第二十三話 遠征当日 ー生き残る為にー
「アイリさん、忘れ物ないですか?ティッシュやハンカチは? そうだ、替えの下着も持っていかないと……。」
夜明け前、朝が苦手なはずの二人が何やら慌ただしい。
ナンナは部屋中を忙しなく行ったり来たりしている。その様子にアイリは少しうんざりした面持ちで頬を膨らませていた。
「あぁ~、そんなの持ってたら動けないよ。それに、ちゃんと補給部隊もあるらしいし。」
「ダメです。備えあれば憂いなし、です。」
アイリは軽く溜息を漏らす。
「遠征初日って言ったって、今日の目的は周辺の探索。要は肩慣らしみたいなもんだから。」
ナンナの心配をよそに、アイリの表情には一片の曇もない。
それどころか、完全に信用している節もある。
「それにしても、あの人凄いよね。戦場に出たことないって言ってたのに、なんでも分かってるって感じで。」
「えっ?」
驚きのあまり、僕は言葉を失った。
(そう言えば以前、リッカさんも同じようなことを言っていた。)
レグナスは戦ったことがない……。
《勝利の剣》というユニークアイテムを持ちながら、これまで表舞台には出ようとしなかった。
そんな奴が、このタイミングで遠征隊を率い、自らも戦場へ出るという。
――レグナスの真意が読めない。
それに、レグナスは妙にアイリを買っている。
実績らしい実績もない彼女を、なぜ遠征隊に誘った?
「じゃあ、行ってくるね。」
考え込む僕をよそに、アイリはいつもの調子で手を振った。
違和感はいくつもある。
だが、それだけだ。
最後の決め手が見つからない。
軽い足取りで歩き出すアイリ。
結局、彼女の手を取って止めることは出来なかった。
◇
「ユマークさん、今です。」
ナンナの放った矢がホップラビットの足を掠める。 跳躍が鈍った一瞬を見逃さず、ユマークは身体を屈めて飛び出した。
突き出した短剣が眉間を貫く。
ホップラビットは地面を転がり、そのまま動かなくなった。
「よっし!」
久しぶりの成果に、ユマークは思わず拳を握った。
「やりましたね。」
木の上から見下ろしていたナンナも安堵の息を漏らす。
だが、たかがホップラビット一匹にこれだけ手こずっていては、アイリと行動を共にするなんて夢のまた夢だ。
焦りで短剣を握る手にも力が入る。
倒れたホップラビットを見下ろしながら、僕は次の獲物のことを考えていた。
「キィイイイ!」
突然、甲高い鳴き声が響く。
動かなくなったはずのホップラビットが跳ね起き、鋭い牙を剥いた。
不意を突かれた僕の反応は、一瞬遅れた。
だが、その牙が届くことはなかった。
空気を切り裂く一閃。
次の瞬間、僕に飛びかかったホップラビットは左右に分かれ、地面へと転がっていた。
「よっし!」
弾けるような声が辺り一面に響く。
その声量に思わず僕は耳を塞いでしまった。
「大丈夫ですか? ユマークさん。」
ナンナは木から飛び降りると、慌てて僕の傍へ駆け寄り、怪我がないか確かめるように全身へ視線を走らせる。
「どこか噛まれてませんか?」
「だ、大丈夫。」
その返事を聞いて、ナンナはほっと息を吐いた。
「あっ」
何かを思い出したように振り返ると、慌てて頭を下げた。
「ありがとうございます! ユマークさんを助けていただいて……!」
「うん、間に合ってよかった。」
頭上から明るい声が降ってくる。
ナンナにつられて顔を上げると、そこには赤髪の少年が立っていた。
やや幼さの残る端正な顔立ち。年齢は僕たちとそう変わらないだろう。
だが、何より目を引いたのはその瞳だった。
まるで世界のすべてが輝いて見えているかのような、真っ直ぐな光を宿していた。
「でも次からは気を付けろよ。怪我しなくて本当に良かった。」
少年はそう言って、ニカッと笑った。
「あ……。」
ナンナが小さく息を漏らす。
彼女に視線を向けると、珍しく少年を見つめたまま動かない。
「ナンナ?」
「えっ!?」
呼びかけられた途端、彼女の肩がビクンと跳ねた。
「な、なんでもありません!」
そう言うと、ナンナは顔を伏せて黙ってしまった。
その様子を見ていた赤髪の少年は、不思議そうに首を傾げた。
「もしかして、どこか怪我してる?」
少年はキラキラと輝く瞳で、ナンナの顔を覗き込んだ。
「い、いえ! 本当に大丈夫です!」
ナンナは慌てて距離を取った。
こんな彼女を見るのは初めてだ。僕は何とも言えない複雑な気分になった。
「そっか。」
少年は安心したように頷いた。
「あ、そうだ。まだ名乗ってなかったな。俺はアルセリオンだ、よろしく。」
無邪気な笑顔から覗く白い歯。
あれは流石に反則だろう。
これは絶対、僕には真似できない。
それでも、僕も一応は男の端くれだ。
負けじと口角を持ち上げて名乗ってみた。
「ど、どうも。僕はユマーク。こっちはナンナだ。」
――渾身の出来だったはずなのに。
なぜか隣のナンナは今にも吹き出しそうになっていた。
「街から近いって言っても、ここも案外危険なんだ。」
アルセリオンは地面に落ちたラビットミートへ視線を向けた。
「良かったら街まで送るよ。」
僕が困ったように首を傾げる横で、ナンナは何度も小さく頷いている。
「いや、まだ帰らないから。」
「あっ……。」
ナンナが露骨に肩を落とした。
「あ、二人とも街へ戻る途中じゃなかったのか?」
「いえ、武器を探していて……。」
「武器?」
僕はアルセリオンと名乗るその赤髪の少年にこれまでの経緯を話して聞かせた。
――アイリのこと。
――レグナスのこと。
――そして、遠征隊のことも。
「あぁ、どうりで。」
アルセリオンはようやく腑に落ちたように頷いた。
「なんか変だと思ってたんだ。」
アルセリオンはそう言って、僕の短剣を指差した。
「だって君の戦い方に短剣は合わないよ。」
僕とナンナは互いの顔を見合わせた。
何を言われたのか分からない。
「あの人みたいに上手く言えないけど……。」
アルセリオンは言葉を探すように頭を掻いた。
「君って生き残る為に、戦ってるよね。」
「あっ、別に悪いって意味じゃないんだ。」
アルセリオンは短剣に目を落とし、軽く首を振った。
「でも、君の動きってさ。」
アルセリオンは、なんでもないみたいに肩をすくめた。
「敵を倒すっていうより、やられないように動いてる感じだな。」
「…… ……。」
僕は言葉を失ったまま、無意識に短剣の柄を握り直していた。
「あっ、だから別にダメって言ってるわけじゃないから。」
アルセリオンは軽く笑った。
「じゃあ、そう言うアルセリオンは?」
「俺?」
アルセリオンは一度、背伸びをするように肩を回した。
「誰かの為に戦ってる……かな。」
そう言って、アルセリオンは視線を遠くの森へ投げた。
「そういうやつは、今回の遠征には向かないってことだろ。だから誘われなかったんだと思うぜ。」




