が静かに落ち着いていた。
どこか、頼りないくらいに。
「ねぇ……。」
アイリが何か言いたげにこちらを見つめる。
「何もしないよ。」
「うん、分かってる。」
アイリは僕の言う事が分かっていたかのように即答した。
「そうじゃなくて……。」
「そのぉ、ありがと……、助けに来てくれて。」
「すごく嬉しかった。」
アイリの顔に、少しだけいつもの色が戻った気がした。
「あぁ……。」
気の利いた言葉のひとつでも返せれば良かったのだろうが……。
そんなものは、最初から持ち合わせていない。
「ねぇ、そっち行っていい?」
「あぁ……。」
アイリは立ち上がり僕の傍まで歩いて来るとそのまま背中を預けてきた。
背中越しに伝わる体温は思ったより温かかった。
ほんの少しずつ、身体の重みが増していく。
「……おい、僕は背もたれじゃないぞ。」
「良いの。」
アイリは肩を揺らして笑った。
「ユマくんは私の宿り木だから。」
その言葉に、返事が詰まる。
クスクスと笑うアイリは、やっぱり年相応の女の子だった。
さっきまで感じていた妙な広さは、いつの間にか消えていた。
「ねぇ、ユマくん。」
「ん?」
「そろそろ心の準備は出来た?」
「…………。」
胸の奥がざわつく。
アイリは僕に背中を預けたまま、探るように右手を伸ばした。
その指先が僕の左手に触れる。
「良いよ。」
少し迷うように指が絡んでいく。
「ユマくんだったら、この仮面外しても。」
ダダダダダッ
――と階段を駆け上がる音が響く。
「ユマークさん! 大変です!」
息を切らしたナンナが慌てて扉を開けた。
「え?」
「あ。」
ナンナは思わず固まった。
「……すいません。お邪魔でしたね?」
「違う!」
二人の声が綺麗に重なった。
その絶叫は酒場の二階中に響き渡った。




