第十九話 空いた寝台
「今日は一段と日差しが強いですね。アイリさん、日焼け止めクリーム塗りましたか?」
「あっ!見てください、あの雲。なんかターバンのおじさんに似ていませんか?」
「おやぁ、今度は……。」
礼拝堂からの帰り道、いつになくナンナが饒舌だった。
元々、人に気を遣いすぎて言いたいことも上手く言えず、もじもじしていることの多い彼女にしては珍しい。
どうやら今日は、何としても会話を途切れさせたくないらしい。だからといって、あの雲を武器商人に例えられても……。
似てるのなんて色ぐらいじゃないか……。
いつもなら、これはアイリの役目だ。
別に本人は何も考えていない。ただ思いついたことを口にしているだけだ。
それなのに不思議と会話は途切れない。
気付けばみんなが話に加わって、いつの間にかその場は賑やかになっている。
彼女は、そういう空気を自然に作ってしまう人だ。それなのに今は、ただ黙って僕らの後を歩いている。
機嫌が悪いわけでも、体調が悪そうにも見えない。
それでも彼女は一言も話そうとはしなかった。
何もしなければ静寂が三人を包む。
そうなると礼拝堂での話を嫌でも思い出しそうになる。
そんな空気を察して、ナンナなりに話題を振っているのだろう。けれど、アイリの時とはどこか違っていた。
気付けば中央広場の噴水まで戻っていた。
無理に話題を探していたナンナも、いよいよ弾切れになったらしい。今は黙って前を向いている。
ここまで来ると流石に人通りも多く、すれ違う人たちの雑音が嫌でも耳に入ってくる――
いや、ちょっと待て……。
ここまでの道中、なぜか誰とも出会わなかった。
北の最果てから歩いてきたのだ。誰とも会わなくても、それ自体は何らおかしくない。
むしろ、おかしかったのは朝の方だ。あんな早い時間に、あれだけ多くのプレイヤーとすれ違った。
しかも、その誰もがこちらを気にするような素振りを見せていた。偶然にしては出来すぎている。
つまり――僕たちは監視されていた。
レグナスは最初から知っていたんだ、僕たちが来ることを……。
僕がレグナスに辿り着くことも、その後に会食することも全て計算づくだった。
だから、あの場でアイリの好物で饗すことができた。
全部、アイリを遠征隊に引き入れるためか……。
いや、流石に考えすぎか?
だが、あの男ならやりかねない。
でも、ここからは彼女の問題だ。
考えてみれば、アイリほどの実力者が今まで僕たちと一緒にいてくれたことの方が驚きだった。
遠征隊は攻略の最前線。
その前衛であれば、ミルズガルズに近づけるはずだ。
そうしたら、彼女の願いもきっと――
胸の奥が少しだけ重くなる。
僕にそんな資格はないと分かっていても……。
(……?後ろから声がする。)
「……ロールが……食べたい。」
「本場のカルダモンロールが食べた〜い。」
アイリの突然の申し出に、僕たちはしばらく言葉を失った。
◇
「うっ〜ん。やっぱ、これこれ。」
いつもの調子で頬張るアイリ。
先ほどまでの空気が一変し、周囲がぱっと明るくなる。
「この刺激的な香りと優しい甘さのコラボレーション。流石だわ。」
「確かにバルトの菓子は上手いが、あいつが考案したわけじゃないぞ。」
「えっ、そうなの?」
僕は思わず、いつもの調子で軽口を叩いてしまった。それに無邪気に答えるアイリ。その様子は昨日までと何も変わらない。
ナンナも、つられて小さく笑っていた。
「……おい。」
聞き覚えのある嗄れた声が僕らを呼び止める。
振り返るとそこにはターバンを巻いた男が不機嫌そうな表情を浮かべていた。
いつものぶっきらぼうで仏頂面。
とてもじゃないが、客商売に向いているとは思えない。
それでも、最低限冷やかしに来た客の顔くらいは覚えているらしい。
「……会ったのか。」
ターバン男はボソッと呟いた。
別に後ろめたいわけでは無かったが、僕は黙って頷いて見せた。
その姿に男はうつむき、深い溜息を吐いた。
表情は見るからに険しい。
その時、不意にナンナが口を開いた。
「おじさんのターバン、今日は色違いなんですね。」
確かに、さっき見たターバン雲と違う。
ついこの前まで白い雲だったはずなのに、今日は紫の布を巻いている。
あの時のナンナの必死な顔を思い出したら、何だか笑えてきた。
「どうだ? 似合うか。」
男は先ほどまでの険しい顔をどこへやら、得意げに顎を上げた。
「ええ……、とっても。」
「そうだろう、そうだろう。」
鼻歌まで聞こえてきそうな上機嫌ぶりだ。
(もうちょっとで何か奢ってくれるんじゃないだろうか……。)
そんな下心よりも、さっきの言葉が引っかかる。
「どうして……、分かったんだ?」
(レグナスのことか、それとも……。)
男は再び苦々しげに顔を歪めた。それでも、突き放すことはしなかった。
「それはお前さんが一番よく分かってるんじゃないか?」
ターバン男はそう呟くと売り物へと視線を戻した。
「言っておくが……、あいつは勇者なんかじゃない。」
その声には、怒りとも諦めともつかない感情が滲んでいた。
「買う気がないなら、とっとと失せな。」
そう言うと、ターバン男は追い払うように手を振った。
最初に声を掛けたのはあんただろ……、喉まで出掛けた一言を僕はぐっと飲み込んだ。
◇
西の空はすっかり茜色に染まっていた。
街の喧騒は徐々に色濃くなり、《斧と杯》へ着く頃にはすっかり日が落ちていた。
僕は二人分の水を汲み、いつもの席につく。
アイリは先ほどのカルダモンロールで満足したらしく、「ダイエットする」と言い残して一人で部屋へ戻ってしまった。
「珍しいねぇ。今日は二人かい?」
リッカがいつもの調子で声を掛けてくる。
「さては痴情のもつれか。はたまた怨恨か……。」
ニヤニヤと要らない妄想を膨らませている。 これもいつも通りだ。
ただ、いつもなら隣にいるはずのアイリがいない。
「今日のユマークさんは、そこまで変ではありませんでしたよ。」
ナンナが真面目な顔で答えた。
……そこまで、という部分が少し気になる。
リッカはそんな僕たちを見て肩を竦める。
「やっぱり、アイリちゃんがいないと締まりがないねぇ。」
ふと、沈黙が落ちる――
だが、リッカはそれ以上、事情を聞こうとはしなかった。
その気遣いがありがたかった。
翌日――
いつもは、誰よりも早く目覚めるのだが、今日はなかなか目を開けられないでいた。
と言っても、他の二人はいつも遅い。途中で起こしたものなら後々大変だ。
とりわけ、アイリはたちが悪い。
この前なんか、「新体操か!」とツッコみたくなるような実に見事な寝相を披露して、ナンナがうめき声を上げて助けを求めていた。
慌てて駆け寄った僕だったが、寝ぼけたアイリは僕を暴漢と勘違いしたらしい。
おかげで、これまた見事な正拳突きを食らった。
そのまま、一時間ほど意識を失ったのは言うまでもない。
重いまぶたをゆっくりと持ち上げる。窓から差し込む日差しはいつもと変わらない。
視線を二人の寝台へ向ける。
すると、アイリがベッドの上で俯いて、落ち着かない様子で肩を揺らしている。
「どうしたんだ、アイリ。」
「なんで、あの子はいっつもそうなの?」
「だから、どうした……。」
二つ並んだ寝台。
その片方だけが、不自然なほど綺麗に整えられていた。
シーツに皺は一つもない。 脱ぎ散らかされていたはずのアイリの服も、丁寧に畳まれて机の上に置かれている。
「どうしよう、ナンナが行っちゃった。」




